公平ではなく平等に-2

「───……_! ─_!」

「うわっとぅ」

 俺の顔を見て目が覚めたのか、こちらを見た瞬間に飛び退く。

 すぐにポケットからナイフを取り出そうとして、サラがそれを持ってることに気づいた。取り返そうと飛びかかったみたいだが、サラに片手で容易く抑えられてしまった。

「…………」

 一瞬戦闘態勢を取りそうになったが、影狼が椅子に座ったままスマホを眺めているのを見るに、どうやら危険はないらしい。


「ほーら、まず落ち着いて。私たちは敵じゃないし、殺すつもりもないから。

 昨日一人殺したんだし、今は殺さなくても平気でしょ?」

「──────…………」

 少女は警戒してるのか、黙って俺たちを順番に見ている。

……いや違うな。口が動いてるのを見るに、本当は何か喋っているらしい。声が聞こえてないだけだ。


「……───……」

「ね? ほら、私たちは何もしないから。

 まずは落ち着きましょう?」

「…………───」

 不服そうな、少し怯えたような、そんな表情で少女は頷いた。具体的に何を考えているのかは読めないが、とりあえず納得はしてくれたらしい。

 少女が部屋の隅へ駆けていき、体育座りでそこへ座り込む。


「……どうしようかしら、これ」

「自己紹介だろ、まずは。知らないんだし、お互いのこと」

「あ、そうね!

 私はサラ。さっきはごめんなさいね」

「…………?」

 少女は何か反応を返しているらしいが、読唇術を学んでいない俺では残念ながらその意味まではわからない。

「……ま、いいか。

 俺は佐季。俺も、さっきはすまなかったな。そんで、コイツが影狼」

「───……。───……」

「…………えっと、」

───流石に、このままじゃコミュニケーションが難しすぎる。

 言葉ってのは本当に便利なツールなのだと再確認した。どちらか片方が使えないだけでひどく不便だ。


「なぁ、サラ。彼女の言ってること、なんとかわかるようにできないか?」

「ん〜無理ね。この声が聞こえないの、彼女の色が暴走してるせいで起きてるし。それに制御するのもこれが精一杯よ」

「いいんじゃねそれは、別に。他に方法あるだろ、筆談とか」

「あ〜そうね。それがあったわ。

……ところで、その喋り方はどうにかなんないの?」

「精一杯だこれで。残念ながらな」

「そう……貴方も大変なのね。

───よし。貴方、名前はなんて言うの? これに書ける?」

 そう言って、少女に向かって筆談ボードを差し出す。

 が、しかし。少女はそれを睨みつけ、避けるようにより縮こまってしまった。


「……どうしよう。本当に警戒してるみたい」

「だな……」

 いや、まぁ、それも仕方がない。俺たちは(影狼を除いて)彼女を殺そうとしていたし、実際に俺は───その一歩手前までいったのだから。

 しかし、このままこれでは困る。せっかく用意したコミュニケーション手段も相手が警戒してるんじゃ意味がない。なんとか心を開いてもらいたいのだが……


「……なぁ、佐季。作れるか? 料理。

 手料理で、とびきり美味しいの」

「は? なんでいきな───あぁ、そういうことか」

 カゲの意図を理解し、キッチンへ向かう。

 冷蔵庫の中を確認して、俺は調理器具を取り出した。



♢♦︎♢♦︎♢



「よし。できたぞ」

 お盆に四人分のハンバーグカレーを乗せて、リビングへ運ぶ。

 時間的には……だいぶ遅いが、晩飯ってことでいいだろう。深夜というのはこの際気にしないことにした。

 影狼に出された「とびきり美味しいの」という注文は難しかったが、まぁ……多分満たせているだろう、と思う。


「……ほら、どうぞ」

 目線をなるだけ少女に合わせて、お盆ごと料理を差し出す。

 予想していた通り、少女は手をつけない。そもそも彩化物に食事は必要ないのだから、確かに手をつける理由はないだろう。まぁ、サラはきらきらした満足げな表情でハンバーグを頬張っているのだが。


「……─────」

「おっ」

 しかし、サラのその遠慮のなさが功を奏したのか、少女もゆっくりとだが、お盆を自分の元に引き寄せた。

 匂いを嗅いだ後、小さくとはいえ目を見開いて、ハンバーグに手をつける。

 どうにか、これで心を開いてくれたら───

「───ってちょっと待てちょっと待て!」

「───……_?」

……驚いた。この子今、素手でハンバーグを掴もうとしてたぞ。

 スプーンもフォークも用意してないわけじゃない。なのに素手でいこうとしたってことは……多分、この子には食器って概念が存在していないのか。


「それ、フォーク。俺も持ってるこれ。それ使って食べな。

 使い方はわかるか? こうやって突き刺して食べるんだけど……」

「……───? …………!」

 実演しながら教えたことで、どうやら理解してくれたらしい。

 食べ方は少し行儀が悪いが……素手でいくよりは幾分かマシだろう。

「───………………! ───!」

 少女は目を輝かせて、ものすごい勢いでハンバーグを食べ終える。

 残ったカレーも、さっきのようにスプーンの使い方を教えたらすぐに残さず食べ切った。


「って、あ〜あ〜口に汚れが……」

「ほら、こっちに顔むけて」

「──────」

 あんなにがっついて食べたからだろう。少女の口元がソースで汚れているのを見て、サラがナプキンで拭き取った。

「……ん? え?」

 ちょっと待て。あまりにも自然すぎて一瞬気がつかなかったが、今、間違いなく少女に触れたよな?

「なによ、佐季。どうかした?」

「…………?」

「あ、いや、なんでもない……」

 サラは明らかに白々しい顔をしているが、少女は逆にキョトンした顔でこちらを見つめている。

 まぁ、なんだか釈然としないが……これは、心を開いたと言っても、良いだろう。


「んじゃ洗うよ、俺が。食べ終わったやつ、お皿」

「あ、あぁ。ありがと、カゲ」

 いつの間にかお皿を回収していたカゲが、キッチンへ向かっていく。

 こういう時、先回りして色々してくれるのは毎度のことながら本当に助かる。本当、痒いところに手が届く相棒だ。




「それじゃ、気を取り直して……貴方の名前は? これに書ける?」

「───……──」

 少女はおずおずと、筆談ボードを手にとって書き始める。

 まだ少し警戒している部分はあるみたいだが(特に俺に対して)───まぁ、これ以上はこれから少しずつ慣らしていくしかないだろう。


……ところで、俺は若干嫌な予感がしているのだが───

「───おぉっとぉ」

「やっぱりな……」

 少女が自分の名前を書き終え、こちらへその筆談ボードを向ける、が───。嫌な予感が的中した。

「……この感じ、多分だけど教育を受けてないな?」

「まぁ、でしょうね……うん。これ、え〜っと……“あい”?」

「───」

 少女はコクコクと頷いた。どうやらこの子の名前は『あい』と言うらしい。

 それが本来は漢字の名前なのかどうかはわからないが……とりあえず名前がわかっただけでも僥倖ぎょうこうだ。


「え〜っと、それじゃ……貴方、何歳?」

「───!」

 “あい”は指を「V」と「|」の形で、元気よく突き出した。

 これは21……あぁいや、逆か。この子から見ればこれは“12”だ。

……いや、マジか。身長から考えてせいぜい小三か小四ぐらいかと思ったぞ。

「え〜っと、12歳?」

「_─_」

「……誕生日はいつ?」

「……〜?」

「え〜っと、5月? ひづけ……何日かわかる?」

「〜__」

 “あい”はふるふると、首を横に振る。

 誕生月は5月。今は7月。それから考えるに、この子は本来ならば小学6年生で、知識や文字、誕生日を知らない(覚えていない?)ことからおそらく……


「……あいちゃん。お父さんとお母さんはいるのかな? それか、兄弟とか」

「…………」

「そうか……うん、ありがとう。……やっぱりな」

 “あい”は少し強張った表情で首を振った。大方予想通りだ。


───おそらく、この子は孤児。

 捜索届けを見た覚えもないし、誰かと一緒に暮らしてたとてその人物は届け出を出すような人じゃないらしい。ただ、人を警戒こそしていたものの料理一つで懐柔されたのを見るに虐待を受けたような経験はなさそうだ。




「……まぁ、まだ聞きたいことはあるが───うん。一気に色々なことを聞かれても困るだろうし、何より俺の頭が痛くなり始めたので今日はこんなところでいいかな。

 あとはまぁ……この子をどうするか決めないとなんだが───」

「それなら、今夜は私が面倒を見るわ。

 色々聞いたりして仲良くなるつもり。少しうるさくても平気?」

「まぁ、別にいいよ。仲良くなるつもりなら……あそこ、ゲームとか漫画とかあるから自由に使ってよし。

……それじゃあ、俺は歯磨きして寝るよ」

「はーい」

 言いたいことや聞きたいことはまだまだあるが、この子が犯人じゃないとわかった今、わざわざ急いて行動する必要はない。

 詳しいことは明日以降でも構わないだろう。濃霧と血痕についてはもう解決したわけだし、後のことはサラに任せておく。封印装置首輪が付いた今、仮に少女が暴走しようとサラが負けることはないだろうし。


「それじゃまずはお風呂に入りましょうか。なんだかんだ血とかで汚れてるしね」

「───? ……! ───、───?」

「ん? え〜っと……“おふろってなに”?

 あ〜。えーっとね、綺麗にしましょうねってこと。さっぱりして、すっごく気持ち良いわよ」

「───!」

 サラに連れられ、“あい”も脱衣所へ入っていく。もはや、この家のものを使うのに許可さえ取ろうとしていない。まぁ、サラにだったら勝手に使われたって別に構わないんだが───


「───あ」

 待て。今脱衣所に入られるのは面倒だ。俺の歯ブラシは脱衣所にある。

 別に待てばいいのだが、今の俺は頭が痛く、く寝たい。

「ん。佐季!」

「ん? ───うぉっ、と」

 と、キッチンから投げられた何かを掴む。

 見ればそれは、歯磨き粉の付いた歯ブラシだった。

「口ゆすげ、シンクで。片付けとくよ、後で。置いといてくれたら、俺が」

「……お前、本当に最高だよ」

 カゲの直感と行動に感謝して、歯ブラシを口に突っ込む。

 さっさと歯を磨いて口をゆすぎ、俺はベッドへ向かった。

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