終章

日常はもう

  小鳥のさえずりが聞こえる。

 カーテンの隙間から明るい光が射し込む。もうすでに正午を過ぎているかのような明るさに、思わず右手で目を隠した。

「いつっ……」

 突然、右腕から脳へ“痛み”の信号が送られる。

 痛み自体はそこまで大きなものではなかったが、それとは別に違和感を感じた。


───まるで、“自分のモノではない”ような感覚。


 例えるなら、それはラジコンを操っているかのような。

 間違いなく自分の意思で動いているのに、自分ではないナニカを動かしている感覚。


……なんだか気味が悪くなって目が覚めた。


「んん……」

 毛布を押しのけて起き上がる。

 部屋の中は薄暗く、唯一カーテンから漏れた光が正面の壁を照らしていた。

「今日って何曜日だっけ……」

 なんだか脳が働かず、普段通りにうまく思い出すことができない。

 曜日を確認するためにスマホを探そうとして、スマホの場所が思い出せないことにも気づく。

「寝る前にスマホどこ置いたっけ……ってか、そもそも寝る前なにしてたっけ……?」

 うまく回らない頭で、寝る前に何があったのかを思い出す。

「昨日は確か……何か目的があって街へ出かけて、それで……街には濃い霧が立ち込めてて……街は緋くて───っ!」




───そうだ……俺はを殺したんだ。




「い、いや待て……それはそれとしてなんで俺は家で寝てるんだ……?」

 俺の記憶では、彼を殺した後はそのまま倒れ込んで気絶したはずだ。

 少なくとも、それ以降の記憶はない。

 倒れている俺を見つけて誰かが運んでくれた可能性はある。が、その場合、多分俺は病院で目覚めているはずだろう。

 俺は死にかけながら彼を殺したわけで、全身火傷だらけで特に右手なんかはこれ以上ないぐらいに粉砕されていたはずだ。


───それで思い出した。俺の右腕、なんで無事なんだ?

「そうだよ……確かあの銃を撃った時に嫌な音を立ててぶっ壊れたはずだ……。

 なのになんで俺は何事もなく右腕が使えてんだ……?」

 厳密に言えば、何事もないわけではない。

 先ほども感じた違和感がある。これの正体はわからないが、どちらにせよ右腕が無事である事実は変わらないだろう。


───もしかしたらアレは夢だったのだろうか……?

 高所から落ちる夢を見ると現実でも落下していく感覚がするように、夢の中で右腕が壊れたから右腕に違和感が残っている……という可能性もある。

 だがしかし、それが夢だとするのなら当然、『氷霧の吸血鬼事件』全てが夢だったことになってしまう。

 あの真っ白な世界きおくも、凍えるような悲しみも、燃えるような情熱も。

……それに何より、緋色の彼女も。

 それだけは、どうしても信じられなかった。




「ヤッベ頭痛くなってきた……」

 考え事のしすぎなのか、頭がズキズキと痛み始める。

 普段ならそんなことはないはずなのだが、何故だか脳が稼働を拒んでいる。

 まるで「これ以上の負荷をかけるな」とでも言うように、思考がゆっくりと停止していった。

「なんでこんなに頭が痛いんだ……」

「そりゃあ、頭の中身まで焼かれたからじゃない?」

「ぅえぁッ!?」

 背後から突然声が聞こえ、気を抜いていた俺は驚いて素っ頓狂な声をあげる。

 無防備な隙を晒し、そのまま俺は尻餅をついた。


「いっつぁ……」

「あらごめん。ほら、掴まりなさい」

 声の主が手を差し出す。

 反射的にその手に掴まろうとして、聞き覚えのある声だと気づいた。

「───サラ!?」

「はい、私がサラだけど。どうかした?」


 そこには、全身緋色の“彼女”がいた。



♢♦︎♢♦︎♢



「アレが夢?

 私との輝かしい共闘が夢なわけないでしょ」

「輝かしい……?」

 泥臭いの間違いではないだろうか。

 なんとかなったとはいえ、サラも俺も数え切れないぐらい死にかけた。

 それが「輝かしい共闘」だと、少なくとも俺は思えない。


「終わりよければ全てよし。

 世界中の各地に残る輝かしい英雄譚だって実際のところはどうだったのかわからないでしょ。それと同じよ。

 あとから話を盛って誇張すれば、それは輝かしい英雄譚になるの。死人に口なし、勝者が歴史を創るってね」

「その論理自体は否定しないが、お前は一度学者や歴史に怒られた方がいいと思うぞ」

 少なくとも先人に対して不敬だろう。

 歴史に対する敬意というものを一から叩き込まれてほしいと思う。




 しかし、やはりあの一連の出来事は現実だったらしい。

 何度も死にかけた恐ろしい体験のはずなのに、それを知って俺はなんだか安心した。


……だが、それだと疑問が残る。


「なぁサラ」

「ん、何?」

「俺の右腕、なんで無事なんだ?

 俺の記憶が正しければ、あの銃を撃った時に粉々に壊れたはずなんだけど」

「あーそれね。私が直した」

「……は?」

……何言ってんだコイツ。


「治した? あの傷を?」

「いや、そうじゃなくて、

 この場合は治療じゃなくて、修理の方ね」

「修理ィ??」

 いよいよ本当に意味がわからなくなってきた。

 あのとんでもない傷───傷というか重傷───を治すだけでも常識外のことをやっているのに、それをコイツは「治療じゃなくて修理」と言っている。

「なぁ、俺の体って“人体”だよな?

 なんで“修理”って単語が出てくるんだ?」

「だってその腕、私が作ったやつだもの。

 あなたの右腕を切断して、私が新しいの作って、接着! って感じで直したから。

 治療というより、修理の方が意味合いとしては近いでしょ」

───は?


「───ちょ、ちょっと待て。

 この腕、俺の腕じゃないのかよ⁉︎」

「そうよ。少し違和感があるかもだけど、馴染むまで辛抱しなさい」

「あ、やっぱこの違和感はそういうことだったのか……」

 どうやら、俺が右腕に対して抱いた「自分のモノではない」という違和感は正しかったらしい。

 最初から俺の腕じゃないんだ。そりゃ違和感の一つや二つ、あるのは当然と言える。

「ちなみに、馴染むのにはどれぐらいかかるんだ?」

「ざっと二週間ぐらいじゃない?」

「思ったより早いんだな。てっきり数ヶ月とかかかるものかと……」

「まぁ私が作ったモノだからね。貴方の血も参考にしたから遺伝子配列とかも一緒。

 流石に形状や重量まで完全一緒にはできなかったから、それに体が慣れるまでの話よ」

「なるほどな……」

 遺伝子配列のレベルで再現できることに驚くが、そもそも彼女は物理法則を勝手に捻じ曲げたりしていたことを思い出す。

 それに比べれば、腕を作って接続する程度、なんてことはないのかもしれない。


 痛みに気をつけながら右腕を動かして違和感に慣らせていると、サラが若干引いた顔で話しかけてきた。

「……やっぱり前から思ってたけど、貴方ちょっと話を飲み込むの早すぎない?

 普通ならもっと驚いたり怖がったりすると思うのだけど?」

「そうか?

……まぁ、小さい頃から異常現象は結構たくさん経験してきたからな。そういうことに耐性があるんだろ、きっと」

「単に興味がないだけじゃなくて?」

「それは……」

「否定しなさいよ。貴方の腕が別物になってるのよ?

 普通、関心とかがないとおかしいでしょ」

「でも慣れりゃ元通りなんだろ?

 後遺症とかがあるわけでもないし……なら別に良くないか?」

「あのねぇ……まぁいいか。

 貴方のそういうところを気に入ったんだし」

 サラは短くため息をつく。

 なんだか苦笑しているようにも見えるが、その理由まではわからなかった。




「あ、そういえば」

「ん?」

 サラが薬やら何やらを取り出しながら、思い出したように声をあげた。

 俺は彼女の持ってきたお茶を飲みながら反応する。

「貴方ってここの領主だったのね」

「ゴフッ───!?」

 あまりにも唐突すぎて思わず咽せる。

 どう考えても、そんな「あ」から始めていいような内容ではない。

「……せめて前置きとかなんかあるだろ普通!」

「ごめんごめん。

 で、領主ってことは当たってるのね」

「……まぁ、隠す理由もないし別にいいか。

 そうだよ。と言っても、正確には領主じゃないんだけど……やってることは領主と変わらないからそこはあんまり関係ない。

 俺の一族が代々『帆布市』の管理者をやっていてな、その息子である俺も数年後にはそれを引き継ぐ予定だから……実質的には俺はこの街の所有者とも言える」

「やっぱりね。苗字を教えなかったのはそれが原因?」

「まぁ、そんなところ。『秋宮』とこの街の関係を知ってたら面倒なことになると思ったから、一応な」

「ふ〜ん。なんかこう……ムカつくわね」

「なんでだよ!?」

 そんな突然よくわからない理由で苛立たれても困るが、なんだかムスッとしているのは確かだ。

 少々納得いかないが、ここは一旦謝っておくのがいいだろう。

「まぁそのなんだ……すまなかったな」

「別にいいわよそのぐらい。そんなに器の小さい女じゃないわ、私」

「いや十分小さい方だと思うが……」

「なんかいった?」

「いえなんでも」

 相変わらず、彼女の冷たい笑顔は非常に怖い。ここは早々に話題を切り上げた方がいい気がしたので、これ以上の言及は避けることにした。




「あ、そうそう。こっちも言おうと思ってたんだけど」

「なんだ……? また爆弾発言するつもりか?」

「今度は真面目な話よ。貴方の処遇についての話」

「俺の……しょぐう?」

 確かに真面目そうな話題だが……その内容が読めない。

 処遇を問われるようなことをした覚えはないのだが……

「固有色をただの人間が倒しましたーって噂が広がって、すごいことになっててね。

 とりあえず私の管理下に置くってことで解決はしたから、それを伝えておこうと思って」

「……は?」

 突然の意味不明な報告に思考がフリーズする。

 サラの管理下に置かれる? ちょっと言ってる意味がわからない。

「私としても悩んだんだけど、こうするしかなくてね。

 だからまぁ、これからもよろしく」

「───ちょ、ちょっと待て!

 言ってる意味がわからない! ちゃんと説明をしろ!」

「えーっとね、詳しく話すと長いから簡潔にまとめるけど……」

 サラはそう言いながらホワイトボードを出現させ、それに事の経緯を書き始めた。


『貴方がフローゼンを殺したことが伝わる

         ↓

 黒の解変を持っていることもバレる

         ↓

 固有色を殺した上に黒の解変を持っている人間を野放しにはできない

         ↓

 魔術関係の色々な組織が貴方を狙い始める

         ↓

 すでに組織に所属している場合は迂闊に手を出せない

         ↓

 私は強いし立場的にちょうど良いので私の管理下に置く』


「事の経緯はこんな感じ。

 うちの組織はホワイトだし、私に口出しできるような人なんていないし、仕事はあってないようなものだからこれまでと生活は変わらないわ」

「そういう事じゃないんだよなァ……俺が領主ってこと知ってるんだろお前は」

「知ってるけど、これ以外の方法がなかったから仕方なく……だから、ね?」

「ね? じゃねぇよコノヤロウ」

 あまりの状況に本気で頭を抱える。

 この上なく面倒な事になったが、この感じでは今更どうしようもないだろう。

 それにサラの言ってることが本当なら、俺が一人でいる現状は確かに危険であり、組織に属することでその危険を抑えることができるのは理解できる。

 が、いくらなんでも急すぎる。それに俺の了承を一切得ていないにも関わらず、コイツは独断で勝手に俺のことを管理下に置いている。

 いくらなんでも手際が良すぎるだろう。それにそもそも、そんな噂がなんで流れる事になったんだ。考えてみれば、あれを見ていたヤツがそんなにいるとは思えない。


……待て、まさかとは思うがそういうことか?


「おいサラ」

「何?」

「これ全部、最初から仕組んでたな?」

「……死にかけたのは本当に事故よ」

「ほぉ〜。死にかけたの“は”事故なんだな?」

「正直、フローゼンは予想以上にすんごく強かったから。殺した後は大体予定通りにできたけど」

「じゃあやっぱり噂流したのお前じゃねぇかよ!!!!!」

 サラは「きゃー」と言いながら机の影に隠れる。

 しかし俺の反応も予想していたのだろう。その声は気が抜けたものだった上、笑顔で明らかにこの状況を楽しんでいる。

……こっちは本気で怒りたい気分なのだが。


「まぁまぁ、ほら。フローゼンは殺したけど、彼のせいで彩化物になった人がまだ残ってるし、彩化物殺しはこれからもやる必要があるでしょ? なんなら貴方の“黒”を狙って新しい彩化物もやってくると思うし、本部から補助を受けられるのはとてもいいメリットだと思うわよ。

 この街を守りたいなら打って付けじゃない?」

「勝手なこと言いやがって……」

 彼女の言うことにも一理あるが、それ以上に大量の文句が言いたい気分だ。


「私は貴方の黒色を調べる機会を得て嬉しい。貴方は街を守るための補助を受けられて嬉しい。

 ウィンウィンってヤツでしょ」

「普通そういうのは交渉してから決めるモンだと思うんだがなぁ!?」

 前々から思ってはいたが、コイツは本当に人の話を聞かないらしい。

 こっちのことを異常だ異常だ言ってくるが、彼女だって大概だと俺は思う。

「というか、出会い頭に私を殺しかけて、その後も何も言わず斬りつけてきた人が言える立場だと思う?

 互いのやったことで裁判したら私が勝つと思うけど」

「ウッ……それはそうかもだけど……」

 殺しかけたのは本当だし、斬りつけたのもちゃんと目的があったとはいえ事実だ。

 なんなら出会い頭の出来事に関しては本当に殺そうとしていたわけで、それを言われると俺は居心地が悪い。




「……とりあえず仕方ない。俺がお前の組織に入るのはわかった。

 色々と相談する必要はあるが認めてやる。

 ただし、やる事が全部終わった後、ほとぼりが冷めたらその時は辞めるからな。それだけ約束しろ」

「はいはい。つまり私はそれまでに調べないといけないのね。

 いいじゃない。俄然燃えてきたわ」

 サラは実に楽しそうな表情を浮かべている。

 対して俺の気分は最悪だ。相手がサラじゃなかったら今頃キレているだろう。


 そんな俺の気分を知ってか知らずか、サラは元気にこう言った。






「これからもよろしくね、佐季!」




「はぁ……こっちこそ、よろしく」






 太陽が傾き、美しい夕日となって部屋を照らす。

 その色は、目の前で笑う彼女と同じ緋色であった。

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