第一章

煙に巻かれて-1

───目覚ましの音が聞こえる。

 しかしそれは普段使っている時計のものではなく、机に置いてあった携帯から鳴っていた。

 ビクリ。と身体が反応し、俺は机から顔をあげる。


「───う゛ぁ゛……」


 ギシギシと痛む体に、自分でも驚くような掠れた声が漏れる。

 まだまだ瞼は重たいが、二度寝するのはマズい。このまま寝てしまう前に、俺は椅子から立ち上がることにした。


「えっと……目覚ましは何時に設定したんだっけ……」

「8時。学校に行く準備ができるギリギリの時間」

「うぉっ……と」

 頭上から突然聞こえた声に、思わず体をビクりとさせてしまう。

 しかし俺は、すぐにその声の正体を思い出した。


「……おはよう、サラ」

「えぇおはよう。佐季」

 全身まるっと緋色の衣装に身を包んだ彼女は、天井から上半身だけを覗かせて笑った。

 なお、“上半身だけを覗かせて”というのは“身を乗り出している”、という意味ではない。彼女の下半身は天井の中におり、まるで、ゲームでバグって建物を貫通した時のようだ。


……見た目がホラーなので個人的にはやめてほしいところだが、これでもに比べると遥かにマシになったので、これぐらいは目を瞑っている。




「さて、私も降りますか。……よっ───と」

 彼女はそのまま滑るように落下し、一回転して着地する。

 落下した距離と速度からは考えられない───というより、本来ならありえない静かで可憐な着地を見せ、そして何事もなかったかのように、大きく“のび”をした。


「ん〜……! はぁ……。

 昨日は夜遅くまでお疲れ様。情報収集で三時過ぎまで起きてるとは恐れ入ったわ」

「まぁ、そうは言ってもこれも土地の領主としての仕事だからな」

 放置されて真っ暗スリープモードになっているパソコンのマウスをクリックし、指紋認証でログインする。

 『“霧の殺人鬼事件”についての情報』と書かれたメモ帳を数秒ほど眺めて、俺は画面を閉じた。






「…………よし。とりあえず、顔洗ってくるか」

「はーい。あ、学校の時間、かなりギリギリだからね。急いで準備しなさいよ?」

「わーかってるよ」

 脱衣所に移動し、洗面台で軽く顔を洗う。

 何故か二つある歯ブラシやコップの片方を手に取り、ついでに歯磨きも済ませてしまう。言わずもがな、それはサラの私物だ。


 サラと出会ったあの事件を解決して以降、彼女とは半分同棲状態に近い生活をしている。

 別に彼女が家を追い出されたとか、建物ごとなくなったとか、そういう事情は一切ない。彼女も普段は自分の家で暮らしているらしく、俺が家に帰ってくる時間帯から遊びに来ているだけだ。


 何も言わずに当たり前のように居座っているのは最初こそ驚いたが、流石に毎日のようにそれが続けば慣れてしまった。今ではむしろ、彼女がいない日の方が珍しくなってきている。

 よく考えれば、今のこの状況はあまり健全とは言えないと思うが……そこは深く考えた方が負けな気がした。



♢♦︎♢♦︎♢



「あー……結構ギリギリだな」

 制服に着替えバッグを持ち、靴も履いて準備が終わった頃。時計の針が9時を回っていることに気づいて少し焦る。

「だから急いで準備しなさいって言ったでしょー?

……仕方ないわね。ちょうどいいし、私が送ってってあげる」

 そう言って、サラがバイクの鍵を取り出した。

 そのまま彼女は俺の横を通り、ドアを開けて庭へ出る。

「え、いや大丈夫だよ。流石にこの距離だ、少し走れば間に合う」

「いいからいいから。どうせ昼まで私も暇だし、これぐらい構わないわ」

「いやでも……」

 遠慮している俺の声を無視して、彼女は影からバイクを取り出してそれに跨る。

 流石にここまでこれば、むしろ断る方が失礼だろう。俺は諦めて、彼女の誘いに乗ることにした。


「鍵閉めた? それじゃ飛ばしていくわよ」

「あぁ。……待った。お前、せめて法定速度はまも───っ!」

「レッツゴー!」

 嫌な予感がして釘を刺そうとした俺を遮り、彼女はバイクを発進させる。

 時速80kmは優に超える速度で動き出したバイクは、そのまま学校へ向かって長い道を直進した。

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