第5話 混乱

 ベーリング海を進む1隻の船。アメリカ国籍のカニ漁船だ。

 大時化の中、勇猛果敢にも波間に突撃している。

 そんな中、船内ではある異変が起こっていた。

「カニが取れない?」

 船長のもとに、そのような話が上がってくる。

「お前、この年にもなって嘘つくのか?」

「嘘じゃねぇって船長! 本当にカニがどこにもいないんだよ!」

「馬鹿言え、まさかカニが俺たちのことを監視してるワケじゃねぇんだからよ」

「もしかしたら、カニを取りつくしちまったのかも……」

 十数年前から、ベーリング海のカニは数を減らし続けていることは事実である。そのため、漁獲量に制限をかけるという対処を行った。

 それでも当時の想定では、まだ向こう50年分は問題ないとされていた。

「だがよ、去年と同じ時期だってカニは取れていた。一年で急に変化するなんて思えねぇ」

「しかし船長……。もう40回もカゴを投入してるんです。その結果、魚一匹も入っていないんですよ?」

「それがおかしいんだよ。本当に網は海底に届いていたのか? そうでなくても、サメの一匹くらい入っているはずだ」

 船長は少しイライラしていた。

 燃料代や船員の給料のことを考えると、もう網は投入出来ない。だが、このまま何も取れずに港に帰ることも出来ない。

「もう一度だ。もう一度カゴを投入しろ」

「ですが……」

「いいからやれ! 俺も現場に出る」

 舵を副船長に任せ、周りの制止を振り切って船長は甲板に出る。

 世界でも一二を争う、荒ぶる海のベーリング海。慣れない人間なら、物に捕まっているだけで精一杯だ。

 そんな揺れる船の上を、船長はものともせずに歩いていく。

『カゴを投入しろ!』

 船長が拡声器を使って指示を出す。その声の通りに、網は投下された。

 そして10時間後、カゴを引き上げる。

 すると、その中には見たことのある物体が入っていた。

「カニだ!」

「入っていたぞ!」

 船員の喜ぶ声が聞こえる。

 船長はカゴからカニを取り出す。

「それ見ろ、カニがいたじゃねぇか!」

 そういって船員たちの方を見る。

 だがその船員たちは、みな唖然と船長の方を見る。

「……どうした、お前ら?」

「船長……、そのカゴ……」

 船長がカゴの方をみると、その中にはカニがいた。見たこともないほど超巨大なカニが。

 パッと見の大きさは3メートルはあるだろう。その巨大なカニは、ハサミを船長の体に挟む。

「うわぁぁぁ!」

「船長!」

 そしてそのカニは、船長の体を真っ二つにへし折った。

――

『日本時間の昨日、ベーリング海でカニ漁をしていたアメリカ国籍のカニ漁船で、超大型のカニが出現したとの情報が入りました。超大型のカニは、漁船の船長をハサミでへし折り、殺害したとのことです。さらに、一緒に取れたカニを検査した結果、未知の薬物が検出されたとアメリカ農務省が発表しました』

 このニュースを見る吉斗。和樹は真剣な表情で、さくらは衝撃的な映像を見たような表情をしていた。

 相変わらず、外では鳥の群れが人々に影響を及ぼしていた。信憑性の低い情報だと、異常に巨大化した犬も目撃されているようだ。

 さらに、このニュースが示している事実は複数ある。

 まず、薬物の影響が海洋の深い所にまで侵されているということだ。海は広いため、多少薬物が流れ出したところで海水によって希釈されてしまう。海洋生物に影響を与えるほどの大量の薬物が海水に溶け込んでいるか、少量でもかなりの影響を与える薬物なのか定かではないが、未知の薬物には計り知れない影響力があるようだ。

 そしてもう一つの事実。この未知の薬物が、すでに大半の人類の中に取り込まれている可能性だ。普段口にしている動物性の食材に、多少なりともこの薬物が入っている可能性は大いにある。それどころか、生物濃縮によってより濃度の高い薬物が混じっている可能性もあるのだ。

 特に後者の事実はSNSでかなり拡散された。普段口にしているものが、もしかしたら麻薬などの薬物を含んでいる可能性がある。それだけでもかなりの混乱を招いた。

 このことに関して、国連薬物犯罪事務所UNODCは異例の会見を開く。

『昨今の世界情勢を騒がせている未知の薬物について、動物の体内で生物濃縮が発生している事実は否定出来ません。これらの関係性は、今後の調査次第であると考えます。加えて、この薬物が動物や魚類に及ぼしている影響が人間にも当てはまる可能性に関しても、現段階では確実なことは言えません。現在まで、報告に上がっていないことが幸いでしょう。我々としても、早期の段階で情報提供をしていきたいと考えています』

 数十年前に発生した世界的大流行パンデミックを彷彿とさせるようなニュースだろう。

 このニュースにより、食料品関係の株価が軒並み下落、日経平均株価もダウ平均株価も1日で始値の80%まで落ち込むという異次元の下がり方を見せた。

 これらのニュースを見た和樹は、何か考えたあと急に立ち上がる。

「そうだ! こんなことしている場合じゃない!」

「どうしたのお父さん?」

 さくらが聞く。

「食料の買いだめをしないと! こんなニュースが流れた後だと、パンとか米が全部無くなるぞ!」

 そういって和樹は、車を出す準備をする。

「普通は缶詰買うとかじゃないの? 別にパンの買いだめなんてしなくても……」

「今、動物から出来た食料品なんて薬物に汚染されてるに決まってるだろ。薬物を回避するには、植物を食べないといけなくなる! そうなると家庭菜園なら問題ないな……。急いでスーパーとホームセンターに行くぞ!」

 和樹は急かすように、さくらと吉斗を車に乗せる。

 和樹の予感は的中する。近所のスーパーやコンビニには、動物を使っていない食料品を求めて人が殺到していた。

 パンコーナーは既に空っぽ、逆に鮮魚コーナーや精肉コーナーはほとんど手がつけられていなかった。

「クソッ、一歩遅かったか……。ホームセンター行くぞ!」

 スーパーでは何も買わずに、一家はホームセンターへ向かう。家庭菜園コーナーは人だかりが出来ており、苗や種を求める人々が暴動のように争っていた。

「吉斗! 飛び込んででも種を買うぞ!」

 和樹は、人だかりをかき分けて苗を取りに行く。

 その光景を見た吉斗は、恐怖に包まれていた。

「狂ってる……。こんなの治安国家がやっていいことじゃない……」

 吉斗は、まるでゾンビパニック物を観ているような気分になる。現実感をどこかに置いていってしまったような、そんな気分だ。

 結局吉斗は、飛んできた種の袋を手にすることで、難を逃れたのであった。

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