氷霧の蒼白-3

「……思ったより遠かったな」

 歩くこと20分弱。やっと俺の家に着いた。

 サラの家は俺の家よりも圧倒的に駅に近かったため、準備を終えたらサラの家に向かう方がいいだろう。道中ではそんな会話もしつつ、基本的にはサラの解説癖に付き合ってひたすら話を聞いていた。正直疲れはしたが、なんだかんだ解説内容も面白かったし、本当に楽しそうな表情カオで解説する彼女のことを見ているとこちらも楽しくなってくるので不満はない。


「とりあえず、準備が終わったら言いなさい。

 それまで私は暇を潰して待っておくわ」

「はいはい……」

 サラは俺の準備にはまるで興味なさそうに庭の方へ歩いていった。

 あの方角なら、ここからも見えているあの倉庫の方に向かったのだろうか。特段触れられて困るような物も置いていないし、特に気にするほどのことでもないだろう。

 俺はさっさと家に入り、まずは服を着替えることにした。




「さて、警察への連絡はこんなもんでいいかな……」

 スマホをポケットへ仕舞い、時計を見る。

 おそらくフローゼンのヤツは、日が完全に沈んでから少し経った頃に出てくるだろう。昨日の霧が発生し始めた時間を調べてみたところ、どうやら日が沈みきった30分ほど後に観測されたらしい。

 時間的には学校が終わったばかりで日もまだ明るいぐらいだが、それでもやはり時間は気になってしまう。

……ニュースを見たところ、霧は昨日だけで数十人程度の被害を出したらしい。これ以上犠牲者を増やさないためにも、できるだけ早めに行動したい。

「……一応、移動するのは話を聞いてからでも大丈夫そうだな」

 これぐらいの時間なら、移動するのはサラの言っていた“解説”を受けた後でも良さそうだ。どうも重要なことについては落ち着いた状況で話がしたいのか、道中でその話題に触れることはなかった。

 一応俺の方は準備も終わり、サラの解説を聞くためにもそのことを伝えようと窓に手をかける。


───と、


【ピンポーン】


 家のチャイムが鳴った。




「はーい今行きまーす!

 ……誰だろ?」

 窓枠から手を離し、玄関に向かう。

 適当にスリッパを履いて扉を開けると、そこにはどこかで見た覚えがあるものの名前の思い出せない少女が立っていた。

「あ、こんにちは……えっ佐季くん⁉︎」

 少女は出てきた人物が俺だったことに驚いたようだ。

……ここは俺の家なので、俺が出るのはごくごく自然なことだと思うのだが。


「そうだけど……えっと、君は?」

「え? あ、そっか。

 そう、だよね……あはは……」

 俺の質問に対し、彼女は悲しそうな顔で笑っている。

……マズい。これ、彼女と俺ってもしかしたら知り合いだったのかもしれない。

 よく見ればうちの学校の制服着てるし、どこかで見たことがあるってのも実際に見たことがあったからこそ感じたことだった可能性が高い。

「あー……すまん。もしかして、俺と君って知り合いだった?」

「ヴッ……いや、大丈夫大丈夫! うん、大丈夫だから!

 佐季くんとはあんまり話したことがないから、佐季くんの頭の中で印象に残ってないだけだと思う。そういうこと、これまでも結構多かったし……」

 しまった。どうやら気を遣わせてしまったらしい。

 というか今の質問の仕方はマズかった。少し酷い言い方をしてしまったかもしれない。

「えっと……」

「大丈夫大丈夫! 気にしないで!

 改めて自己紹介すると、私は白薔薇しろばら つぼみ。佐季くんと同じクラスだよ」

「つぼみっていうのか。忘れちゃって悪かったな……」

 なんと、俺とはクラスメイトの関係だったらしい。同じクラスの仲間を忘れてしまうとは、本当に申し訳ないことをしてしまったようだ。

 確かに俺は昔から興味のないことは忘れやすいが……だとしても人の名前を忘れるどころか会話したことさえ忘れてしまうとは本当に失礼なことをした。


「それで、こんな時間にいったいどうしたんだ?」

「あ、そうだったそうだった。えーっと……」

 彼女はここに来た目的を思い出したらしく、カバンの中を漁り始める。

「はい、これ。

 今日配られたプリント。渡してくるように頼まれたから……」

「プリントか。ありがとう」

 どうやら彼女は俺のためにプリントを持ってきてくれたらしい。

 制服の件があったからとはいえ、やはり帰ってきておいてよかったみたいだ。


「でも……どうして君が?」

「え?」

「あぁいや、本当に感謝してるよ。

 ただ純粋な疑問で、宗一郎先生だったら葉美とか……あと今はアイツも学校に来てるからカゲもか……まぁ、そのどっちかに任せそうな感じがするのに、どうして君が持ってきてくれたんだろうと思って」

 普段からよくつるんでいるカゲと葉美のどちらかが持ってきそうなものだが、何故か今日はこのロクに話したこともないはずのこの子が持ってきてくれた。

 こういうのは先生が生徒を指名して頼むはずで、そうなると余計にこの子が持ってきてくれた理由がわからない。

「えっと、葉美ちゃんは委員会で忙しいから無理だったみたい。

 影狼くんは断っちゃって、家が近いからって代わりに私が引き受けることになったの」

「なるほど……つまりはカゲが押し付けたってことか……。

 いや、ありがとう。カゲは後で俺が締め上げておく」

 自分が美形だからってこんな優しそうな子に仕事を押し付けるなど、許せないやつだ。

 何か事情があるのかもしれないが、それはアイツを締めてから聞くとしよう。

「いやいや、大丈夫大丈夫! 大丈夫だから!

 私がやりたくてやったんだし、カゲくんは悪くないよ。むしろ───……」

「……? どうかし───」

「あーっと何でもない! 何でもないよ!

 あ、私はもう帰るね! また今度、学校で! バイバイ!」

「え? あぁ、またな」

 つぼみは焦ったように手を振って玄関から出ていくと、そのまま小走りで帰ってしまった。

……何か言ってた気がするが、もしかしたら聞かれたくないことだったのかもしれない。

「今の知り合い?」

「うわビックリした⁉︎ 急に話しかけてくるなよお前……」

 扉を閉めて後ろを振り返ると、そこにはドアから玄関を覗き込むように見ているサラがいた。

 少しだけ見える手には何か本のような物を持っている。おそらく倉庫に入っていた物だろう。


「ってか、いつの間に家に入りやがったんだお前」

「え? そこの壁からだけど」

「はぁ……もしかして、また壁に穴開けたのか?」

「別に完璧に直したんだからいいでしょ?」

「そういう問題じゃないんだけどなぁ……」

 言いたいことは色々あるが、それを言ったところでどうにかなるわけでもない。

 仕方がないのでこれ以上は諦めることにした。


「ところで、もう準備は終わったの?」

「あぁ、もう終わったよ。場所もなんとなく絞れたはずだ」

「そう、ならよかった。それじゃ存分に解説できそうね!

……とは言っても、多分すぐに終わると思うけど。解説することもそんなにないし」

「そうなのか?

 それじゃあ……飲み物だけ用意しようかな。何か飲みたいものはあるか?」

「ん〜……麦茶とか? なんだかんだ日本に来てからまだ飲んでなかったのよね」

「オッケーわかった。んじゃちょっと待ってろ」

 俺はキッチンへ向かい、冷蔵庫の扉を開ける。

 サラの要望通り麦茶を取り、食器棚からコップを二つ取り出して俺はリビングへ向かった。



♢♦︎♢♦︎♢



「それで、話したかったことってなんだ?」

「作戦会議も兼ねて、フローゼンの能力についてね。

 ついでに固有色が固有色として認められる条件についてを話してなかったし、それも含めて簡単に話し合っておこうと思って」

……?」

 たしか……“濃色の中でも『特殊な力』を持っている者”が固有色と呼ばれているとかなんとか言っていた気がする。

 おそらくサラが言っているのは、その『特殊な力』についてのことだろう。

「その通り。この『特殊な力』が固有色にとっては大事なの。

 本人の持つ色、その全てを詰め込んだ力だからね」

「たしか、それさえあれば国を壊滅させることもできるんだっけか?」

「そう。厳密には国を壊滅させるってのもあくまでも理論上の話になるんだけど。

 その『特殊な力』自体は人によって内容も出力も全く違うから簡単にまとめることはできないんだけど、一応その力全体の総称として名前が決められているの。

 その名前が───『』」

「さいしょく……せかい?」

 初めて聞くのだから当然なのだが、聞き覚えのない単語に首を傾げる。

 俺はおうむ返しの形で聞き返し、サラが短く頷いてから説明を再開した。


「彩蝕世界……あまりにも強すぎる“心の色”で世界を侵蝕する力。

 まず大前提として、私たちのいるこの“地球”という星はみたいなものなの。

 たくさんの色を使って描かれた大きな“絵画”。理法物理法則魔法魔素法則もその中に描かれた一つの絵でしかない。地球が描く大きな絵画の中に、私たちは生きているの」

 そう説明しつつ、彼女は地球の描かれた大きな絵画を生成した。

 相変わらず緋色に染まっているものの、陰影を使って上手に描いている。

「……これを、自分の持つ強い色で塗りつぶして文字通り世界を。それが彩蝕世界。

 既に絵が描かれたキャンバスの上に突然別の絵を描き始めるようなもので、景色も含めて何もかもが本人の思い通りに書き換えられてしまうの」

 サラの生み出した絵画の中の一点が緋色に輝き出し、地球の一部を塗りつぶす。

 まるで“そこだけ別の絵を描いたかのように”、美しかった絵画は不自然な虫食い絵に変化してしまった。


「色鮮やだった街が突然、一色の知らない景色に置き換わる……その上、その中では相手が世界の中心なんだから常に全力を出せてしまう。彩化物なんて元々が強いのに、常に全力で来られたら勝ち目がない。

 いくら対策をしようが、世界そのものを塗りつぶす力だからほとんどの場合は意味がない。基本的に使。だから理論上、国を壊滅させることも可能って言われるわけね」

「……ちょっと待った。今の話を聞く感じ、どう聞いても勝てる気がしないんだが?」

 「世界を塗りつぶす」だとか「対策したところで無駄」だとか、そんな無敵チートみたいな能力を相手に作戦会議をしたところで本当に意味があるのだろうか。

 というかそもそも、そんなふざけた能力を持つヤツが敵だとは絶望にも程がある。


 そうやって片手で頭を抱えていた俺に対し、サラはまるで俺を安心させるように気楽な声で否定した。

「別に対処法がないわけじゃないわよ? 対策が無意味っていうのも罠とかがダメなのであって、めちゃくちゃに強い装備を着て戦えばなんとかなることもあるし、同じく彩蝕世界を持つ者なら後出しジャンケンの要領でねじ伏せることが可能だもの。

 そもそもこの彩蝕世界、自分自身の本心を曝け出すような物だから使うとしても奥の手、もしくはとかね。中途半端に展開するタイプはから固有色同士の戦いでは不利になりやすいわ。

 もっとも、中途半端に展開するだけで街一個ぐらいなら遅くても数日程度で壊滅できるから恐ろしいんだけどね」

「なるほど……それを聞いて少しだけ安心した。

 でもその話、アイツの能力に対する対策とは関係なくないか? いや確かに重要な話ではあるんだけどさ」

「そうでもないわよ? あの氷霧、多分だけど彩蝕世界だから。

 さっき言った“中途半端に展開する”タイプだと思うわ」

「あの氷霧がそうなのか!?」

 驚きに思わず声をあげてしまう。

 もしそうだとしたら、昨日の状況はかなり危なかったのでは……。


「そうよ? なんか追って来なかったから逃げれたけど、普通なら死んでたんじゃないかしら」

「………………」

 背筋が凍る。なんで追って来なかったのかは気になるが、別に霧を使って吸血しているのなら積極的に獲物を狙う必要もないのかもしれない。何はともあれ、そのおかげで助かったんだからとりあえずはいいとしよう。


「……まぁいいや。アイツが中途半端に展開するタイプってのはわかった。

 でも、街を壊滅させることができるぐらいには強いんだろ? どうやって勝つつもりだ?」

 いくら本気ではないとはいえ、相手が規格外のバケモノなら俺たちを殺すには十分すぎる。

 昨日の状況から察するに、「めちゃくちゃに強い装備」とやらも恐らくはない。あったら最初から使っているはずだ。

 どう考えても俺じゃ勝つ方法が思いつかない。その彩蝕世界とやらを攻略さえできればなんとかなりそうな予感はするのだが……


……と、まるで俺の質問に呆れるような顔でサラは口を開いた。

「あのね、『彩蝕世界を持つことで固有色と認められる』って言ったでしょ?」

「言ってたな」

「そして、私は固有色だとも言ったでしょう?」

「言ってたな。……あ」

 つまり、そういうことか。

 サラはニヤニヤと可愛らしい笑みを浮かべながらこちらを見ている。その様子からして、おそらく俺の考えはあっているのだろう。


「固有色は彩蝕世界を使える者……そしてお前は固有色……

 それってつまり───」




 俺の期待と確信の問いかけに対し───




「えぇ、その通りよ。

 アイツの氷霧を、私の世界で上書きしてやるわ!」




───最高の笑顔で、彼女は答えた。

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