氷霧の蒼白-8
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「うわ……衝撃波がここまで……」
サラがフローゼンに槍を突き刺したのを、建物の陰から遠目に確認する。
心臓を貫かれ叫ぶフローゼンの姿は痛々しかったが、気楽に同情できるほどの余裕はない。
いくらサラが守ってくれるとはいえ、いつヤツの斬撃が自分へ飛んでくるのか見ておかないと、万が一の場合に危険だ。
「にしても、こう……すごいな」
俺の常識を軽々と壊してくる規格外な戦いに、つい素直な感想が漏れる。
フローゼンがサラを投げたと思えば、道路が砕け、抉れている。サラがフローゼンの頭を蹴り付けたと思えば、地面に巨大なクレーターができてフローゼンが倒れている。
こんな、まるで砂場の山の様に、殴り合った衝撃だけで壊れる街なんて映画でしか見たことがない。いやたとえ映画でもこんな規模のものは中々見ない。
二人の攻撃に巻き込まれないよう最新の注意を払いながら、俺は戦いの展開に合わせて移動する。
とてもじゃないが、アレに巻き込まれて生き残れるとは到底思えない。少し掠っただけでお陀仏なのは間違いない。
幸いと言うべきかどうかはわからないが、サラが攻撃のためにビルを沢山使用している関係で障害物はほとんど残っていなかった。
時折瓦礫が飛んでくるが、その程度の大きさなら衝撃波と同じく、サラの張ってくれた防壁のおかげで無害化されている。
二人の一進一退の攻防を眺め続け数分が経ったが、移動と防壁のおかげで俺は無傷のままだ。
二人の戦いを呑気に眺めていられるほどの余裕は依然としてないものの、それでもどうやらサラが優勢であることぐらいはわかる。フローゼンの動きに余裕はなく、サラの動きには落ち着きが見られた。
ヤツに余裕がないということはいつ錯乱して斬撃を振り撒くかわからないということでもあるため正直恐怖も大きいが、それでもサラが落ち着いているという一点でだいぶ安心はできる。
……このまま待っていれば、すぐに決着が着くだろう。この街に混乱を持ち込んだ元凶をこの手で始末できなかったのは悔しいが、これに関しては仕方がない。認めたくはないが、俺じゃヤツに勝てないのはどうしようもない事実だ。ならば勝てるやつに任せる。これが“適材適所”というものだろう。
今回の場合、俺の仕事は終わった後の後始末だ。これが終われば最初にヤツに斬られた建物の被害と、血を吸われた人間の被害と、その他考えられる色々な被害を解決する必要がある。
そうして、もう勝ちを確信し終わった後のことを考えていた俺の視界に───
「…………え?」
──────奇妙なものが映り込んだ。
少しばかり古いデザインのスーツを着た男が、建物の影に隠れるように立っている。
その姿は紛れもなく、サラに殺されたはずのあの執事だ。
……何故だ。あの男は殺されたはずだ。実際に死んだのをこの目で確認したわけじゃないが、サラが生かしたまま見逃すとは到底思えない。
しかし、そんな疑問より遥かに重要なことがあった。
あの男が生きているのはサラだって知らないはずだ。つまり───
───このままじゃ、サラが危ない。
「──────っ」
思わず走り出したくなる衝動を抑える。
……冷静になれ。サラは“ここで待ってて”と言ったんだ。それは俺があの戦いに参加すれば巻き込まれるからで、更に言えば、足手まといになるからだ。
ここで走り出したところで何になる。二人の戦いに巻き込まれて死ぬか、サラが本気を出せなくなって逆転されるか……どちらにせよ、賢い選択ではない。
それにほら、俺がいなくてもサラならフローゼンに勝てるのだ。あの男が脅威になるとしても、フローゼンを殺した後に倒せばいいだけのこと。それにもしサラが死んだところで───いや、それはないな。ない。絶対にありえない。
とにかく、だから大丈夫だ。ここで熱くなったところでメリットは何もない。俺はサラに言われた通り、隠れて待っていればいい。
ほら、俺の言った通り、たった今サラがフローゼンの胸を捉えて───男に、心臓を、刺されて…………
「──────ッ!」
───気付けば俺は、走り出していた。
理由はわからない。とにかく、我慢ならなかった。
眼が、背中が、胸が、煮えたぎるように熱く焼けていた。
「サラァァァアアア─────────!」
無我夢中で、彼女の名前を叫んだ。
しかし、流石に遠すぎる。これではいくら走ったところで間に合わない。
ならどうする。手段を考えろ。俺に使える手は何だ。
そうこうしている間にも時間は過ぎる。───想像しろ。お前には武器があるはずだ。それを使えば、まだ間に合う。
結晶を握りしめ、剣へと変化させる。
景色を想像して、現実と重ね合わせる。
後はそれをなぞるだけだ。正確に、素早く。余計なことは考えるな。今はただ、目の前のことに集中しろ───!
「──────ッ!」
景色をなぞり、走りながら剣を投げる。
その剣は景色通り真っ直ぐ向かっていき、そのままサラの心臓に突き刺さっている双剣をものの見事に粉砕した。
それを見て男はサラから離れ、フローゼンを抱えて離脱する。
サラの体に力が戻ったのを確認し、一瞬だけ安堵した。
だが、あくまでもそれは脅威を一旦払い退けただけにすぎない。走る脚は少しも止めず、彼女の元へ急いだ。
「さ、き───」
俺が彼女の元へ辿り着くと、彼女は弱々しい声で反応した。
「なん、で───かくれててって、いったのに……」
「第一声がそれかよ。俺がいなきゃ死んでた癖によく言えたな!
……大丈夫か?」
「だいじょうぶ……ではないわ。死にかけたんだし……
でも───おかげで、制限はほとんど外れたわ。全然、なんならさっきよりも戦えるはずよ」
彼女は左胸を押さえながら、顔を擦ってゆっくりと立ち上がる。
まだまだ心配はあったが、彼女の余裕そうな笑顔を見てとりあえずは安心した。
「そうかよ。それなら良かった。
……ところで、なんでアイツが生きてる。殺したんじゃなかったのか?」
「えぇ、間違いなく殺したわよ。私の殺したあの人と今私を突き刺した彼は別人。
厳密には同一人物だけど、記憶やら何やらは受け継いでいない存在ね」
「……なるほど。
つまり───どういうことだ?」
「要は、“幻”なのよ。フローゼンの生み出した“幻”。
自身が取り込んだ色を使って生み出した、かつての記憶。わかりやすく言えば、死んだ大切な人って感じかしら」
「な───」
つまり、あの男はフローゼンにとって大切な人間で、本当ならとっくに死んでいたあの男を、ヤツは血を使って蘇らせたってことか?
「流石に本人ではないわ。死んだ人間を蘇らせるなんてこと、いくら魔術の力でもできるわけがないもの。
アレは自身が取り込んだ色を消費して作られる、『形を持った彩蝕世界』のようなものよ。本当なら数万人の色を取り込んでも足りないぐらい黒い色を使ってできるはずなんだけど……佐季の血があまりにも“黒”過ぎて、たったの一人分で作れちゃったって感じね。流石に誤算だったわ」
サラはなんでもないことのように淡々と述べる。
しかし、その説明だと俺のせいでサラが死にかけたことになる。だってそうだろう。俺がヤツに血を吸われたせいで、あの男が蘇り、サラは殺されかけたのだ。
その事実が、俺の胸に深く刺さった。
「───なに? もしかして気にしてるの?」
「え───あ、いや。そういうわけじゃ……」
「こっちのこと初対面で殺しかけてきたのは貴方なんだから、今更気にしないでいいわよ。というか気にされるとこっちが困るわ。そもそも、これに関しては貴方の色の黒さを把握できてなかった私の責任だし。
だからほら、さっさと───っ!」
サラが咄嗟に手を突き出すと、俺とサラの体が地形ごと左へズレる。そしてその一拍後に、刃が世界を両断する音が鳴った。
「───作戦を、考えるわよ……。
とりあえず、もう一回フローゼン相手に隙を作らないといけないんだけど……そうなるとあの執事が邪魔なのよね……」
すごくさらっと彼女の実力が上がったことを流されたが、確かに今重要な話は別にあるので、俺も無反応を貫く。
サラが憎々しげに執事を睨んでいることから、おそらく本当に執事が邪魔なのだろう。確かに先程の戦いと今の実力を見ると、フローゼン一人相手なら何とかなりそうな確信がある。そこに不確定要素が混じり込むからこんなに不機嫌な顔をしているのだろう。
……ちょうどいい。それなら、俺に作戦がある。
「サラ、執事の方は俺に任せろ」
「え、───えぇ!? いや、ありがたいけど、大丈夫なの?」
「多分だけどな。それに、フローゼンの動きを抑えることができるかもしれない」
「本当? ……じゃあ、数分ちょうだい。準備ができたら合図するわ」
「わかった。そっちは任せるぞ」
「ありがとう。……くれぐれも、死なないようにね!」
「最初からそのつもりだ。───行くぞ!」
合図と共に駆け出し、執事の方へ走る。
距離にして200m。これぐらいなら、数秒かければ───
「『トロンプ・ルイユ』」
「ん? ───おぉ!?」
サラの声が聞こえた次の瞬間、まるで“空間が圧縮された”かのように、周りの景色ごと執事の目の前へ移動する。
突然のことだったので驚いてしまったが、成程、これは良い。
───これなら、上手くいきそうだ。
即座に構えを取り、斬りかかるフリをして……執事の横へ着地する。
執事の攻撃は正確に、されど予想通りの軌道で飛んできた。
「───っ!」
「ふ──────ッ!」
ヤツの構えた双剣を弾き上げ、フローゼンの斜線上へ執事を追い込む。
丁度大剣を振り下ろそうとしていたフローゼンは動きを止め、サラのビルに吹き飛ばされていった。
───思い通りだ。
フローゼンが領民のことをいかに想っているのかはさっきので散々見せつけられた。なにより、俺の黒い色を使って自身が強くなることより、領民の復活───幻とはいえ───を優先するんだ。なら、最優先で蘇らせた執事を殺すのは心情的に不可能だろう。
であれば、ソレを利用してある“形”を作る。サラを斬ろうとすれば執事も巻き込んでしまう形を、常に。
「まさか……なるほど、そういうことですか」
「あ、やっぱ気付くよな。お前は賢い側のニンゲンだ。
───でも、気づいたからどうする。俺を殺すのもいいが、お前が俺に構っている時間分、彼女はお前の主を追い詰めるぞ?」
「そうですね……ですが、貴方を無視すればいいだけの話では?」
「やれるもんならやってみろ。殺すのは難しいだろうが、逃がさないようにするぐらいなら簡単にできる」
確かに、精神的な隙でも作らない限り殺すのは難しい。がしかし、逃がさない程度なら十分景色を視ることが可能だ。
「ふむ……その眼、嘘ではなさそうですね。
なるほど……貴方、私と似て性格が悪いみたいで」
「そうかよ。お褒めに預かり光栄だな───ッ!」
投擲した剣で地面を砕き体を浮かせ、蹴りを入れて位置を動かす。
非効率ではあるが、こうでもしないと追い込めない。最初に双剣を弾いた際わかったことだが、彩化物というのはすごく重たいらしい。
質量が、ということではなく、存在が重たい。
質量ではなく存在が重たいというのは、つまるところ抵抗力の話だ。普段はなんでもなく押したり引いたりできるが、
まるで、大地そのものを押しているような感覚───。これは
ヒトによって差はあるのだろうが、少しでも『動くまい』と決めた相手を動かせなくなるのは変わらない。
───しかし、それはあくまでも“存在の重さ”だ。その重さは『動かない』という意志から作り出された抵抗力に過ぎず、実際に質量を持っているわけではない。
つまり、そもそも抵抗のできない状態にしてしまえばその重さは塵と変わらない。故に、一度でも空に浮かせてしまえば───楽に蹴飛ばすことができる。
「ぐ───っ、確かに……厄介な戦術です。どうやっても打開策が見つからないのは貴方の
あくまでも笑みを崩さずに、けれど汗の滲んだ顔で執事は溢す。
「余裕そうで何よりだ。殺し合いでもするか? それでも構わないぞ」
フローゼンの射線へ追い込みつつ挑発する。
正直、真っ向からの殺し合いで勝てる見込みはない。できればそこは拒否して欲しかったのだが───
「そう───ですね。では、その案に乗るといたしましょうか」
「───けっ、そう上手くはいかないな」
手元の剣を盾に変え、衝撃に備える。
直後───音速にも等しい速度で放たれる攻撃を受け止め、俺の体が浮かび上がった。
「──────っ!」
すかさず、執事は俺の喉元めがけて剣を突き出す。
一撃目は隙を作るための布石……その布石で死にかねないのが怖いところだが、俺は冷静に景色通り体を動かす。
その剣は俺の頬を掠め切り傷を残したが……少なくとも、致命傷を避けることはできた。
───が、それも布石。突き出した剣で俺の退路を塞ぎ、挟み込むようにもう片方の剣が迫ってくる。
「ぐ───あぐ───ッ!」
直前で景色を視て、左腕の肉を犠牲にそれを躱して地面へ落ちる。
すかさず立ち上がる形で受け身を取る。少々無理な形ではあったが、そのおかげで既に放たれていた追撃を回避できた。
───マズい。強いとは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。
霧の中で出会った時はサラに「練習台」と呼ばれていたが、あれはあくまでも彼女のサポートが前提にあっての話だ。そこを失念していたわけではないが、過小評価してしまっていた可能性は否めない。
文字通り死ぬ気で回避に専念する。かろうじて致命傷は避けているが、それも時間の問題だ。あと数分もすれば限界が来て、俺は死んでいるだろう。
しかし、それでも構わない。あと少し、あと少しだけ耐えれば───
「───佐季!」
「───ッ!」
───来た。
聞こえてきた合図に合わせて、踵を返す。
執事への対応はやめて、俺は声の方向へ全力で走った。
「……?」
執事は疑問そうな表情を浮かべ、攻撃の速度を上げてくる。
流石というべきか、作戦は分からずとも俺をそこへ行かせてはならないことは察したらしい。
それならそれでちょうどいい。その攻撃を利用させてもらうまでだ。
「ふ───ッ!」
「な───!?」
攻撃の瞬間、俺は景色を視て飛び上がる。盾に
彩化物はまともに当たれば一撃で骨がぐしゃぐしゃに潰れる程の怪力を有している。本来であれば警戒すべきその危険な力を、俺という砲弾を射出するための頼もしいエネルギーとして利用する。
俺の体は宙を舞い、サラの元へ向かって飛んでいく。
ちなみに、着地のことは最初から考えていない。そんなこと、考える必要がない。
「あ、佐───って、ちょ、えぇ!?」
「着地頼んだ!」
「ウッソでしょ!?」
宙を舞う俺の姿を見て、サラが驚いた様子で叫ぶ。
そして、地面に激突する寸前。まるで抱きしめるように、彼女は俺を受け止めた。
「サンキュー。助かった」
「バカじゃないの……って、それどころじゃなかった。
二人を仕留める準備ができたわ。最後の仕上げよ……いける?」
「───マジか」
彼女の予想外の言葉に、思わず笑みが溢れる。
フローゼン一人ならまだしも、二人とも仕留める気だったとは……だからわざわざ合図なんか用意したのか。
「ちょっと佐季聞いてる? 時間ないんだけど!」
「聞いてる。聞いてるよ。わかった、全然いける」
「良かったわ。それじゃ、作戦はこうよ。
───って感じなんだけど、どう?」
「どうって言われても……お前がいけるってんならそれを信じるよ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。
じゃあ、これで決着としましょう。良い加減、夢から覚まさせてあげないとね」
俺にそう言い残し、サラは一人上空へ飛び上がる。
来たる決着へ向けて、俺は静かに息を整えた。
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