氷霧の蒼白-7

「それじゃあまずは炎! 心臓を貫けるかはともかく、ダメージとして効く?」

 サラが音速など目じゃない程とんでもない速度で走るバイクを運転しながら叫ぶ。

 体温を奪うはずの向かい風やら体にかかるはずのGやらはサラが無害化してくれたらしいが、情報量が多すぎて脳が処理落ちショートするのは俺の肉体の問題だ。流石にその状態で未来の想像なぞできるわけもないので、俺は眼を瞑ったままサラに言われた景色を想像した。


「……視える。けど薄いな」

「薄い?」

「確率が低い、もしくは望んだ結果から少し外れるってことだ」

「なるほどね。

 じゃあ、もっと炎を強くしたら? もしくは溶岩とか」

「炎を強くした〜とかそういう条件を設定しなおしたところで変わらないよ。

 溶岩に関しては……視えない。この感じだと、炎の方が有効だな」

「オッケー。それじゃ次……そうね、氷をぶつけるとかはどう?」

「氷をぶつける……? まぁわかった。

……いや、視えないな。っていうかそもそも、アレって物を凍らせてるんじゃないのか? 氷とかそういうのは効かないと思うが……」

「ん〜そうは思えないのよ。何かタネがあるはずだし……っと!」

 サラがバイクを急停止する。その直後、少し先で空間が途切れる気配がした。

 眼を瞑っているため詳しくはわからないが、凄まじい轟音と衝撃波を放ちつつ、“死”が通り過ぎていったのを感じる。

「あ、これマズいわ」

「え? ってうわ───っ!」

 停止したばかりのバイクを急発進させ、未だ衝撃波を放ち続けている空間の裂け目へ突撃する。

 突撃と同時、一瞬前までバイクがあった場所を“死”が斬り裂いていくのを感じた。

「んぐっ……ンギギ……ッカはっ───! 

 あっぶなかった! 挟み撃ちとか卑怯でしょアレ!」

 嵐吹き荒ぶ中、サラが苦しそうな声で叫ぶ。

 おそらく今のは、「時空の連続性」が直っていない状態で突っ込んだのだろう。それが具体的にどんなものかはわからないが、今のが命懸けの綱渡りだったことは想像付く。

 バイクや俺たちはサラのおかげで衝撃波の中でも無事だった。しかし、肝心のサラがボロボロだ。肉体が、というよりは精神が。


「このまま耐えるのにも限界が来るわ。正直そろそろ集中が保たないし……。

 さっさと次! 冷気で動きを止める、みたいなのは可能?」

「冷気で動きを止めるだぁ!? いやまぁやってみるけどさ……

───マジか。視えたぞ。所々掠れてはいるけどな」

「掠れてる?」

「できなくはない。けど有効じゃない。

 確率が低いとかやったらムズいだとかそんな感じだよ」

「なるほどね……大体わかってたきたけど、まだ少し欲しいわ。

 ビルをぶつけるなんかはどう?」

「視えな……いや、ちょっと待て。……やっぱな。うっすいけど視えはした。

 あの大剣で斬られたら当たらないってだけだ。上手くバレないようにやればいけるかもしれない」

「なるほどなるほど……───ッ!」

 三度ほど飛んできた“死”を全てすんでのところで躱し、最後の横なぎも飛び上がって回避する。

 着地した後息を整えるのに数秒かかったことから、おそらく彼女も限界が近いだろうことを俺は悟った。

 いくらマジックミラーで斬撃が当たりづらくなったとはいえ、乱雑に飛んできた斬撃が当たらないという保証はない。常に気を張ってることを考えると、やはり彼女の疲労は激しいのだろう。


「───……とりあえず、大体考えついたわ。攻撃してみての違和感も合わせて考えるに、仕組みは大体わかったと思う」

「本当か!?」

 眼を瞑ったまま顔を上げる。

「おそらく、あれは能力チカラ

 ただ強いて言うなら、熱と一緒にエネルギーも奪ってるはずね。熱はエネルギーと混同されることも多いし、そこを利用した魔術的作用でしょう。私の槍を止めたのは槍のを奪うことでを奪った……ってところかしら。

 だから炎は効いてもそれより温度が低い溶岩は効かない。氷をぶつけても効かないのにビルをぶつけたら効くのはおそらく総エネルギー量の違いね。

 そして冷気。これで動きを止めることができるのは、互いに熱を奪い合うことでいずれ奪える熱に限界が来るからでしょう」

「……なるほど」

 何もわからない。

 いや、言いたいことはわかる。「熱を奪うので一定以上の熱を持たないと効きません」って話なのだろう。

 ただ魔術がどうこうとか、エネルギーがどうこうとか、具体的な話について俺には理解できない。


───故に、任せる。作戦立案は俺の仕事じゃない。


「とりあえず、作戦はあるか?」

「ある。というよりこれぐらいの仕組み、対策だけなら容易だわ。

 この世界彩蝕世界の法則を一部範囲だけ弄って、温度とエネルギーの関係を一時的に断ち切る。そうすれば温度を奪われても凍ったりしないし、何より動きを止められることがない」

「そんなことできるのか!?」

「えぇ。ただし寒さは感じたままだし、何より範囲に制限があるわ。

 その関係上、どうしても近距離で戦う必要があるわね……」

 サラはにがくるしそうな声で呟く。

 しかし、それも仕方ない。近距離で戦うということは、あの大剣と真正面から相対しなければならないということだ。

 あの斬撃を一度でも心臓に受ければ死ぬ。そんな状況で、逆に相手の心臓を“貫かねば”ならない。


「それなら奇襲か?」

「そうね。でも防がれたらどっちみち近距離で戦うことになるわ。そうなった時危ないのは……」

「……俺だよな」

 サラは何も言わない。だが、それが肯定の沈黙であることはわかる。

 ここ一番の決め手で俺が邪魔になる、というのは予想していた。

 正直、サラとフローゼンが戦う中に入って生き残れるかと言われたら無理だろう。

 サラに守ってもらうにしても、そうなると今度はサラがフローゼンに負ける可能性が高くなる。肉体的制限はともかく、今の彼女に精神的な無理はさせたくない。

「……まぁ、俺のことは気にするな。斬撃の巻き添えは確かに怖いが、背後で隠れていれば大丈夫だろ。

 一応、景色を視ておけば避けることも簡単だろうしな」

「ん〜……わかったわ。ただやっぱり心配だから……これだけやっておきましょう」

 サラの声が聞こえたと思うと、俺の額に柔らかくて冷たい手の感触がした。

 そして彼女が「『レディ・メイド』、『キアロスクーロ』」と唱え、その感触は消える。

「……今何かしたのか?」

「“気配を消す”魔術を付与したのよ。これで直接相手の目の前に出たり触れたりしない限り、気付かれることはないはずよ。これでうまい具合に隠れなさい」

 体に変化はないように感じるが、彼女が嘘を言うとは思えないためきっとそういうものなのだろう。


「わかった。それじゃ早めに行こう。

 ここで時間を食っても仕方ない」

「そうね。……一応言っておくけど、ちゃんと自分の身を優先して隠れなさいよ?」

「今更何言ってんだお前。最初からそのつもりに決まってるだろ」

「……そうだったわね。貴方は初対面でナイフ突きつけてくるような人だったわ!

 じゃあ心配ないわね! ほらさっさと行くわよ!」

 サラは怒ったような声でバイクを加速させる。

 ガクン、と落ちるような感覚がして、バイクは横へ進み始めた。そのまま数分ほど進んだ後、バイクがフローゼンの背後にあるビルの前で停止する。

 俺がそこで一旦降りると、サラは少しいじけた表情で俺に歯を見せる。彼女がなんでそんな表情をしたのか考えてるうちに彼女はバイクを再度発進させ、フローゼンの方へ走って行ってしまった。



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



「……さーて、どうしましょうかね」

 バイクを走らせながら、緋色の少女……サラが呟く。

 佐季相手に少しふざけては見せたものの、内心としては不安の方が大きい。


「あの怪物を相手にどう戦うのかよね……その手その手を咄嗟に成功させないといけないってのが苦しいところだわ」

 負ける気は決してないとはいえ、とてもじゃないが奇襲が成功するとは思えない。

 心の色が強い者は、その色によって心臓そのものが頑丈に作り変わっていく。それはどの彩化物でも見られる現象で、一定以上の強さを持ってさえいれば貫けるためあまり意識するほどのものではないのだが……相手が固有色ともなれば、その頑丈さは他とは一線を画すものになる。貫けば大きなダメージを与えることは可能だろうが、致命傷には至らないはずだ。


 故に、最初から奇襲は失敗する前提でを作っておく。ここで作戦を考えたりしないのは、彼女の考え方によるものだ。


 そもそもがこの世界彩蝕世界は、彼女の望んだ通りに動く世界である。前もって作戦を決めてしまえば確かに楽だろうが、作戦が失敗した時に焦ってぐだぐだになる方が厄介だと彼女は考える。

 故に、作戦は考えない。奇襲失敗時の立ち直しまでは考えても、その後は全てアドリブだ。

 佐季の方へ被害を出さず、さらに斬撃が心臓へ当たるのを避けながら戦う。

 彼女にとって久々の“死”に対する。しかし、怖気付いてなどはいられない。




「『テンペラ』」

 彼女の呟きに呼応し、その手に巨大な槍が握られる。

 バイクの速度とその巨大な質量、そして自身の彩化物としての怪力を利用して、一撃で仕留める。そのつもりで、バイクの速度を限界まで加速させる。

 奇襲が失敗する前提とはいえ、だからと言って加減をするわけではない。全身全霊をもって挑み、それで殺せるなら僥倖ぎょうこう。殺せないにしろ、全力でなければダメージにはならない。


 彼女はバイクの上に立ち上がり、その槍を構えた。

 速度にして35,000km/h。1時間で35,000km進む計算である。その速度はもはや彗星と同じ程速く、これだけの速度で突き刺せば並大抵の彩化物は死に至るどころか木っ端微塵に消し飛んで消滅してしまうだろう。

 もちろん、この世界彩蝕世界でのみ成立する絶技ではあるがそれでも強力なことに違いはない。


「──────ッ!」


 彼女は一瞬でフローゼンの背後に近づき、バイクから飛び出す。

 バイクから飛び出すことで彼女自身の速度は更に加速。その上であらかじめ槍に装着しておいたロケットを起動させ、更に、更に加速する。


 もはや衝撃波だけで街を壊す程の一撃となったは、気配に気付いたフローゼンが振り返るよりも速く、その心臓に突き刺さった。


「ぐ───ゥ───!」

「はぁ──────ッ!」


 その槍はフローゼンの身体に深く突き刺さり、今もなお加速している。

 刺された際に発生した衝撃波は街を分断するように爆ぜ抉り、その上でなお、嵐のような狂風を発生させている。

 そのあまりの衝撃に彼は右腕に握りしめていた大剣を落とし、影へ仕舞うこともできずに無防備な姿を晒した。


 しかし───流石と言うべきか。

 その一撃を受けてなお、彼は“立っている”。多くの彩化物のように体を吹き飛ばされることがないどころの話ではなく、心臓へ刺されたその槍を受け止め、あまつさえ踏みとどまっているのだ。


「ぐ───ォ───ォォ───ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 心臓へ疾る、氷のような、寒く、寒く、寒く、冷たい冷たい冷たい冷たい冷たい身を焦がす激痛。

───今にも凍えそうな感覚が、全身を支配する。まるで己の絶望トラウマを呼び起こされたかのような、その“いたみ”を前に、彼は心の残火を燃やした。


 左腕で槍を掴み、右腕で槍を握るサラを掴む。そのまま力任せにサラを投げ飛ばし、槍を握り潰して抜き捨てる。

 口から血を吐き、彼は傷付いた左胸を強く握りしめた。彩化物、それも固有色は驚異的な再生能力を持ち、どんな怪我だろうが己のを使ってすぐに治療してしまうのだが……流石に心臓を刺されてはそうもいかない。


「がっ───くっ、ふっ……と」

 一方、投げられ道路へ打ち付けられたサラはすぐに起き上がり、頭を振って構えをとった。

 頭から血が出ているが、こちらはすぐに再生し無傷の状態へ戻る。目の前を覆っていた血も消え、まるで戦いなど起きていないかのような、綺麗な姿で相対する。


「はァ───ハぁ───……」

「やっぱり仕留めきれないか……まぁいいわ。それなら、弱っている今のうちに仕留め切るまで! 『テンペラ』!」

 サラの詠唱に呼応し、その手に剣が現れる。彼女はそれを握りしめ、フローゼンへ斬りかかった。

 相手は武器を落としており、更に心臓を刺されたことで弱っている。今ならば反撃もなく、せいぜいが避ける程度だろう。

 彼女の判断は正しい。これまで彩化物殺しとして戦ってきた経験と膨大な知識量を使って行われる戦況判断は実に的確で、彼女の判断通り、彼が弱っていることは間違いなかった。

……しかし───


「───ッ!」

「うっそ!?」


 咄嗟に足場を作り、それを蹴って身体を逸らす。

 次の瞬間、彼女の肉体を両断するように“死”が放たれた。


「ぐっ……ぅ……!」

 上半身だけの肉体で道路を転がり、下半身が再生すると同時に彼女は動きを止める。

 誤算だった───というより、“相手が計算よりも強すぎた”と言った方がいい。

 足元の大剣を踏み、その衝撃で手元まで浮かせ掴んだ瞬間に振り上げる。

 その一連の動きはあまりにも速く、サラですら完全に避けることはできなかった。


「………………死ねる、ものか。

 死ねるものか。死ねるものか。死ねるものか。死ねるものか! 死ねるものか! 死ねるものかァ!!!」

 フローゼンが狂ったように声を荒げる。

 その赫い眼はこれまでにないほど強く輝き、まるで燃え盛る炎のような殺意を以てサラを睨みつけた。


「こっちだって死ねるかっての……」

 サラは口から血を流しながらも起き上がり、再度剣を構えた。

 状況は劣勢。だが、二度も傷ついたことで制限は弱まっている。

 先ほどのように剣だけではなく、今度は無数のナイフが彼女の周りを浮遊している。


「……───っ!」

 彼女が走り出しフローゼンに近くのと同時、再度大剣が振り下ろされる。

 しかし、彼女は避けようとしない。お構いなしに、真っ直ぐと向かっていく。


「『エングレーヴィング』!」


 彼女の叫びを聞いて、浮遊していたナイフが一斉に動き始めた。

 そのナイフはまるで意志を持った生物のように、フローゼンの右腕へ向かって突撃する。

 ナイフを刺されたことで大剣の軌道が逸れ、すんでのところでサラは斬撃を回避した。

 そのまま彼女はフローゼンの足元へ潜り込み、振り上げる形で彼の右腕を切断する。

「ぐ───……!」

「『トロンプ・ルイユ』『アンフォルメル』」

 しかし、そこで攻撃は終わらない。更なる追撃として彼女がその言葉を唱えると地面の形が変化し、棘のようなものが生えて彼の身体を貫く。

 それはまるで標本を作る際に打ち込む針のように、彼の身体を突き刺して逃さない。そして逃げられなくなった彼の目の前に緋色の球体が現れ、これを布石としてその球体は手榴弾のように爆発した。

 手榴弾とは元々、爆風に乗せて破片を飛ばすことが目的の武器だ。その破片の一つ一つが強力な散弾と化し、フローゼンの身体を貫いていく。


「……なっ、ぉぐ───!?」

 しかし、それでも彼は倒れない。

 爆風によって起こった煙が晴れるのと同時、彼の脚がサラの腹を蹴り飛ばす。

 その隙に右腕を再生させ、大剣を拾い上げ、また振り下ろす。


「かハっ……『スフマ゛、ート』!」

 “死”が彼女を捉える直前、彼女は掠れた声を残して

 厳密には、彼女は消えたのではない。自身の肉体を煙に変えただけだ。

 ただの煙を斬ったところで、元々繋がっていない煙に傷などつきようがない。多用しすぎると世界と同化して戻るのが難しくなるため彼女は使いたがらないものの、今回ばかりは使わざるをえなかったようだ。


 しかし、そんなことを知らないフローゼンは突如視界から消えた相手を探し、困惑した表情のまま辺りを見渡す。

「───ここよ」

「!」

 上空から声が聞こえ見上げた瞬間、緋色の踵落としを喰らって大地へ倒される。

 そのまま彼女は落下するまでに、蹴りを叩き込んだ。


「がっ……」

「『レディ・メイド』、『トロンプ・ルイユ』」

「ぐ─────────ッ!」

 起きあがろうとしたフローゼンに、車が突撃する。

 更に、車に跳ね飛ばされ転がっていく彼を押しつぶすように、今度はビルが倒れてきた。




───彩蝕世界とは、簡単に言ってしまえば心の具現化である。

 心の具現化とは殆どの場合、空想の具現化だ。それ故、この世界では『』がそのまま強さに繋がってくる

 そうは言っても、“理論上なんでもできる”というのを知っていたところで“本当になんでもできる”という訳ではない。心の奥底から『できる』と思っていないとソレは形を成すことができず、どこまで常識を捨てられるかが鍵となる。


 その点で言えば、サラは非常に上手くこの世界を扱えている。彼女の性格として、“理論として理解できればそれを完全に感覚でも理解できる”というのがある。

 彼女はこの性格故に、「パラドックスを実現させる」「法則を弄る」などの方法を使うことで他人よりも比較的できることの幅が広かった。


 今車をぶつけてビルで押し潰したのだって、世界の操作を行なって起こした現象だ。煙となるのも、物質を作るのも、物質を操るのも、地形の形を変えるのも、全てこの世界の操作で行なっている技である。

 故に、彼女の手数に終わりはない。たとえ相手がどんなにしぶとかろうと、あらゆる手を使って追い詰めていく。

 決して油断せず、彼女は常に次の手を用意している。この状況でも、すでに彼女は次の手の準備を終わらせていた。




 一方、フローゼンは斬撃を使いビルの下敷きになるのを回避した。相手がこの世界の主であったとして、彼は負ける気など毛頭ない。

 そんな志だけなら誰でも抱けるだろう。特筆すべきはその志そのものではなく、それを実現させかねない実力である。

 ビルから脱出したばかりの彼を狙うように、サラの剣が突き下ろされる。

 今度こそ心臓を貫かんと迫るその剣を大剣で受け止め、即座に弾き返す。

 そしてもう一度大剣を構えると、数分に渡ってサラと一進一退の攻防を繰り返し続けた。

 サラを相手にここまで耐えるのは相当なものだ。心臓を一度突き刺されたにも関わらず、一時は劣勢まで追い込み、あと少しで殺すまでに至った。そのしぶとさと強さには驚くほかない。


……しかし、それも時間の問題だ。このままの調子で戦えば、いつかはサラの手数に対応できなくなり、最終的には殺されるだろう。

 すでに勝ちは決定したようなものだ。それは互いにわかっており、サラの心には若干の余裕が生まれ始めていた。対して、フローゼンの顔には焦りが浮かんでいる。


「死ねるものか! こんなところで……我が領民たみと約束したのだ!」

「はいはいそうですか。でも私だって死ぬわけにはいかないし、ここからどう足掻いても貴方が死ぬのは変わらないわよ!」

 互いに叫び、剣を交わす。

 もはや会話にすらならない慟哭は、焦りの証明だった。

「ぐ……───!」

「獲った───え?」

 何度も削り合う内、彼の焦りを突いてサラが隙を作る。

 今度こそ、心臓を突き刺すのは確実。即死とまではいかずとも、無理矢理に押し込めば殺せるはずだ。そう思っていた彼女は、目の前の異常イレギュラーに困惑を隠せなかった。


───隙を晒し、殺されかけているはずの彼から


 彼は余裕そうに、落ち着いた様子で笑みを浮かべていた。

 その不可解な状況に、彼女の思考が高速で回転する。

 見逃した物はないか、本当にこれは隙なのか、ただのブラフではないか……しかし思考する間もなく、彼女はその真実を理解することとなった。


「がっ───……!?」

 背中、それもちょうど左側に鋭い感触の何かが突き刺さる。

 一体何をされた? 誰に? そんな疑問が生まれたが、そんな疑問よりも遥かに強烈な“激痛”によって、自分の身に起きている出来事を嫌でも理解させられる。



───



「がっ───あぐっ───……!」

 激痛に身をよじり、サラはそのまま地面へ倒れ伏せた。

 「その“いたみ”はだめだ」「たえられない」「いたい、とてもいたい」。そんな感情が、サラの心を支配する。


 彩化物にとって心臓を貫かれるということは、自我の崩壊を意味する。

 彩化物とは、強烈な自我で生きている、だ。心臓を貫かれて死ぬのは自我を破壊されるためであり、それはつまり、刺されれば最後、崩壊に瀕した自我を前に“無我夢中で足掻く”か“力が抜け抵抗すらできなくなる”かのどちらかしかあり得ないということだ。


 フローゼンは前者だった。突き刺されてなお、全力を振り絞って抵抗した。そしてサラの場合は───後者である。

 彼女は心臓を刺され、抵抗する力もなくし、その結果として倒れ伏せたのだ。


 アタマが壊れていく感覚。ココロが砕けていく感覚。その感覚を前に、彼女は「しにたくない」「たすけて」と、ひたすらに願うしかできなかった。

 しかし、当然ながらその声は届かない。背中に突き刺されたは段々と重さを増していき、それに合わせて彼女の死も刻一刻と近づいて来た。


 もはや、逃れる術はない。彼女はこのまま貫かれるのを待つことしかできない。

 その事実に、彼女が絶望へ沈もうとした瞬間だった。































「サラァァァアアア─────────!」














 彼女を呼ぶ叫び声と共に、赤い剣が飛来する。

 その赤い剣は彼女の背中を突き刺していた双剣にぶつかり、その双剣を粉々に粉砕した。

 途端に、全身に弱々しくも力が戻ってくる。未だ震えて倒れそうな体を必死に動かし、彼女は涙と血で汚れた顔で振り向く。

 そこには───




───まるで彼女を守るように立つ、の姿があった。

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