第11話 シンデレラ
その日は結局、玄さんは来なかった。
閉店作業をしていると、黒木さんが声をかけてきた。
「澪ちゃん。お願いがあるんだけど」
翌日、私は少しだけ早めに出勤をした。黒木さんはもうお店に来ていて、掃除を終えていた。
「おはようございます。黒木さんも早いですね?」
「ん。今日は澪ちゃんにも無理を言ってるしね!」
「全然、そんな事ないですよ! じゃぁ、準備しちゃいますね!」
私はキッチンに行って、準備を始めた。
まずはお米を洗い水を入れた。いつもは使わない食材を切っていく。人参や油揚げ、えのき。下ごしらえが済んだらお米の上に広げて、味をつけてスイッチを入れた。
お鍋で牛蒡、えのき、人参、油揚げ、大根を軽く炒めて出汁を入れて。豚肉を後から入れて軽く煮る。そして、お味噌をといて豚汁が出来上がった。
それと少し甘めの卵焼き。
「うわぁー、うまそうだなぁー」
と黒木さんは目をキラキラとさせている。
「味見してみます?」
「んー、今日は待っておこう! 三人で一緒に、ね?」
「そうですね。」
私はにっこりと微笑んだ。
――カランコロンカラン。
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ!」
「いやぁ! 黒木さん、何だい? 少し早めに来てくれって。メールなんて珍しい」
玄さんがいつもより少し早い時間にやって来た。いつもより、少しだけ背中を丸めているように見えた。
「玄さん、ご飯食べました?」
「んにゃー、お腹空かせて来てください! ってメールに書いてあったど?」
「良かった! ちょっと待ってて下さいね!」
私はキッチンへ入って準備をした。
「はい、今日は特別メニューをご用意致しましたー!」
私は、玄さんの前に食事を置いた。
炊き込みご飯のおにぎりと、甘めの卵焼き。
そして具だくさんの豚汁。豚汁からのぼる湯気に、玄さんの表情が和らいだ。
「はらー、なんでぇこれ」
「みんなで食べましょう!」
と黒木さんが言って、三人でカウンターに並んで食事をした。
「あー、温かいなぁ。うまいなぁ」
「んー、うまい! 澪ちゃんの料理はうまいなぁー」
「うふふ、良かったです!」
ぐずっ、ぐずっ、……。
「う、うまいなぁ。澪ちゃ、ん。ぐずっ、あ、ありがと」
玄さんが食べながら泣いている。
黒木さんは、ポンポンと玄さんの肩をそっと叩いた。黒木さんは何も言わず、玄さんはしばらく泣いていた。
私はただ、そっと見守っていた。
玄さんは数年前に奥様を亡くされたそうだ。黒木さんが前のBarで働いていた頃。玄さんはお店で飲んでいた。奥さんと朝から喧嘩をしたと愚痴を言いながら、お酒をいっぱい飲んで酔っぱらっていたそうだ。
「あっけないもんだよ」
と、それはそれは落ち込んで。
それから毎年その日はお店には来ないそうだ。
「思い出して辛いのか、次の日は必ず元気がないんだ。最後に奥さんが作ってくれてたメニューが炊き込みご飯と豚汁と甘めの卵焼きだったんだって。玄さんの好きな物ばかりだったんだと。酔っぱらって帰って、奥さんが倒れてしまったから、最後の料理は食べれなかったんだ」
「私の味つけで大丈夫でしょうか?」
私は不安だったのだが、黒木さんが笑って言った。
「辛い記憶のままでは寂しいだろ。俺は料理ができないから、澪ちゃんの力を貸して欲しいんだ」
そう言われて作った特別メニューだった。
「黒木さん、澪ちゃん、ありがと」
玄さんは泣きながら、豚汁をずずっと啜った。炊き込みご飯のおにぎりも、卵焼きも、きれいに残さず食べてくれた。
「玄さん、来年もまた三人で食べませんか?」
黒木さんが優しい目をして声をかけた。
「何だか申し訳ないだろ……」
玄さんはうつ向いて黙っている。
「あ! じゃあ、この日限定のメニューにしちゃえばいいんじゃないですか? 毎年この日は、この豚汁セットを限定十食! ってな感じでいけませんかね?」
私の言葉に、黒木さんが大きく頷いてくれた。
「いいね、それ! 決まりだ!」
「おぃおぃ、黒木さん! Barで炊き込みご飯と豚汁だよ? いいのかい?」
さすがに玄さんも少し困った顔をしている。
「玄さんの日だから!」
と黒木さんは笑った。
「黒木さん、もしかして……?」
私は嫌な予感がしていた。
白い紙に黒木さんが何やら書き始めた。
「澪ちゃん、POP書ける?」
「えっ?!」
【玄さんの日のセット・和風】
またひとつ、メニューが増えた。年に一回だけの特別なメニュー。
大切な大切な思いが詰まった、玄さんの日。
玄さんは、目を潤ませながら笑った。
「黒木さん、変な名前のメニューだけど。俺は毎年注文するぞ!」
と、こぼれる涙を指で拭った。
「ご馳走さまでした! よしっ、乾杯しよう! 黒木さん、澪ちゃんのカクテルも作ってあげて!」
「はい、かしこまりました!」
「乾杯!」
三人でグラスを軽く合わせた。
「いただきます!」
私はきれいな黄色いカクテルをひとくち飲んだ。
「酸っぱ!!!」
私は思わず顔をしわくちゃにして言ったので、黒木さんと玄さんは笑っていた。
「黒木さん、澪ちゃんのカクテルの名前なんていうの?」
「シンデレラです!」
酸っぱいけれど、何だか優しい気持ちになって玄さんの顔を見て私は微笑んだ。
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