氷霧の蒼白-5


「……見つけた!

 このまま私に捕まってなさいよ!」

「───‼︎」

 返事もできないまま、俺は必死になってサラに掴まる。

 とんでもない速度で走りながら、突然急ブレーキをしたバイクは慣性の法則を無視してピッタリと停止した。普通なら砕けてもおかしくなさそうだが、バイクに被害はなかったみたいだ。

 問題は、慣性の法則がバイク以外にはしっかりと適用されたことだろう。

「ぅあ───ッ!」

 流石の速度に掴んでいる状態から振り落とされそうになるが、すんでのところでサラがそれを阻止した。

 そのまま二周ほど回転した後、俺は目を回しながら道路に転がって倒れ込む。

 サラが支えてくれなければ、今頃俺は道路とアツいキスを交わしてお陀仏していたかもしれない。


「ほら、早く起きなさい」

「ちょ、ちょっと待て……まだ目が回って……」

 破壊されかけた三半規管になんとか頑張ってもらい、回転していた視界をある程度正常な状態に戻す。

 サラが差し出した手に掴まり、なんとか起き上がった。




「せっかく助かった命を無駄にしに来たのか?」

 フローゼンは静かに問いかけてくる。

 その目線と声には明確な殺意を感じるが、それに怯むようならそもそも最初からここには来ていない。

「違うに決まってるでしょ。

……それよりもまず、この氷霧を止めて欲しいんだけど」

「止める? すまないが、はそんなことができるような代物ではなくてな。諦めてくれ」

「あっそ……じゃ、力ずくしかないってわけね」

 サラが構えるのを見て、フローゼンの方も足元の影から一つの大剣を取り出した。

 今更、影から武器を取り出した原理などはどうでもいい。どうせ魔術か何かだろう。

 とりあえず分かっていることがあるとすれば、いつ戦闘が始まってもおかしくないということだ。俺も、遅れずに構えなければならない。


……しかし、その前に聞いておくべきことがある。

「───ちょっと待て。

 フローゼン、お前にいくつか質問がある」

「……いいだろう。お前の疑問に答えてやる。

 それで───なんだ?」

 少しだけ構えをとき、ヴラディスは目線だけこちらへ向ける。

 そのあかい目線にはこちらを焼き焦がさんとする程の熱い殺意が込められているが、そんなことはどうでもいい。


「お前、発言と格好からしてどこかの領主か?」

「いかにも。もっとも、辺境の小さな村を治めていただけだがな。

 それがどうかしたか?」

「いや、お前が領主じゃないとしたらまだ理解できたんだがな。

……ただ、本当に領主なら一つ聞かなくちゃならない」

「ほぅ───?」

「領地にはそれぞれ破ってはならない絶対の規則ルールが存在する。

 お前も領主ならわかるよな?」

 そうだ。場所によって内容は違うとはいえ、何処にも必ずそういう規則が存在する。

 わかりやすい例で言えば“法律”だろう。あとは“村の掟”とかも馴染み深いかもしれない。

 後者はホラー映画などでよく見るだろう。実際、あのようなあからさまなものがある場所は少ないが、似たような規則は結構多く存在している。

 そしてそれは、領主なら知っていなければならない事柄のはずだ。

「───あぁ、勿論知っているとも。

 我が領地にも規則ルールは存在したからな」

「なら、何故お前はそれを無視している?

 この街では、“人を殺してはいけない”という規則ルールがある。……まさかとは思うが、「知らなかった」とか言わないよな?」

侮るなめるな。俺がそんな腰抜け、もしくは愚者だと思うか?」

「なら、どうしてだ」

「それはこの街の規則ルールだろう。俺と関係のあるものではない」

「……なんだと?」


「俺の身体には一つの世界が内包されている。

 その世界とは我が領土……我が領民たみと共に暮らしてきた、俺の土地だ」

「……彩蝕世界のことね」

「どうやら、魔術社会ではそう呼ぶらしいな。しかし、それは今どうでもいい。


……とにかく、俺の身体は我が領土そのものだ。つまり───



───。故に、此処では俺が規則ルールだ」



「……なるほどなァ」

 つまり要約すると、「俺が規則ルールだ。だから問題ない」ってことだろう。

 確かに筋は通っているかもしれない。




───ただ、納得はできない。




「ありがとな。もう良いよ

……疑問は消えた。これで、心置き無く殺せる」

「そうか。それは良かった」

 俺は右手に結晶を握り締め、いつでも武器を取り出せるよう構えを取る。

 俺が構えたのを見て、ヤツはゆっくりと目を閉じた。




 数秒の沈黙……その後、ついにヤツはその目を見開く。

「では───さらばだ」

 直後、全身に悪寒がはしる。

 なんだか───死ぬ───という予感があった。


「───ッ」


 気づけば、俺は反射的にサラの手を掴んで引っ張っていた。予感に反応する間はなかった。本当に、反射的な行動だった。

 ヤツが腕を振るのが見えた。そう思った瞬間、まるで止まった時を進むように、“死”が俺の真横を通り過ぎる。

 ちょうどそこに居たサラを突き抜けて、その“死”は極点まで届く。

 そして時は動き出し───轟音が、世界を




「ぐ───ッ!?」

 世界がズレるような感覚の後、巻き上がった轟風によって俺は近くの建物まで吹き飛ばされる。

 時速300キロは超える速度。これは死ぬだろうと思ったが、壁と衝突する直前で速度が消え、ピタリ、と。あのバイクのように。俺の体も停止した。

 どうやら、サラが助けてくれたらしい。

「ふぅ……助かった、ありが───ッ!?」

 お礼を言おうと、俺の体を抱きしめているサラに目を向けて、息が詰まる。


───


「───ぇ、あ?」

「……あぶなかったー!」

「ぅわビックリしたァ!?」

 てっきり死んだと思っていたところで動き出した彼女に二重に驚き、俺は情けない声をあげてしまう。

「何驚いてるの。下半身がなくなったぐらいで死ぬわけないでしょ?

 確かに危ないところだったけど……貴方のおかげで助かったわ」

「そ、そうか……それなら良かった……」

 サラは下半身のあった場所に赤い液体を纏い、すぐに肉体を再生させる。

 流石に下半身を丸ごと再生するのは手間がかかるのか、ズボンなどは肉体よりも一瞬遅れて再生したが、咄嗟に目を逸らしたので問題はない。


「さて……どうしましょうか」

「どうするって……何が?」

「あのねぇ……アイツの武器についてのことに決まってるでしょ。

 流石にアレだけの代物を持ってるとは思わなかったわ。一瞬だけ視えたけど、恐ろしいほどに高純度な『切断』の概念が付与されてるわね、アレ。

 時間や空間ごと、あらゆる物を斬り捨てる大剣……多分だけど、心臓を斬られたらいくら私でも死ぬかもしれないわ」

「マジかよ……」

 確か、彩化物は心臓をはずだ。

 その条件ルールを無視して殺すほど強力な“概念”が、あの大剣には込められているらしい。


 何か対処法はないものかと考えようとして、狂風が止んだにもかかわらず未だ遠くから鳴り響く轟音に嫌な考えがよぎる。

「……なぁ、もしかして───?」

「残念だけど、斬られてるでしょうね。あの剣に距離なんて関係ないだろうし、奥にあった建物は全部真っ二つじゃないかしら。

 今聞こえてる音はおそらく……斬られた建物が崩れる音でしょう」

「………………………………」


───静かに、怒りが湧いてくる。


 俺は結晶を握り締めて立ち上がった。


「……サラ、お前の彩蝕世界は後どれぐらいで出せそうだ?」

「え? ……そうね。あと一回真っ二つにされたら出せると思う。

 けどあの斬撃は使わせ「そうか。わかった」 ───ぇ?」

 赤い飛沫が散る。

 胴体を掻っ捌かれたサラは、驚いた顔で倒れした。




「──────びっっっくりした!? いきなり何するのよ!?」

「それで出せるだろ。それとも、もう少し斬らないとダメか?」

「………………」

 サラは唖然とした顔で固まっていた。

 そのまま、沈黙があまりにも長く続くものだから、様子が気になり振り返ろうとして、小さく笑うような声を聞いた。

「……いいわ。貴方のに免じて許してあげる。

 それじゃ、“私の芸術を魅せてあげましょう”!」

 彼女が楽しそうに手を掲げた次の瞬間───




───世界は、“塗りつぶされた”。




 彼女の足元から世界が広がり、一瞬にして見える範囲全てが緋色に染まる。

 あたりに立ち込めていた霧は消滅し、その代わりに暖かい空気が満ちていく。

 車も、ビルも、道路も、あの夜空も。全てがあかく染まった世界で、俺はつい見惚れて立ち尽くしてしまう。

 その緋色は───まるで炎のような に視えて───


「げ。もしかして、

 そっか黒ってそういうこともできるんだ……」

「……ん? これってもしかして、お前の本心とかこう……そういうものか?」

「いや言ったでしょ? 彩蝕世界の展開って内心を曝け出すようなものなの。

 確かに色が近いと条件次第では内面を覗いたりもできるんだけど、どうも黒だと普通に覗いてくるのね。全部の色を混ぜた色だからってことかしら……?」

 サラはぶつぶつ言いながら怪訝そうな、されど面白そうな表情で考え込み始めた。

 なんだか、その顔を見ていると思わず頬が緩む。───と、そこで、自分が熱くなっていたことに気づいた。


「……ごめん。ちょっと熱くなり過ぎてた」

「えなに急に。こわ」

「はぁ〜?」

 折角冷静になった頭で考えてちゃんと謝罪したというのに、コイツはバッサリと切り捨てやがった。

 若干ムカつかなくもなかったが、彼女が俺の行動に怒ってはいなかったことを知って少しホッとする。

「それより、どうするか決めないとね」

「どうするって……こうなったらもう問答無用で勝てるんじゃないのか?」

「相手が規格外の兵器でも持っていない限りはね。言ったと思うけど、そういう代物を武器として携帯できるのならこの世界に持ち込むこともできる。その場合、いくら彩蝕世界の中とはいえ相手に勝ち目が生まれてしまう。

 で、今回の相手は『なんでも“切断”する大剣 ソ レ 』を所持してるってワケ。対策しないと私でも普通に斬られて終わりデッドエンドよ」

「チッ……やっぱそうかよ」


───どうやら、事はそう都合良く、上手く行ってくれないらしい。

 この状態に持ち込めば勝てると思ったが、ここに来て相手は予想外のトンデモな武器を隠していやがった。

 切断という単純にして強力な概念を付与された、文字通り大剣……まず間違いなく、防ぐことはできないだろう。

 「時間や空間ごと斬り捨てる」、そうサラは言っていたが、それがただの比喩表現でないことは俺にも理解できた。

 知識というよりも、経験から得た感覚での理解だ。止まった時の中、俺の真横を通り過ぎて世界ごとサラを真っ二つに斬りけたあの感覚……おそらく止まった時の中を通り過ぎたというのは幻覚だろう。実際は逆で、あの斬撃が時間の流れを断ち切った結果、そう知覚したに過ぎない。

 そもそも、心臓を『貫かれる』ことでしか死なないはずの彩化物を問答無用で殺す斬撃だ。攻撃を受け止めて押し殺す防御なぞ、最初から考えるだけ無駄だろう。


「……一つ確認だが、この世界で起きた出来事は?」

よ。これは私が塗り潰した世界だから、現実よりも存在する階層レイヤーが一つ上に存在してるの。ここで何が起きようと下の階層レイヤーにある現実世界に影響は出ないわ」

「オーケー。ならあの大剣は避けるだけでいいな。

 俺は多分反応できない……というか、仮に反応できても衝撃波で死ぬだろうから、その対処はお前に任せた」

「え、えぇ。それはいいけど……急に頭冴えてきたわね、貴方」

「そうか?」

 そんなつもりはなかったが……言われてみれば確かに、そんな感じはする。

 どこかでスイッチが入ったのだろう。おそらく───あの街が斬られた時か。

 思い出すのと同時、閉じられた蓋が開いたように痛みが溢れ胸を焦がす。気持ちは冷静になったつもりでも、やはり心の底ではまだ怒りが渦巻いているらしい。


───丁度いい。コレのおかげで頭が冴えているのなら、是非利用させてもらう。




「──────!」

 突如、轟音によってビルがわかれる。

 狂風が吹き荒れ、俺たちの周りだけを残して風が全てを持っていく。

「そりゃあ斬ってくるよな……もう数分ぐらい話してるわけだし」

「急ぎましょう。あのまま大剣を振り回され続けたらいずれ保たなくなるわ」

 「掴まって」と言う風に差し出された手を握った途端、体がすごい勢いでへ引っ張られる。

「え───うわぁああぁ!?」

 普通なら潰れてもおかしくない速度だが、やはりと言うべきか、俺の体は無事だった。

 そのままレールにでも乗ったかのようにスムーズにビルの屋上へ着地して、俺たちは(少し落ち着くだけの時間をもらってから)の姿を確認する。




「………………………………」

───視えた。緋色の世界で一際目立つ蒼白色の男が、この街の中央に立っている。

 流石にここからじゃその表情は読めないが、振り下ろした大剣をゆっくりと持ち上げているその仕草ぐらいは流石にわかる。

 ヤツは周りを警戒していないのか、余裕そうに大剣を構え直していた。

「どーみても罠よね、アレ」

「だろうな……まぁあからさま過ぎてあれだが」

 ここまで来るともうむしろ、罠だと悟らせた上で誘っている。

 こちらの居場所についてはまだわかっていない様子だが、それでもはつけているらしい。常にこちらの方向に意識を向けているのがわかる。


「……乗るか?」

。だって、殺せるわ」

 淡々と、彼女はそう告げた。

 そしてすぐに、人差し指を唇へ当てて考え込み始める。

「でも……単純に乗るだけじゃ駄目ね。斬られて終わるわ。

……面では広すぎる。線では五分五分? いえ、まだ広い。平行でもない限りは不可能。そうだとしても巻き添えで無力化を喰らう。点が最適……しかし数が多ければ逆効果。面や線と同じ末路を辿る可能性が高い……では最適数は? 角度の計算……ついでに分布の割合も必要ね。立体攻撃の方が有効性は高そう。その場合、心臓の位置を割り出して……許容誤差はほぼ0に等しいわね。かと言って現状の制限ではまだ限界がある。射程範囲と操作精度、必要工程と作業工数から考えるに、一人では手が回せなさそう。そもそも回避に必要な認識速度から逆算すると、移動に必要な速度が時速……そこから考えるに、移動方法として最適な手段……若干の賭けにはなるけど、コレ以外の選択肢は現状では思い浮かばない……よし」

 答えは決まったのか、サラの動きが止まった。

 突然、俺の方に向き直り……クールな微笑みを見せてくる。


「いい策が思いついたわ。あの斬撃さえかわすことができるなら、この作戦は上手くいくはずよ」

「そうか。それは朗報だな」

 本来ならば希望を持つべき状況。いや実際、俺だって希望を持ちはしたのだが、それ以上に嫌な予感がする。

 だって、彼女のクールな微笑みが、いつの間にか、少しずつ、張り付いたような笑顔に変化している。

「この作戦、成功させるには貴方の協力が不可欠なんだけど……そこは問題ないわよね?」

「……あぁ。もちろん」

 なんだか、質問内容が怖い。

 言っていることは当たり前のことを確認しているだけだ。しかし、彼女の言葉の端々から嫌な予感を増幅させるような空気を感じる。


───そして


「OK。……ところで、佐季」


───嫌な予感は




「貴方……?」




───予想だにしない言葉によって、的中した

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