第33話 揺れた夜

 ※このお話は令和五年十二月末に書いて投稿したものです。地震の場面が出てきます。まだまだ不安な方、ご不快に感じられる可能性がある方は読むのをお控え下さいませ。 綴  


―――――――――



 私は自転車を押しながらゆっくりと黒木さんと並んで歩く。まだ辺りは真っ暗で街灯がぽわんと優しく灯っている。気がつけば湿気を帯びていた夜風もからりとして、上着を羽織って歩くのにちょうど良い季節になっていた。

 東の空はまだ暗く、まん丸の月が私たちの後をゆっくりと付いてくるようだ。


「澪ちやん、明日は山の方に行ってみる?」

 休みの日のお出かけは何となくずっと続いている。 

 この前は映画を一緒に見たけれど、大きな音にビックリした私はポップコーンを撒き散らしてしまった。

 二人で顔を見合わせて必死で笑いを堪えながら、散らかったポップコーンを片付けた。


「山ですか、いいですねぇ。そろそろ紅葉も始まってるかなぁー」

「んー、どうだろうね。もう少し寒くなれば雲海なんかも見れるだろうけど。寝ないで行かないと間に合わないかもしれないなぁ」

「雲海? 私見た事ないです!」


 そんな私たちの会話は突然止まった。

 ん? なんだ?


 地面が揺れているような気がする。

「え? 黒木さん、なんか揺れてます?」

「揺れてるかも」


 電信柱から伸びている電線が大きく揺れている。近くの駐輪場に止めてある自転車が、ガシャンと音を立てて倒れた。

「ひゃっ!!」

 私は怖くなって押していた自転車から手を離してしまった。私の自転車もガシャンと音を立てて倒れた。カゴの中に入れていた鞄が地面に叩きつけられる。


「しゃがんで!」

 黒木さんは私の肩を掴んで地面にしゃがませる。遠くを歩いている人も慌てているようだ。私は怖くなってその場にへたり込むようにしゃがんだ。私と黒木さんの携帯のアラームが連動するように鳴り響いている。私の心臓もドクンドクンと脈を打つ。

 地面はひんやりと冷たくて、地球の底からの揺れはまだおさまらない。


 あちこちで物が倒れるような音が聞こえてくる。どこかの飼い犬が吠える声が聞こえ、野良猫が目の前を走り去っていった。カラスが鳴き声をあげながらザワザワと空を飛んでいく。

 グラグラと揺れる地面に手をついている私を庇うように黒木さんもしゃがんでいる。

 信号機も大きく揺れて、街灯はチカチカと光る。やがて揺れは小さくなり、辺りは静けさを取り戻した。


「澪ちゃん、大丈夫?」

「は、はい」


 今の揺れで目を覚ました住民達が、窓を開けてベランダに出たり、玄関から急いで出てくる人もいた。

「あんた達、大丈夫だったかい?」

「はい、僕たちは大丈夫です。ありがとうございます」


 黒木さんは立ち上がり、ゆっくりと私を立たせた。何事もなかったけれど、私の足がまだ少し震えている。


「澪ちゃん?」

「はぁ、びっくりしましたね……」

 黒木さんは、倒れてしまった私の自転車を起こしてスタンドをガシャンと立てた。転げ落ちた私の荷物も拾ってくれる。そして近くの駐輪場で倒れてしまった自転車を一台ずつ起こしていく。私も少し遅れて手伝いに行って、一緒に自転車を起こして回った。


「……あ、店の中、大丈夫か確認しなきゃ」

 黒木さんは、汚れた手をパンパンと叩いて辺りを見回している。まばらに出てきていた住人達も、安心したのか家の中に戻って行った。


「澪ちゃん、先に送って行くよ!」

「いえ、私もお店に行きますよ。中が大丈夫か心配ですし……」

「大丈夫? 無理しないでね」

「はいっ、無理してません。黒木さんと一緒に行きます!」


 まん丸の月が見守る中、黒木さんと私は歩いて来た道を戻っていく。置きっぱなしの自転車やゴミ箱が倒れてしまっていた。古くからある、近くのスナックの入り口に並んでいるプランターの花が倒れてしまっていた。

「あぁ、おばさんがいつもお水をあげてたのになぁ…て」

 黒木さんは小さな声で呟いた。そして黒木さんも私も、黙ったまま急いでお店に向かった。


 お店の扉を開けると、お酒の瓶がいくつか割れてしまっていた。ウィスキーやバーボンの匂いがお店の中に広がっている。

「あー、割れちゃってるなぁー。澪ちゃん、足元気をつけてよ」

「はいっ」


 洗ってテーブルにかけて干しておいたダスターが床に散らばっている。メニューボードが倒れ、テーブルに飾ってあった小さな花瓶もいくつか割れてしまっていた。私は塵取りと箒を取りに行き、破片を集める。

 黒木さんは、落ちたダスターで溢れてしまったお酒を拭いて、新しいダスターで綺麗に片付けていった。


 入り口の扉を開けたまま、換気扇をまわし小さな窓を開けて空気の入れ替えをしても、お酒の匂いはまだ消えない。


「あー、でも澪ちゃんもケガしてないし、お酒も何本かだけだし、良かったよ」

「そうですね、小さな花瓶も割れちゃったけど」

「うん、お客さんがケガとかしてないといいけどなぁー。ダーツは大丈夫そうだし、ガスや電気も問題なさそうだし。良くはないけど……良かったよ、お酒の匂いは仕方ないか」

「匂いはお酢で消えるかもしれません」

「お酢?」

「はい。ランチでカレーを出して、夜はお寿司屋さんになるお店があるらしいんですけど。カレーの匂いは、すし飯を作ると消えるってテレビで見たことあるんですよ!」

「へぇー、じゃあ、ちらし寿司でもここで作ってみる?」

「ですね」


 少し落ちついてきた私と黒木さんは顔を合わせて微笑んだ。黒木さんが居てくれて良かった。お店も明日は休みだし、何とかなるだろう。


「澪ちゃん、雲海はまた今度でもいい? 明日はあまり遠くに行かないほうがいいかもしれない。念のため……ね?」

「はい、そうしましょ! 念のため」


 割れてしまったお酒のスペースは空いてしまってるけれど、お店の中はいつもと同じように片付いた。お酒の匂いは、明日何とかしよう。

 そして、また店の鍵を閉めて黒木さんと私は歩いて家に向かった。黒木さんが私の自転車を押しながら、ゆっくりと歩いていく。

 太陽が顔を覗かせて、柔らかな光が照らす道をゆっくりと歩いて帰る。さっきの地震はなかったかのような、爽やかな風が吹いている。

「今日は長い一日だったねー」

 黒木さんは、自転車を押していない方の手をそっと伸ばして微笑んだ。

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