第29話 風が吹いた日

「お待たせしました!」

「澪ちゃん、おはよう!」

 黒木さんとの約束の日、私のマンションの下までお迎えに来てくれた。

「えっ? 車?」

「そ、休日くらい乗らないともったいないっしょ。俺、運転好きなんだよ」


 白くて手入れの行き届いた少し大きめの車の助手席に乗りシートベルトをカチッと締める。ちょっとだけ緊張する。

 鏡の前で何度も服を着替え、いつもよりもきちんとメイクをした。いつも結んでいる髪の毛はおろして、アイロンで緩く巻いて、いつもよりも少し明るい口紅をつけてきた。


「いいね、その……」

「ん?」

「くりんってなった髪の毛、」

  黒木さんは前を向いたまま遠慮がちに褒めてくれた。ちょっぴり恥ずかしかったけど、嬉しかった。車の中で流れている曲は、今流行りのポップスだった。

 私が好きな曲が流れ思わず口ずさんでしまっていた。

「ふふっ、澪ちゃんも好きなんだ」

「えへへ、洋楽とかはあまり聴かないんですよ。英語の意味がわからなくって」

「あはは! 一緒一緒!! 店では雰囲気のいい曲を流してるけど、ほんとはこっちの方が好きなんだよねー」

「学生の頃はよくライブとか行ってキャーって騒いでたんですよ」

「ライブいーよねー」


 信号が赤になり車が止まると、黒木さんはペットボトルのコーヒーを飲む。普段は付けていない時計が気になるらしく、何度も腕を気にしている。スリム系のジーンズにシンプルなTシャツ、セットしていない髪の毛が新鮮に感じる。



 少し車を走らせて、大型のショッピングセンターへ到着した。平日の昼下がり、小さな子供を連れたママ達がベビーカーを押しながら楽しそうに笑っている。


 私は黒木さんと一緒にいくつかのお店を見て回り、素敵なお店に足を止めた。シンプルなデザインのものや、割れにくい素材でできたものが並んでいる。

「ここ良くない?」

「はい、可愛いですね! あ、これ!」


 私は細長い少し変わったのお皿を手にした。

 幅は十センチ、長さは二十五センチくらいだろうか。まっすぐではなく、少し遊び心のあるお皿だ。

「お、それ、」

「これで、コロコロコロッケを出したいです!」

「俺も思った!」

 そんな感じでいくつか食器類を選び購入した。ボウルに盛り付けをしていた生姜焼丼も少しシンプルな丼をいくつか選んだ。


 重い紙袋は黒木さんが持ってくれて、カトラリーやペーパーなどは私が持って並んで歩く。柔らかな日差しが私たちを包んでくれている。


「ちょっと休憩しよ?」

「はいっ!」

 カフェのテラス席でピザと飲み物を注文して一緒に食べた。

「気持ちーよなぁー、澪ちゃんは休みの日はいつも何してるの?」

「まず家の片付けでしょー、後は映画見たりゴロゴロしてます」

「そーなるよなぁ? けど、たまにはこうして太陽の下で過ごすのも必要だよねー」

「ですねー」


 ピザを食べ終えて、黒木さんはにっこりと私に笑顔をくれた。

 休日の黒木さんはいつもよりも柔らかい表情をしている。やっぱりお店を経営するっていうのは大変で、色んな事を考えながら仕事をしているのだろう。


「澪ちゃん、まだ時間大丈夫?」

「はい、大丈夫ですよ」

「もう少し見て回ろうよ」

「はいっ」


 荷物を車に置いて、ショッピングセンターの中をゆっくりと歩いていく。

 季節を先取りしたアイテムが並び、ふわふわとしたニットのコーディネートが可愛い。

「最近さ、マネキンの顔ってないよね?」

「そうですねー、私は子供の頃少し怖かった記憶があります!」

「あー、だよねー」

「マネキンが女性だとか男性だとか、そうゆうイメージをつけない為かなぁ、」

「あー、そっかぁー!」

「なーんて、本当はわかりません! えへへ、」

「あはは!」


 そのあとも色々見て回った。サングラスをかけて遊んでみたり、帽子を被ってみたり。

 黒木さんは肌触りのいい、濃いグレーのパーカーを買っていた。

「澪ちゃん、それ似合う! 可愛いじゃん!」

 って、ニット帽を買って貰った。

 申し訳ないからいいです! って断ったけれど、黒木さんは一緒に会計をしてくれた。

 凄く可愛くて自分で買おうかと迷っていたのを気づかれていたのだろうか。私が自分で買うには少し高級な値段だったので諦めていたのだけど。


「はいっ!」

 って黒木さんはニコッと笑いながら紙袋を差し出してくれて、思わず受け取ってしまった。

「ホントにいいんですか? これ、高いですよ」

「澪ちゃんに被って欲しいんだよ」

「ありがとうございます!」


 私は素直に受け取る事にした。とっても可愛いニット帽だったし、黒木さんからのプレゼントが嬉しかった。


「澪ちゃん、あっち海が見えるんだよ」

「えーっ、見に行きたい!」

「いこっ」

 広いウッドデッキにはベンチがたくさん並んでいる。少し太陽が傾き、私たちの影が長く伸びている。

「わぁー、気持ちいいー」

「だろっ?」


 黒木さんと二人で並んで腰を下ろした。ベンチではなく、ウッドデッキが段差になっていて海に近い場所。穏やかな波は夕陽に照らされてキラキラと輝いて少しだけ眩しくて。

 私は目を細めて空を見上げ、潮風の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「澪ちゃん、もし良かったら……なんだけどさ、」

「ん?」

「また休みの日にこんな風にドライブとかしない?あの、全然無理せず断ってくれていいんだよ?」


 その時少し強い風が海から吹いてきた。

 潮の香りが私たちの間を通りすぎていく。

 私には断る理由なんてなにもなかったし、お互いの小指の先がほんの少しだけ触れているのが心地良かった。お互いに手を置き直す事もなく、かといって握るわけでもなく。

 ほんの少しだけ指先が触れる距離にいる。


「はいっ! また連れて来てください! いつでも、」

 黒木さんと目が合って、ふたりで微笑んだ。

 黒木さんの髪の毛が風に揺れて潮風に混じった優しい香りが通りすぎた。

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