煙に巻かれて-6

「───それで、こうなったわけだが」

 作戦会議を終えた俺たちは、玄関で準備をしつつ作戦の振り返りを行う。

 暗視ゴーグルと胸元の無線機、細かな武器を携帯し、霧の対策は思いつく限り用意できた。

「一応聞いとくが、本当に効果あるんだよな……?」

「ある。と、思い込みなさい。思い込めるかどうかも効果に関わってくるから。

 特に無線機はお互いの位置を知るのにも大事よ」

「そうか、じゃあ、頑張ってみるよ」

 実際、有効かどうかと聞かれると疑問の方が大きいのだが、それでも彼女が言うからには試してみるしかないだろう。

 思い込むこと───に関しては俺は得意な方だと(少なくとも自分では)思う。なのでまぁ、そこはあまり心配する必要はなさそうだ。


「よし、それじゃ準備も終えたことだし。そろそろ……」

「あ、待って。一応最後に少しだけ、事前に確認しておきたいことがあるの」

「ん、なんだ?」

「もし今回の霧が常時展開型の彩蝕世界なら───多分、貴方と共鳴すると思うの。

 だから、霧の中に入った時に共鳴したかどうか教えてくれると助かるわ。もし共鳴したなら彩蝕世界で確定だし、そうなったらもう私がある程度傷付いて世界を展開すればいいからね」

「あぁ、なるほど」

 もし相手が“固有色”だった時の対処策か。

 そういえば忘れていたが、今回の相手はサラにとっても未知の相手だ。つまり、それが固有色かどうかの情報も勿論存在しない。

 となると、判断基準は確かに重要だ。言い方からして殆ど“あたり”はついているのだろうが、前回それで痛い目を見たから慎重になっているのだろう。


「───わかった。参考になるかもだし、もし共鳴したら所感も交えて伝えることにするよ」

「ん。ありがとう、助かるわ。

 伝えておきたかったことは以上よ。それじゃ、行きましょうか」

 サラが扉を開け、庭へ出て結界に触れる。

 透明な結界越しに星空すら見えぬほど暗く立ち籠めた濃霧が見えているが、それを気にする様子もなく、彼女は短く「“定義撤回”」と呟いて結界を消滅させた。

 硝子の霧雨ダイアモンドダストのように空気と溶け合おうとした結界を待たず、あお暗い濁流のように庭に濃霧が流れ込む。

「うわくっら! ゴーグルなかったら何も見えないわよこれ」

「あぁ、対策がちゃんと役立ったようで良かっ──────」

───瞬間、俺の脳に“こえ”が流れ込む。




“────────────”




「……はぁ?」

「なに? どうかしたの?」

「あぁ、いや……」

───

 確かに色は感じた。声を聞いたはずだ。しかし……肝心の言葉が、一切聞こえなかった?

 なんというか、こう……不気味な感覚だ。


「……共鳴したのね?」

「あ、あぁ。けど変だ。確かに声は聞こえたのに、音が全くもって聞こえなかった。

 声は聞こえたのに音が聞こえず、言葉もわからなかったってのが言ってて自分でもよくわからんが……」

「いいわ。とりあえずコレが彩蝕世界なのは確定したわね。

 音や言葉が分からなかったのは、多分、情報が消されたんでしょう。

……本心の情報すら消すなんて。制御ができていないのかしら?」

 サラが口に手を当て目線を下げる。この感じからして少々異常事態イレギュラーが発生しているらしいが、だからと言ってそもそも平常ノーマルを知らない俺にとってはどちらだろうがさして問題はない。


「さぁな。とりあえず、判別がついたならさっさと向かおう。

 場所はわかるか?」

「モチモチのロン。そのための対濃霧装備よ。

 サーモグラフィーと暗視ゴーグルの力で消された匂いがギリギリ視えるからね」

「なんでカメラを着けて匂いが、ってのはもう野暮か……」

 そもそも「匂いが視える」という表現が俺の常識からするとおかしいんだ。正直こういうのは何度も見てきたが故、少々今更な感じもしてそれ以上の追求はやめた。


 サラは影からバイクを出現させ、それにまたがる。エンジンを吹かし、彼女はこちらに向かって小さく手招きをした。

「えっと……やっぱバイクで行くのか?」

「え?うん。まぁ小回り利くし、何より速いからね。というか、ほら。早く乗りなさいよ」

 サラがバイクのエンジンを鳴らし、若干苛立った顔で催促してくる。

 しかし、どう考えてもこのバイクは法定速度どころか機体の限界速度を超えて走るだろう。今朝もそうだったが、よくよく考えてみればこれまで彼女が法定速度を守って走行したところを見たことがない。

「……走ったりとかじゃ、ダメですか?」

「“ Time is money時は金なり ”。いーから早く乗りなさい!」

「うっあぁ……」

 やはりできるなら乗りたくはないが、彼女の言う通り時間は無駄にできない。

 作戦会議で時間をとった関係上、もうゆっくりしている時間はない。仕方ないので、俺は彼女の後ろに座り手を回す。

「しっかり捕まってなさいよー!」

 その言葉に返事は返さない。どうせまた返事も聞かずに動き出すのだろうし、それなら下手に喋って舌を噛まないよう黙っておくのがいいだろう。

 そう思って黙っていると、彼女が不安そうな顔でこちらに振り向いた。


「……大丈夫? 調子悪い?」

「あ? いや、そんなことはないけど。

 返事して舌を噛むのも怖いし、それなら黙っておこうと思って」

「そう。じゃあ良かった!」

「えあちょ、──────っ!?」

 やはり俺の予想通り、彼女は俺が喋り終わるのを待たずに走り出す。

 どうして、こう、ちゃんと考えて行動した時に限って───ッ! そう怒りたくなる気持ちを抑え、俺は全力でしがみついた。



♢♦︎♢♦︎♢



───時速400kmは超えるバイクで街中を走り回り、藍紫色の“だれか”を探す。

 周りは本来なら1m先も見えないような濃霧に包まれているが、対策のおかげで少し遠くまでなら視界に問題はない。


「ん。そろそろ近づいてきたわね。

 パッと見つかるといいんだけど……───ッ!?」

 サラの息を呑む音が聞こえた次の瞬間、全身がすごい勢いで上に引っ張られ、そのままサラと一緒に宙に放り出される。

 何がなんだかわからず混乱していた俺は、背後で小さく鳴った爆発音を耳にしてなんとなく状況を理解した。


「───っ、『』!」

「うぉあ───!?」

 サラの腕から伸びた緋色の液体が俺の腕を掴み、そのまま引っ張られて彼女に抱き止められる。

 てっきりそのまま転がるかと思って身構えたものの、彼女はなんなく着地してみせた。

「た、たすかった……ありがとう」

「なんだ。貴方、受け身も取れるんじゃない。損した気分ね」

「あの速度で投げ出されたら関係なしに死ぬわ!」

「冗談に決まってるで───あっぶな!?」

 サラが咄嗟に飛び退き、灰色の靄だれかが地面を斬りつける。

 そのだれかは俺たちに追撃をすることはなく、すぐさま何処かへ隠れてしまった。


「やっと見えた、けど。想像してた倍は速かったわね。今の私じゃ肉眼で追うのが精一杯かも。気を抜いたら見逃しそう。

 佐季、貴方は?」

「……正直なところ、俺もギリギリ追える程度なんだが」

「え、うそ。貴方もギリギリで見えてるの?

……無傷とはいえ、私の方が反応できると思うんだけど」

「やっぱだよな、おかしいよな」

 ここ数週間で嫌と言うほど実感させられたことだが、サラの言う通り、基本的には彩化物の方が人間よりも

 視力は勿論、反応速度や見分ける力が段違いに優れている。それは無傷でほとんどの力を制限されたサラでさえ俺とは比べ物にならない程だ。

 サラ曰く、魔物と動物の身体構成が根本から違うのが原因らしいが……それは今どうでもいいか。


「───つまり、だ。アレは“速い”んじゃなく、何か別の仕組みが関わってるんじゃないか?」

「そうね。私もそう思うわ。

 じゃあまずは解明を目標に動くのが良さそうね。よし、それじゃ様子見も兼ねて、『テンペ───っ!?」

「危ないッ!」

 咄嗟に、サラの胸元に迫った刃物ナイフを弾きあげる。

 すぐさま追撃しようとしたが、一瞬のうちに、だれかはまたも姿を消してしまった。


「くそっ、また見逃した!」

「大丈夫。ありがとう、助かったわ。

 今ので追撃が間に合わないあたりやっぱり“速い”んだけど……だとしたら私たち両方が同じ認識をする理由がわからないのよね……」

「それよりもまず、アイツの奇襲を防がないと話にならないぞ。

 今のはどう見ても、能力使用の瞬間を狙ってた。下手に行動すればカウンターで死ぬぞ」

「わかってるわよ。こーゆーときのために貴方がいるんでしょ。

 私は攻撃に徹するから。迎撃、頼んだわよ」

「……はぁ!? おま、ちょっと待───「『テンペラ』!」───話聞けェ!」

 再度、今度は背中側から迫った刃物ナイフを弾きつつ、同時に攻撃する形で反撃を試みる。

 しかし、やはりと言うべきか……今度も、その攻撃は空を切った。

 追撃だと言わんばかりに緋色の槍が降り注ぐが、それもやはり当たらない。


「いくらなんでも、毎回ピンポイントで迎撃するのは無理がある!」

「この前教えた新技があるでしょ」

……あぁ、そっか。それがあったな……」

 ついこないだ、サラに教えられた技術。確かに、それを使えば迎撃自体はできる。

 ただ───

「───アレ、頭が痛くなるんだよなぁ……」

「言ってる場合?」

「わかってるわかってる。やらないと死ぬからな、出し惜しみはしないよ」

 そうは言っても、流石に覚悟が要る。

 眼を瞑り、深呼吸をして、「よし」と、踏ん切りをつけ、その“単語”を呟く。






「───『』」


 瞬間───頭蓋の内側から釘に刺されたような痛みで脳が侵され、世界が黒に潰れていく感触がする。

 広がった“黒”の中、不遜にも割り込む色水色の混ざった灰色に景色を描き、その通りにカラダを動かす。

「………───_!」

「っ───!」

 あらかじめ動きは視えていた。故に完璧に、(まるで“言葉”に導かれるように)、だれか の攻撃を防ぐ。




……これが、

 と言っても、やってることはただの“詠唱”だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 どうもサラ曰く「魔術は概念の認識を強めることで効果が増す。だから自分に言い聞かせる行為である“詠唱”を使って、魔術の効果やその範囲を強化する」とのことらしく、詠唱することで『解変の黒』を強化しているのだとか。


 とりあえず一旦仕組みやらなんやらの詳しい話は置いておくとして、最終的にやってることは“詠唱で『解変の黒』を強化し、半径およそ7.2m範囲全てを景色として認識する”というもの。

 簡単に言えば“眼を瞑ったまま気配を察知しつつ景色をなぞれるようになった”、みたいな話だ。

 ただ、この「認識を強める」という行為は脳に負担を与えるらしく、知恵熱のように頭がズキズキと痛んでしまう。正直シャレにならない痛さだ。

 しかもその「認識を強める」───サラの言葉を借りるなら、“魔術的な思考”───に不慣れな俺は、眼を瞑って集中しないとまともに扱うことができない。そのせいで、景色で描ける範囲の外にあるものは完全に見えなくなってしまう。


 色々欠点や弱点が多く、何より頭が痛くなるためあまり使いたくはない。しかし、それでも使わずに死ぬよりは遥かにマシだ。

 痛みで強張る身体を無理やり動かし、防いだ はもの を弾き飛ばす。

 できるだけ景色を動かさないよう、反撃はできない。だからこそ、

「サラ!」

「もちろん!」

 俺の横から緋色が現れ、景色の外へ出た灰色を追いかける。

……景色の外が認識できないのと彩化物は色付きのシルエットでしか認識できないのはなんとかしたいな。


「……当てたか?」

「外した! というかなんか、すり抜けた? 何かわかりそうかも」

「了解。んじゃ何かあったら言ってくれ。集中する!」

 まぁ、ともかくだ。これで反撃の手段は決まった。

 霧の仕組みについてはサラに任せるとして、俺は防御に徹する。

 仕組みがわかれば今度こそ本格的に反撃開始だ。頭痛に耐えつつ、俺はナイフを握りしめた。

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