第16話 ハムさんとチーズさん

 昨日の出来事は、口にしなかった。

「おはようございます!」

「澪ちゃん、おはよう!」

 何事もなかったかのように挨拶を交わす。


「黒木さん、サンドイッチの種類をもうひとつ増やそうと思ってるんですけど、」

「うんうん! いいと思うよ、卵焼きサンド人気だし。あ、あとさ、エヘヘスティックだけってのはどう? 難しい?」

 確かに、エヘヘスティックは人気があって、単品でもいけそうだ。


「んー、サンドイッチで切り落とした部分で作って添えてたんですけど。耳だけ売ってたら買ってみましょうか?」

「パンの耳だけって売ってるの?」

「パン屋さんとかにあると思います、買い物行くので見てきます」

「宜しく!」

「カロリー高いですけどねぇ、エヘヘスティック! ……行ってきます!」


 私は近くのお店に買い出しに出掛ける。いつもの玉ねぎやひき肉と、生姜焼のお肉。よく使う玉子やカレー粉。少しずつ増えてきたメニューに合わせて、買い物も増えてきた。そして、ハムとチーズなどを新しく買い足す。


 こんなに料理を作るのが楽しいなんて思わなかった。彼が来た時に作ってはいたけれど、そんなに嬉しそうな顔をしてくれた記憶は残っていなかった。

――もう、忘れてしまったのかもしれない。



「ただいま戻りましたー!」

「おっ、お帰りー」

 黒木さんがメニューボートを書き替えようとしていた。

「何買ってきたの?」

「えーっと、パンの耳ありましたよ、これ! それと、ハムさんとチーズさん!」

「それでボリューム出る?」

「あとは、安かった人参! これをー、シリシリにしよっかなぁー」



 人参は皮を剥いて、千切りにしていく。油で炒めてしんなりさせて、味付けをして玉子を加えて出来上がった。付け合わせにも使えるな。

パンを薄くカットして、マヨネーズを薄く塗る。

お腹を空かせた黒木さんが、キッチンを覗きにきた。

「うぉー、楽しみ!」

「こーやって、ハムさんを乗せて、チーズさんも乗せて」

「こっちのサンドイッチは、パンを焼かないんだね、」

「シリシリ入れるので、フワフワのままの方がいいかなって」


 最後に人参シリシリを乗せて、パンで挟む。ちょっぴりカットしにくいので、ラップでくるんでから包丁を入れた。


「黒木さん、できましたよ!」

「うぉっ、分厚いねー、食べよう!」

 大きな口で少し食べにくそうだ。

「少しシリシリの量を減らした方が良さそうですね?」

「どして?」

「女性には食べにくいかもしれません」

「あ、そっかぁ、」


 そして、ボードに新しく書き込まれた。


【新メニューできました】

⭐シリシリとハムさんとチーズさん

⭐高カロリー・エヘヘスティック 


 また黒木さんが変な名前をつけた。

「何ですか? この、ハムさんとチーズさんって?」

「澪ちゃん気づいてないの? 自分で言ってるよ? ハムさんとチーズさんって」

「えっ?」




 そうだった……きっと母親の影響だ。

『澪、ハムさんやチーズさんだけでなくて、トマトさんも食べてあげてね!』

『えー、どうしてぇー?』

『ハムさんやチーズさんはいなくなったのに、トマトさんだけお皿に残って可哀想だよ? 見て?』

 幼い頃の母親との会話。それ以来、一緒に買い物に行き、品物をカゴに入れる。

『ハムさん、入れたよー! ねー、ママ! ウインナーくんも入れていい?』

『ちゃんと食べてあげるならいいよ!』

『うん、食べてあげる!』

 懐かしい、母親との想い出。今度電話でもしてみようかな、―――なんて事を考えている場合ではなかった。




 お店の看板はまだ(close)のままだ。開店準備中の時間に扉を開く音が聞こえる。


―――カランコロンカラン。

「あれっ、玄さん! こんばんわ、」

「黒木さん、開店前にすまん。急に雨が降ってきちゃって」

 玄さんは、傘を持っていなかったのだろう。

 服は濡れている。頭は両手で覆って来たのだろうか、うっすらとした髪の毛はかろうじてボリュームを保っていた。それでも、雫がポタリと落ちた。


 私は乾いたタオルを何枚か手にして、玄さんに渡す。

「玄さん、とりあえずこれで拭いて下さい! 上着はハンガーにかけて干しておきましょうか」

「あ、澪ちゃん、ありがとう、ありがとう」

 玄さんは上着を脱いで、タオルで髪の毛を優しく拭いている。あまりにもそーっとそーっと拭いていて、笑いそうになるのを必死で我慢していた。


「ぶっはははは!」

 私が必死で笑いを堪えているのに、黒木さんが大笑いをしている。

「ちょっと、黒木さん!」

「おろっ、なんでぇ? 黒木さん、そんなにおもしれぇか?」

「澪ちゃん、タオル! ハハハ……」


 ん? タオル?

 玄さんが優しく髪の毛を拭いているタオルをよく見ると……。

「あ"―――! 玄さん、ちょっと待って、待って、ストーップ!」

「ん? 澪ちゃんまで、なんでぇ?」

「こっち、こっちの……ハハハ、こっちのタオルに変えて!」

 玄さんは不思議そうな顔をしながら、私が新しく渡したタオルと交換して髪の毛を拭き、濡れたズボンの裾も拭いた。


「ハハハ!」

「玄さん、ご、ごめんなさい、ハハハ」

「ふたりしてなぁに?」


「玄さん、最初のビールはご馳走しますよ」

 黒木さんが笑いながら言って。

「あのー、試作品の新しいサンドイッチ、はんぶんこしましょ!」

 と私は言った。

「おろっ、そうかい? 悪いねぇ、早くに来ちまったのに、」

と、玄さんは嬉しそうに笑った。

 そのあとも、三人で笑いながら過ごした。

「もぉー、澪ちゃんだから許すけどよぉ」

 玄さんは笑いながら言ってくれた。


 タオルを広げると、(そうじ用)と大きく油性ペンで書いてあった。

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