第6話 正義
社会はゆっくりと、しかし確実に変化していった。
南米やアフリカでは、政府の信用が奈落の底に落ち、無政府状態に陥っていた。自力で動物たちに対抗する力を手に入れ、小規模なコミュニティが出来上がった。
一方、先進国と呼ばれる国々では、銃を持つことが合法化もしくは強化され、一般市民の武装化によって個々を防衛する力を手に入れたのである。
しかし日本の場合、この非常事態にも関わらず、銃の合法化には至っていない。やれたことと言えば、警官に対して銃刀法のむやみな適用をしないようにする文書を閣議決定したくらいだろう。
しかし、問題はまだまだある。これは諸国に言えることであったが、各国に存在する動物愛護法が邪魔をしてくるのだ。現にアメリカのニューヨークで、動物愛護団体と有害鳥獣駆除団体がデモ行進を行い、危うく死者を出すところまで暴力が発展した。
日本でも、動物愛護団体が主要都市でデモ行進を行う。特に札幌でのデモ行進はかなりの人数が集まった。
『動物を攻撃するのをやめろー!』
『やめろー!』
『政府は動物愛護法を守れー!』
『守れー!』
なんとなく反政府デモが混じっている気がしなくもないが、かなり人々の支持を集めているのは確かだ。
そんな札幌の街中に、突如として薬物中毒になったと思われるヒグマの群れが出現した。混乱する市民。警戒する警察。猟友会のメンバーも出動する。
ヒグマの群れは、車などに怖気づくことなく、まっすぐ動物愛護団体の列に接近する。
「ク、クマ! クマがいる!」
デモ行進の中の一人が、クマの存在に気が付く。とたんに混乱する現場。デモをしていた動物愛護団体は真っ先に警察に助けを求める。
警官が前に出て拳銃を構える。そのうちの一人がいきなり発砲した。
「おい! 警告の一つでもせんか!」
「ラリった動物相手に警告なんて無駄ですよ!」
そういって2発、3発と弾丸を撃ち込む。冷静に弾丸を撃ち込んでいるため、顔に集中的に命中する。
しかし薬物に侵されたヒグマは、そんなもので簡単に倒れはしない。むしろ激高させてしまった。
怒りが頂点に達したヒグマは、でたらめな方向に向かって突進する。駐車されていた車や電柱、ガードレールに衝突する。それに合わせるように、人々が逃げ惑うのであった。
そこに北海道警察機動隊が登場する。小銃で武装した機動隊は、そのまま散開しながらヒグマを射撃する。いつの間にかビルの屋上に展開していたスナイパーが、ヒグマの頭部を狙う。
こうしてものの10分程度でヒグマの群れを射殺した。死体は消防と警察が処分する。
そして問題なのは、この一連の騒動がネットに投稿されてしまったことだ。
一部のSNS利用者は、この騒動中に逃げ惑った動物愛護団体を攻撃するような内容を投稿し、炎上した。
ネットニュースやテレビ番組では、この騒動で警察が取った行動を批判する言動が多く見られた。これに賛成した人の中には、わざと110番に電話してクレームを入れる人も相次いで出てきたほどだ。
最終的には警察庁のトップが会見を開き、国民に対して弁明するという珍事にまで発展した。
だがこの会見は、民間人に対して武器や武力行為の容認と言う形で受け取られた。当然だろう。薬物中毒になった動物がいつ襲い掛かってくるのか分からない状況なのに、丸腰でいるのは危険極まりない。
そのため民間人は、今回の警察庁の会見を、防衛手段の大幅な緩和を容認したと受け取った。
こうして有害鳥獣駆除を目的とした武力行使が加速していく。
世間はだんだんと、動物に対する扱いを厳しくしていった。ここ数日では、ペットとして飼われている犬や猫、ウサギなど哺乳類はもちろん、爬虫類、魚類までもが狂暴化している。一部ではこの動物たちを守ろうとする運動が上がったが、ほとんどの場合において手がつけられなくなってしまい、保健所に持って行ったり、捨てようとしたり、または各々の力で殺処分する状態であった。
実際吉斗も、近所に住んでいる飼い犬を飼い主が自力で殺処分する場面を見たことがある。
そこまでしなければ、自分らが狂暴化した動物たちに殺されるのだ。
その魔の手は、すぐ近くまでやってきている。
その日、吉斗は庭で害鳥の監視を行っていた。すでに2桁以上の鳥を殺しているのだが、いつまで経っても鳥はやってくる。まるで目的を庭荒らしから吉斗への攻撃に変えたような感じだ。
しかしこの日は鳥の群れはやってこない。何かあったのかと空を見上げていた。
その時である。
「キャー!」
突如、向かいの家から悲鳴が聞こえた。向かいの家には、吉斗の幼馴染である山下亜紀が住んでいる。彼女の悲鳴が聞こえてきたのだ。
「亜紀!」
吉斗は急いで向かいの家に向かう。外からリビングを覗くと、窓の向こうに亜紀の父親が倒れているのが見える。
吉斗は慌てながらも、ご丁寧に玄関から入る。幸い鍵は開いていたため、そのまま適当に靴を脱いでリビングへと走る。
扉を開くと、リビングの机の上に、山下家で飼われている猫が興奮状態で威嚇していた。
「吉斗……!」
「亜紀! 無事か!?」
「うん、でもお父さんが!」
「私のことは心配しなくてもいい……。それよりもアオを止めてくれ……」
アオとは、山下家の飼い猫のことである。そのアオは今にも亜紀と亜紀の母親に飛び掛かりそうだ。
吉斗は二人の前に出て、フライパンを構える。
「吉斗……。もしかして、アオを殺すの……?」
「当然だろ」
「そんな……、アオは家族なんだよ? 家族を見殺しになんて出来ないよ!」
「ここで殺さなきゃ、次に殺されるのは亜紀だぞ?」
「でも……」
亜紀は迷ってる。家族の一員が豹変して、家族に牙を向いている。この現状を受け止められないのだろう。
そこに、亜紀の父親が口を出す。
「吉斗君……。頼む、アオを楽にしてやってくれ……」
「お父さん!」
「もうアオはアオじゃなくなったんだ……。いっそ楽にしたほうがいい……」
「分かりました」
吉斗は、左手に持ったフライパンを右の脇の下まで引き、精神を集中させる。そのまま吉斗とアオのにらみ合いが数秒続く。
先に動いたのは吉斗だった。フライパンの底を、アオの頭に向けて力いっぱい振り抜く。
それをアオは見切って回避。そのまま姿勢を崩した吉斗に向かって、噛みつこうとする。
その時だった。下の方から、何か光る物がアオを捉える。吉斗の武器の一つ、包丁だ。
フライパンによる攻撃が躱されたときのために用意していた、二段構えの攻撃である。
包丁はアオの腹部に深く刺さる。アオはドスの聞いた甲高い鳴き声を上げた後、そのままぐったりとしてしまった。おそらく、腹部を刺されたことによる、大量出血のせいだろう。
吉斗は、包丁に刺さったアオを持って、窓を開ける。
そのまま外へ放り投げた。その時、この瞬間を待っていたかのように、カラスの群れがアオの死骸を乱暴につつく。ものの数分で、無残な姿に変貌するだろう。
「……ちょっと蛇口借ります」
吉斗は窓を閉めて、洗面台に向かう。汚れていない左手で蛇口のハンドルを回し、手についた血を洗い流す。
手を洗い終えてリビングに戻ると、そこには家族を失って泣いている亜紀の姿があった。
亜紀の父親はなんとか立ち上がって、亜紀の背中をさすっている。
「それじゃあ、俺はこれで失礼します」
そういって吉斗は亜紀の家を出た。
そして空を飛ぶカラスの群れを見て、呟いた。
「本当にこれが正しいんだろうか……」
今は、誰にも分からない問いだった。
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