第31話 傷痕
いつもの週末だった。
ソファー席にはダーツをするいつものメンバーがいる。
黒木さんは、ラピスラズリたちに誘われてダーツをしていた。リーグ戦に出るようになってから黒木さんがダーツをする姿を見る事が多くなった。
岩野さんもカウンターでお酒を作れるようになってきたので任せてダーツができるようだ。
楽しそうにハイタッチをしている黒木さんを見ながら、岩野さんがポツリと言った。
「
「えっ? 私は何も」
そう、確かに私が拾われた頃の黒木さんは今より少し静かな雰囲気だったかもしれないのだけれど。
岩野さんが言ってる意味が私にはよくわからなかった。
「
「何かあったんですか?」
「……そっか、まだ言えてないんだ、」
「……?」
それ以上聞いていいものなのかどうかもわからなかった。何かはわからないけれど、言いたくない事かもしれないし……。
「
「は、はい。それって私聞いちゃって大丈夫なんですかね?」
「んー、
カウンターで使い終わったバースプーンやグラスを洗いながら岩野さんは黒木さんを見つめている。
黒木さんは真剣な眼差しでスローラインに立ち、ダーツを投げていた。
「
「……えっ?」
珍しく小さな声で、岩野さんが私にそう言った。少し寂しそうな視線を黒木さんに送りながら、少しうつ向いている。
そこにはいつもの陽気な岩野さんの姿はなく、親友を心から思う真剣な表情をしている。
私は何も言えずに、ただ黒木さんを見つめていた視線を岩野さんに戻した。
「直後はさ、酷い飲み方してたんだよ。それでも気晴らしになるのならって俺も付き合って飲んで回ったけど、あいつはボロボロで。ダーツに誘われて、少しずつ落ち着いてきたんだよ。で、そのままお店で働き始めたんだ」
「へぇー、そうだったんですか」
洗い終わった食器から、ぽたりと水の雫が落ちる。私にはスローモーションに見えた。
「そこのお店の店長が良い人でさ、
私の心がチクチクとした。
彼女はいただろうけど、事故で亡くなっていたなんて思いもよらなかったし。
そんな話を黒木さんとした事がなかった。
でもたまに、少し寂しそうな目をしていたのを覚えている。
「久しぶりに帰ってきた時、びっくりしたんだよ、
「私は何も……私は黒木さんに声をかけて貰って、拾ってもらったので、」
「ん? そうなの? そんなに簡単に女の子を拾う奴じゃないよ?」
「あはは! やったー、カードの名前かけとけばよかったなぁー」
黒木さんの楽しそうな笑い声と笑顔が弾けて飛んでくるようだった。
「やっぱり、澪ちゃんのおかげ! ありがとう! これからもヨロシクね!」
「は、はぃ。特に何も変わらないとは思いますけど、黒木さんと一緒に働くのは楽しいんで!」
「うんうん」
岩野さんが微笑んで、私も一緒に微笑んだ。
黒木さんは以前働いていたお店に行った事がある私の事を覚えてくれていて、助けてくれた。黒木さんも心の傷痕を隠して私に接してくれていたのかと思うと、胸がギューっとなるけれど。
私は私らしく、これまでと変わりなく黒木さんの傍で頑張っていこう。
黒木さんの笑顔は、絶対にこのお店になくなてならないものだから。
「澪ちゃんがきてからだどー。黒木さん、無茶な飲み方しなくなったのは」
「えっ? 玄さんも知ってるんですか?」
「だってぇ、前に働いていたお店で無茶苦茶な飲み方してたんだどー。仕事してても、たまーに潰れるまで飲むことあったからなぁー。最近の黒木さんはぁ、本当にカッコいい飲み方するようになったよ」
「玄さん、さすが! 俺もそう思います!」
岩野さんがグラスを拭きながら、玄さんに笑いかけている。
私がこのお店で働くようになってもうどれくらいたったのだろうか。
最初の頃は、自分の事に精一杯で何も見えてなくて必死で頑張っていた。
ダーツを覚えて、お客さんと仲良くなって、仕事を覚えて……。
こんな私の事をいつも見守ってくれている黒木さんは、いつも優しい瞳で笑ってくれている。
心の奥に辛い過去を押し込んで、隠して。
私の心の傷もいつの間にか消えていった。
これからも、今と変わらず毎日を過ごしていこう。
黒木さんと一緒に、お店で働きながら。
岩野さんとも協力しながら。
TEAM180のメンバーと共に笑いながら。
今日聞いたことは、黒木さんの口から聞くまでは何も言わないでおこう。
いや、黒木さんが忘れたくても忘れなれなくて苦しいのなら、私はそのままの黒木さんの傍にいよう。
星が消えていく空を眺めながら、ゆっくりと一緒に歩いて帰ろう。
休日には気持ちいい風を感じながら、一緒にお茶を飲もう。
ふと目が合ったなら、いつも通りニコッと笑ってみよう。
黒木さんが食べたいと言うものは、頑張って作ってみよう。
今の私が私でいられるのは、黒木さんがいてくれたから。
黒木さんの心の中にある傷痕も、黒木さんの大切な一部なのだから。
「澪ちゃん、ラピスにmissキーマカレーひとつね! お腹空いたんだって!」
黒木さんが大きな声で言って笑っている。
「はいっ! すぐに作ります!」
私も笑顔で返事をして、キッチンへと向かった。
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