第三章
凍結氷城/銀の弾丸-◾︎
“───待て、頼む───”
此処は、何処だ。
“───置いていかないでくれ───”
蒼く、白い世界。
“───これ以上奪わないでくれ───”
そうか、此処は───
───ヤツの、記憶だ。
♢♢♢♢♢
“人類史としては12世紀にあたる頃。俺の村はとある危機に瀕していた”
“それはどこにでもあるような村だ。危機というものも、最もありきたりでそして……最も恐ろしいものだった”
『寒さ』
“単純にして、抗いようのない問題だ”
“特に、今年は例年よりも圧倒的に寒い。この寒さのせいで作物は育たず、家畜も多くが餓死や凍死をしてしまった”
“食べるモノはなく、
♢♢♢♢♢
「領主様、これを……」
「構わん。食べるがいい。
俺は先程食べたばかりでな、腹は減ってないのだ」
「しかし……」
「ありがとな。だが、大丈夫だ」
“無論、そんなことはなかった。今にも空腹で倒れそうなところを、強がってみせただけに過ぎなかった”
“村に食料は残っておらず、周りの村や遠い街から必死になって買い集めた食料を村の皆で分け合っている状況だ”
”俺はこの村がそして───その村に生きる
彼らのためなら、この命だって投げ出せた”
“しかし───”
「領主様、やはり心配です。そんな痩せ細った体で───領主様っ!」
“───体の方は、とっくに限界だったようだ”
♢♢♢♢♢
“目覚めてからは看病の日々が続いた”
“「そんなものはいらない」と言おうとしたが、■■■■に押し切られてしまった”
「旦那様、夕ご飯ができましたのでお持ち致しました」
「───なぁ、■■■■。我が
“自身の体すら満足に動かせない中、気がかりなのはその事だけだった”
「……えぇ。最近は少しずつですが食料問題も解決し始めていますので」
「そうか。それは───良いことだな」
“■■■■が嘘をついていることなど気づかずに。その時の俺は、不安を残しつつも安堵した
“そして、ようやく動き回れるほど回復した頃───”
「数週間ぶりの廊下だ。相変わらず薄汚れているが、使用人もいないのだから仕方ないだろう。
……それにしても、寒さは静まるどころか増す一方だな。ここにいても肌を突き刺すような寒さが───■■■■?」
“俺はそこで、廊下に倒れている彼を見つけた。
痩せ細った体で……あの時の俺のように、無理をしていたのだろう”
“決して、気付いていなかったわけではない。ただそれを指摘できるだけの余裕がなかったのと、■■■■の言葉に上手く煙に巻かれてしまっていた。指摘を躱すのは彼の
「だんな……さま……」
「動かなくていい。今俺が運んでや───」
「いいのです……どうせ、助かりませんから……」
「そんなことを言うな! 待ってろ、村の者に頼んで……」
「───いませんよ」
「……え?」
「村の者はもう、いません。みな死にました。生き残ったのは私と旦那様の二人だけです。それももう旦那様だけになりそうですが……」
「──────」
“その言葉に、俺は固まってしまった。突然告げられたその真実に、俺の心は耐えられなかったのだ”
“少しの硬直を置いて、怒りとも悲しみともわからない、ぐちゃぐちゃの感情が溢れ出た。
この感情がなんなのかわからないまま、そんなことを気にする余裕もなく、俺は溢れ出た感情に乗せて『叫び』を吐き出した。”
「まさか、まさか───生きていると言ったではないか! 食料問題も解決に動いていると言っていたではないか! なのに何故、何故!」
「すべて……ウソですよ……
……村の者全員の総意で、旦那様のために食料を使うと……それでは反対されるので、そうウソを
「あたりまえだ! そんなこと、知っていればさせたものか!
───なぜ……そんなことをした……俺は、お前達に生きて欲しかったのに……」
「同じですよ……旦那様、貴方と同じなのです……」
“涙を流す俺に、弱々しい声で■■■■が微笑んだ”
「私たちは……貴方に生きて欲しいのです。貴方が、好きなのです。
……問題が起きれば誰よりも真っ先に動く貴方が……脅威が現れれば誰よりも前線に出て皆を守る貴方が……誰よりもこの村のために生きる、誰よりもこの村が好きな、誰よりも優しい貴方が、みんな……みんな、好きなのです」
「ちがう……そうでは、ないのだ……俺は、俺はただ……」
“弱かったのだ。お前達がいない未来が考えられなかった。それを考えることが恐ろしかった……ただ、それだけだったのだ”
“しかしそれすらも見透かしたような顔で、■■■■は手を伸ばし、優しく俺の頬に触れた”
「最後に、
───生きてください。」
「ぁ──────」
“その言葉を最期に、彼の手が頬から落ちた”
“だんだんと、まるで熱を奪われているかのように冷たくなっていくその身体に、俺は『死』を実感した”
「ぁ……あぁ……あ……」
“俺はわけもわからないまま、彼の手を握った。しかしその手はもう既に冷たく、無慈悲に現実が突き付けられた”
“悲しみが、哀しみが、かなしみが、カナシミガ”
“どうしようもない、氷のように蒼白い感情が、俺の心を押し潰した”
“───それが俺の記憶”
“俺がこんなバケモノへと成るに至った───蒼白の記憶だ”
♢♢♢♢♢
「………………つまらないな」
ヤツの記憶を一通り見て、俺はそう零した。
“───待て。何故貴様が此処に居る?”
ようやく俺に気付いたのか、ヤツはその赫い眼を見開いて俺を睨みつける。
「俺も詳しくはないが、色の共鳴……だっけな。お互いの心の色が近いと、相手の内面を覗けるらしい。だから多分、それだろ」
“お前は黒のはずだ。俺の蒼白とは違う”
「黒は全部の色を混ぜた色だから、らしいぜ。まぁこれ以上は俺もわからないからいくら聞いたところで無駄だ。
……それより、今のがお前の記憶か。随分とつまらないものだったが」
“つまらない───だと?
───……あぁ、確かにそうだ。あんな記憶、つまらないことこの上ない”
「なんだ。わかってるじゃないか」
“あぁ───これがつまらない記憶だというくらい、俺にもわかるとも。
……だが。それでも、これが俺の根本なのだ。“悲しみ”に呑まれてバケモノへと変わった俺の、全てのきっかけにして、答え。それが───この記憶なのだ”
男は、目を瞑ってそう述べた。
確かに、あの悲しみが彼の中に大きな傷を遺したのは間違いないだろう。その証拠に、この世界はどこまでも悲しみに溢れている。
しかし───
「───嘘、だな」
“なに……?”
「お前がこんなバケモノに変わったのは“悲しみ”からじゃない。
お前はそんな、慈悲深い男ではないだろう」
……そうだ。確かに悲しみは彼の大きな傷となった。しかしそれは傷になっただけで、本質ではないはずだ。
“…………──────で、あれば……この後悔は、一体なんだと……言うのか”
“俺は───何度だって後悔した”
“何度だってあの時へ戻れぬかと悩み、そして現実を見て、打ちのめされた”
“あの時、俺が無理をしなければ彼らは俺のために命を捨てることもなかったかもしれない。あの時、彼らの思惑に気付いて釘を刺しておけば、彼らは自分の身を犠牲にしてまで俺のために尽くそうとしなかったかもしれない”
“いっそのこと、俺が悪人となりさえすれば、彼らは俺を殺してでも生きてくれたかもしれない……!”
“あの時、ああしていればという後悔ばかりが募って、今も、過ぎ去った過去を悔い続けている!”
“あの冷たくなっていく感覚が、先ほどまで生きていた命が消えていく感覚が、
“常にその記憶が纏わりついて、何度だって死のうと思った! 死ねば楽になれると思って、何度だってこの
“───だが、できなかった”
“死ねばこの悲しみすら消えてなくなる。それだけが、死ぬことより遥かに辛かった……!”
“俺は今も、この後悔の中にいる。これが、これが嘘であると言うのなら───俺は一体、なんのために生き続けたと言うんだ!!!”
男はその手で額を抑え、想いのまま怒鳴る。その慟哭は、おそらく本心からくるものだ。
だがやはり───それは本心であって本質ではない。
「───なんのために生き続けたのか……だって───?
───そんなの、お前の記憶がハッキリと言ってるじゃねぇか」
“な、に……?”
「その悲しみは本当なんだろうよ。それは俺も疑わない。
ただ───その悲しみは、あくまでも外殻だ。その奥にある核を見逃すな」
“核……だと───?
……そんなのがあるものか。この俺に、そんなものが───”
「───なら何故、その
本当は気付いているんだろ。なら、眼を背けてんじゃねぇよ……ッ!」
“────────────”
男は額を抑えていたその手を下ろし、眼を見開いた。
悲しみの言葉とは違い、その赫い眼には揺らぎなどなかった。
「……それでもまだ、認めないのか。
───いいぜ。それなら丁度いい。俺がお前の世界を真っ黒に塗り潰してやる」
世界に、黒の
「それが嫌だと言うのなら───剥がして見せるんだな。その“
黒は瞬く間に蒼白の世界を侵蝕し尽くし、もはや残ったのは蒼白い男と、その赫い眼だけとなった。
そして───
「バキンッ」
───と音がして。
───世界は、黒の闇に沈んだ。
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