第二章

氷霧の蒼白-1

「案ずるな。俺も我が領民たみの感情を理解できたことはない。

 これはどうしようもない現実だ。精々不運を呪え」


 男の声がする。

 なんとか顔を動かし、声の主を視界に入れる。


 そこにいたのは、長身の男。

 高貴な衣装に身を包み、蒼白色の髪は肩にまで伸びている。

 ただでさえ冷たいこの空間でなお寒い印象を感じる蒼白い服に、それとは不釣り合いな残火のようにかがやく眼がその異常さを強調している。


「……貴方がフローゼンね」

「他に誰がいる。

……俺が此処のだ。我が領民たみを殺したのはお前───いや、答えなくていい」


 何かを言っているが、俺には聞こえない。

 いや違う。聞こえてはいるが、意味がわからない。として認識する機能が麻痺をしている。

 身体中からナニカが抜けていく感覚。視界もシロくボヤけていく。

「もしかしてあな───」

 サラの声も遠ざかっていく。

 意識が落ちようとしている。身体がもたない。

 まだやるべきことがある。まだ止まるわけにはいかない。停止している脳を稼働させようと、俺は思考を続ける。


……しかし、必死の抵抗も虚しく───



───俺の意識は暗転した。






「……ん」

 思考をモヤに包まれたまま目を覚ます。

 瞼を開ければ、そこには見知らぬ天井があった。


「ここ、は……」

「あ、やっと起きた。

 おはよう、佐季」

「うわっ⁉︎」

 起きあがろうとしたところ、横から急に声がして驚く。

 咄嗟に声の方に振り向くと、そこには数時間前に出会ったばかりの女がいた。


「なんだお前かよ……あんまりびっくりさせないでくれ」

「まず私に感謝しなさいよ。あそこから助けたの誰だと思ってるの?」

「え? ……あ」

 思い出した。

 そういえば俺は、あの男に何かされて……いや、何かされたのか?

 まぁ、この際どっちでもいい。とりあえず、俺は倒れたんだ。

「思い出したみたいね。

 それに、何かされたのはあってるわ。貴方が倒れたのはアイツののせいだからね」

「吸血……?」

 サラは妙なことを言った。

 吸血……確かに、彩化物は元々吸血鬼のことなんだから、それそのもの自体にはなんら違和感は感じない。

 ただ、普通吸血といったら、首を噛むアレのことだろう。

 あの藍色の男がやっていたような、おぞましい行為だ。

 俺の記憶が正しければ、とても首を噛まれなんてしてないはずだ。俺が倒れてる間にやられたとしたらわかるが、それなら俺が倒れた理由にはならない。その場合、原因と結果の因果関係が逆になってしまう。

「確かに普通の彩化物ならそうね。

 でもアイツは違う。アイツは霧を使って血を奪う。霧そのものが一つのなのよ」

「霧そのものが……牙?」

「そう。まぁ、牙ってのは半分真実で半分比喩なのだけれど」

 サラは笑顔で自身の牙を見せる。彼女の表情から察するに、見せていることに深い意味はないのだろう。多分、彼女の解説癖の一種だ。


 しかし、半分真実で半分比喩……まさかとは思うが、それってつまり───

「その通り。あの霧は、アイツ自身よ」

「……だよなぁ」

 予想していた通りの答えが返ってきて、俺は見事答えを当てた喜び……ではなく、当たってしまった悲観をもって項垂れた。

「それにしても、よくすぐに理解できたわね?」

「昔読んだ小説にあったんだよ。吸血鬼が霧になるって話。

……まぁ、流石に街を覆うアレほどの大きさはなかったけどな」

「なるほど。まぁ確かに、彩化物が霧になる話自体は有名だものね。

 実際はそれができる彩化物はかなり限られてるのだけど……残念ながら今回の相手はそれができてしまうみたい。ほんと、彩化物らしい彩化物ね!」

 サラは笑顔で言うが、その声には明らかに怒りが込められている。

 いや、怒りというよりは苛立ち?だろうか……まぁどちらにせよ、良い感情を持っていないことは確実らしい。

 その点に関しては俺も同じだ。街を覆うほどの霧に触れてるだけで血を吸われるだなんて、どんな冗談だ。しかもコレがだというのだから本当にタチが悪い。




「まぁそれでも、やることは変わらないだろ。

 その感じ、あの霧はお前には効いてないっぽいからな。俺さえなんとかすれば、お前があいつと戦って終わりだ」

「……うそでしょお? あんたのネジ一体どこに飛んでったわけぇ……?」

「突然すげぇ失礼なこと言い出しやがったなお前」

 あまりにも唐突な罵倒に流石の俺も驚く。

 会話の流れを全部無視した発言は回避不能の鋭い一撃として突き刺さる。俺は比較的あまり気にしない方だから心へのダメージは皆無に近いが、まぁ心外であることに変わりはない。


「別にいいんだけどさ……会話の流れぶった切ってまで言うことか? それ」

「いや、だって……死にかけたばっかりなのに次の作戦を考えてるとか間違いなく正気ではないでしょ。特に再生能力が優れてるわけでもないんだし、普通なら怖がるものだと思うけど?」

「あー……そりゃまぁ死にたくはないけどさ……」

 ただ、だけだ。特に深い理由もなければ、特に異常な考えだとも思わない。

 確かに、その線引きがしっかりしているのは異常かもしれないが……許せないことのために命の優先順位が下がるぐらいは誰にだってあるものだ。少なくとも俺はそう思っている。

「そういうことなら別にいいわ……言ってることも分からなくはないしね。

 ただ、それなら本当に死なないでよね? せっかくのなんだもの! 死んだら本当に勿体ないどころじゃ済まないから!」

「あ、そっちなんだ……えっと、俺個人に対する心配とかは───」

「ないわ。後処理はどうせ別の人がやるし」

「あっ、はい。わかりました」

 なんとなくわかってはいたことだが、面と向かって言われると中々に辛い。

 辛いというか、なんだかこう……悲しい気分になるな。


「それじゃ、今夜にもう一度あの街ね。

 アイツの匂いは覚えたから、夜になり次第仕掛けるわ」

「あぁ……って、ん?」

 ちょっと待て。今夜?

 今行かないのか? いや、というかそれで思い出した。今って何時だ⁉︎


「サ、サラ! 俺が気を失ったのは何時だ? というかどれぐらい寝てたんだ俺?」

「え?」

 サラは俺の方に振り向いた後、少し考えてから携帯を取り出す。

 どうやら今の時代は人外も携帯を持ち歩くらしい。

 今はそんなことを気にしてる場合じゃないのだが……。

「えーっとね……同僚に連絡入れた後ちょっとしてから倒れたから……あった。

 ん〜……大体8時ぐらいね。今が2時だから、16時間近く寝てたことになるわね」

「じゅうろっ───⁉︎」

 どうやら俺は、そんな長い時間ずっと寝ていたらしい。

 そのことにも驚くが、もっと大きな問題がある。

「昼の二時って……遅刻なんてもんじゃないよ……」

 そう、学校だ。

 昼の二時ということは、つまり遅刻で……さらに電話もしてない(というかできない)ので無断欠席という扱いだろう。

 無断での欠席もしくは遅刻の場合は確か、担任が家に電話をして確認するらしい。

 家を出たのに学校に来ていない、という場合は何か事件などに巻き込まれている可能性があるから、というワケだ。


 ちなみに俺は一人暮らしで、そのことは先生も知っている。

 無断で欠席した上、電話に誰も出ない場合は事件に巻き込まれたと判断されるだろう。

 その場合は警察に連絡がいき、俺の捜索が始まる可能性がある。もちろん俺はそこまで詳しくないので本当に警察に連絡がいくのかはわからないが、それでも面倒なことになることは避けられないだろう。

 ただでさえ最近は『氷霧の吸血鬼事件』で皆緊張しているのに、そこで俺が行方不明となればまぁ……その後のことは簡単に想像できるってものだ。

ればまぁ……その後のことは簡単に想像できるってものだ。


「どうしたのよ? そんな面白い顔して」

 そんなことを知らないこの女は、無慈悲な感想と共に「どうかしたのか」と聞いてきた。

「うるさい。こっちは冗談とか言ってる場合じゃないんだよ……

 昼の二時ってことは、無断欠席に対して先生……多分宗一郎先生かな……が連絡を送ってきててもとっくに手遅れだろうな……」

「無断欠席……ん? ソウイチローって言った?」

「言ったけど……お前、宗一郎先生のこと知ってるのか?

 いや、そんなわけないよな。どう考えても関わりがなさすぎる」

「もちろんよ。私だってこの街には初めて来たんだもの。

 ただその人とは話したわ。学校から電話がかかってきた時にそう名乗ってたし」

「なるほど……って、はぁ⁉︎ 学校から電話だと⁉︎」

 突然の衝撃の発言に驚き、かかっていた毛布を跳ね除けながらつい叫んでしまう。


……いや、なんで学校から連絡が来るんだ?

「貴方の携帯電話にかかってきたのよ。

 どうやら「家に電話したが繋がらなかった」とのことらしいわ」

「あー……そういや先生は俺の電話番号知ってたな……。

 ってかお前、それに出たのか? なにか聞かれなかったか?」

「そりゃあ聞かれたわよ。

 なんで学校を休んでるのか、貴方は誰なのか、佐季との関係は……まぁそんなところ?

 まぁ、そこらへんは上手く誤魔化しといたから感謝しなさい」

 自身ありげにサラはドヤ顔を見せている。

 確かに誤魔化してくれたのはありがたいのだが……絶対面倒なことになったと、俺の勘が告げている。



「はぁ……先生にどうやって説明しよう……。

……まぁいいや。一番面倒な事態は避けられたし、一応感謝だけしておくよ」

「一応ってなによ」

「そのまんまの意味だよ」

 ムスッとしているサラを適当に流し、ベッドから起き上がる。

 起き上がって部屋を見渡し、ここはどこなのかまだ聞いていなかったことを思い出した。

「そういえば、ここって何処なんだ? お前の家とか?」

「半分正解。

 一般的な扱いとしては別荘かな? まぁこの家の役割はあくまでもこの街で活動するための拠点だし、昼の間休む場所としてしか使ってないから狭いんだけどね。

 とても別荘と呼べるほどの大きさはないわ」

「なるほどな……」

 確かに、この部屋にはあまり生活感がない。

 来客用のものだと思われるソファやテレビはあるが、異常なまでに綺麗だ。掃除はしているのだろう。ホコリなどはないが、その代わりとしてシワなども一切見当たらない。

 横にはキッチンが見えるが、こっちは逆に。綺麗に並べられた調理器具が大量に占拠しており、キッチンというよりは実験場だ。一周回って生活感がない。

 まぁ、家具のほとんどがあかいのは彼女らしいところだが。

「……本当に休むためだけに使ってるんだな、ここ」

「まぁ、唯一置いてあるテレビも見ないからね。必要かと思って買ったはいいけど、スマホで見れるからあんまり使ったことないわ」

「マジかよお前……」

 あのテレビ、見た感じではかなり高い気がするのだが……それを買って以来ほとんど使っていないとか、あまりにも贅沢すぎる。


 でもまぁ……それは別にどうでもいいか。どうせこれが終われば俺はこいつと関わることはなくなるのだから、わざわざ気にするほどのことでもない。






「あ、そういえば。

 フローゼンのやつは放っておいても大丈夫なのか?」

 てっきり彩化物は“吸血鬼”のイメージ通り夜の間しか行動できないと思い込んでいたが、一応取り返しのつかない事態にならないよう念のために聞いておく。

「大丈夫よ。彩化物は昼の間は行動しないから。というよりも、正確には活動がかなり難しいって言った方が正しいわね。

 なんてったって太陽光を浴びるとのよ。色褪せると力が弱まるだけじゃなく体力の消費もすごいことになるから、私みたいに特殊な例でもない限り基本的には浴びたくないはずよ。なんなら色が弱い下位の彩化物とかはすぐに色褪せて消滅しちゃうし……伝承にある“灰になって死ぬ”ってのはこのことね」

「あぁ、褪色たいしょくってやつか。窓際に長い間放置され続けたポスターが白くなってるアレと似た反応ってことだな。

……でもあれって青系の色は影響が薄いとかじゃなかったっけ?」

「大丈夫よ。心の色はペンキとは違って“実体”を持たないからね。“属性”の存在だから“概念”の影響をもろに受けるわ」

「……実体? ……属性? ……概念?」

 突然俺の知らないことについて話し出すのはもはや慣れたものだ。しかしその内容自体は気になるため聞き返す。

……正直、俺はその発言をすぐに後悔することになった。

「これは科学と魔術の話よ。ちょうどいいし、解説でもしましょうか!」

「……ドウゾ、ヨロシクオネガイシマス」

 あかい眼をキラキラに輝かせる彼女を相手に、ここで断る勇気は流石の俺にもなかった。

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