第40話 お雑煮

 黒木さんの腕の中で目を覚ました。

 今年最初の太陽の光を浴びたあと岩野さんとは分かれて、黒木さんの家でお風呂に浸かった。芯まで冷えきった体もぽかぽかになって、そのまま黒木さんにぴっとりとくっついて眠る。


「澪、そんなに甘えただったっけ?」

「んー? んふふっ」


 二人になると『澪』って呼び捨てにされると胸の奥のほうがくすぐったいのだけれど、私はとても好きな時間だ。どんなに寒い冬でも上半身は何も羽織ることなく眠りにつく黒木さんにも慣れてきて、その胸に頬をくっつけて眠るのが心地よい。




「お正月は実家に帰らなくていいの?」

「私、父が苦手で……」

「そっか……」

「黒木さんは? 帰らなくていいんですか?」

「俺は毎年、お正月過ぎてから顔出してるから」

「私、おせち作りましょうか?」

「お雑煮だけ食べたいかなぁ。それと、一緒に行きたい所があるんだ」

 年末の掃除をしながら、そんな会話をしていた。

 



 私は黒木さんを起こさないようにゆっくりと起き上がる。黒木さんはいつもより幼い顔で小さな寝息をたててぐっすりと眠っている。ドライヤーでサッと乾かした髪の毛は乱れて寝癖がついていそうだ。

(ふふっ、ちょっと可愛い)

 私は上着を羽織ってキッチンへと向かう。


 水で戻しておいた干し椎茸や人参を飾り切りにして、白菜や白葱をカットする。小さくカットしておいた鶏肉を入れてお出汁の中に入れた。干し椎茸の戻し汁もいれるといい香りが広がってきた。ほんのひとつまみお塩を入れて、お餅を入れる。


「ふぁー、おはよぉー」

「おはようございます」

「いい匂いがするー」

「あとは、お餅が柔らかくなったら出来上がりますよ! 顔洗って来てください!」

「はぁーい」


 やはり芸術的な寝癖で、まだまだ眠そうな黒木さんも上着を羽織って洗面所へ向かった。こんなに穏やかなお正月休みが来るとは思っても見なかった。去年は実家に顔を出したけど居心地があまり良くなくて食事をしてすぐに帰ってきてしまったから……。

 毎日一緒に働いている黒木さんとずっと一緒にいても疲れる事はなく、心地のよいお正月休みになりそうだ。


「いただきます!」

「いただきます!」

 ふぅふぅとしながらお出汁を少し飲んで、お餅を口にいれる。柔らかくなったお餅がびょーんと伸びて、黒木さんと二人で笑いながら食べた。

「んー、お雑煮美味しい! うちの実家はお餅を焼いて入れるんだけど、焼かないのもいいねぇー! お出汁が絡まって美味しい!」

「えへへ、良かったです!」

「食べたら着替えて車で出かけようよ! ちょっと混んでるかもしれないけど、のんびりドライブ! いい?」

「はい! でも、どこに行くんですか? お正月だから人が多いでしょうねぇ」

「食い倒れの街、大阪に!」

「大阪? えっ? 今からですか?」

「そ、たこ焼きにお好み焼き、イカ焼き、あ、串カツもあるね! んでもって、グリコの所で写真撮って帰ってくるんだ! どう?」

「黒木さん、運転が大丈夫ならばいいですけど……」

「大丈夫! だからこの時間から出発するんだよ! 今年はお店のお正月休みも一日増やしたしねっ」

 黒木さんはそう言って、嬉しそうにお雑煮をおかわりしていた。


 車で最低でも約三時間半はかかるだろう。もちろん、私は行ったことのない街なのでわくわくしている。

 ホテルなどの予約もしていないので、念のためトランクには毛布を積み込んで、ほんの少しの着替えを積めた鞄を持って出発した。高速道路はやはり少し混んでいる。大きなサービスエリアに立ち寄り、ご当地キャラのグッズを見たり美味しそうな物を二人で分けて食べながらドライブは進んでいく。


「黒木さん、見てー! 素敵な夕焼け!」

「あー、ほんとだ! ここのサービスエリアに寄って正解だったねー!」

「はい!」

 建物の裏側には広い芝生が広がり、ベンチもたくさん設置されていて、赤いリードをつけたゴールデンレトリバーがベンチに座る飼い主の足元でごろんとくつろいでいる。時折吹いてくる風に顔を上げて鼻をピクピクさせて匂いを嗅いでいる。

 そして、その横に小さな可愛らしい建物を見つけた。

「澪、あそこ良くない?」


 部屋に入るとベッドが二つ並んでいて、小さなソファーが一つ置かれている。小さめのテレビが設置されていて、お風呂とトイレもついている。サービスエリアから出ることなく泊まれる宿泊施設だった。


「たまたまキャンセルが出たなんて、本当にラッキーでしたね!」

「ほんとだよー! 澪、見て!」


 さっきまで見ていた芝生の休憩スペースが窓の外に見えている。夕焼けの空は少しずつ紺色のレースのカーテンをかけたように色を変えていた。


「わぁー、綺麗!」

 私は外の景色に見とれていると、黒木さんの優しい腕に後ろから包まれる。

「澪、愛してるよ……」

「黒木さん……、私も……」


 私の言葉は黒木さんの柔らかな唇に遮られて、キスに変わる。黒木さんの大きな手は私の後頭部に回されて、甘い甘いキスをした。


『愛してるよ』


 この日、初めて黒木さんに貰った言葉は私の体を熱くした。

 

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