第7話 退職記念日

 気がつけば、私がこのお店に入ってから一ヶ月が過ぎた。退職願いの提出も失業保険の申請も済ませてきた。


 たまに心の片隅がチクりと傷んで涙が出そうな時もあるが、何となく落ち込まずにやってこれている。きっと黒木さんやお客さんのお陰なのだろう。



 毎日少しずつ投げているダーツは、少しずつ上達している。

 と、言っても三本ともがちゃんと刺さるようになっただけなのだが。ルールさえ知らなかった私にとっては、素晴らしい成長だ。


 そして、私の大事な仕事である食事メニューも増えた。私はひき肉と玉ねぎのみじん切りを混ぜて、小分けにして置くようにした。使い勝手の良いパスタや粉チーズ、タバスコもストックした。



 黒木さんがポツリと呟いた。

「澪ちゃん、パスタ食べたいなぁ」

「賄いですか?」

「そう」

「ありきたりですけどいいですか?」



 私はまず、パスタをお湯に入れた。

 ストックしてあったひき肉と玉ねぎをフライパンで炒める。トマトの缶詰を入れて、塩と粗挽き胡椒と醤油で味付けをした。茹で上がったパスタにかけて、パセリをパラパラとふれば出来上がる。


「黒木さん、ミートパスタです!」

「おっ、頂きます!」


 黒木さんはフォークでパスタをくるりとまいて食べる。

「んー! うんうん! んー!」

「いけますか?」

 黒木さんはOKサインを出してくれた。

 その日の賄いは同じものを食べて、すぐにメニューボードに書き足された。


☆うんうん! ミートパスタ


 どうも黒木さんは何かを付けたがる。そういう所も、黒木さんの魅力のひとつ何だろう。


「あ、黒木さん。失業保険の手続きも無事に終わりました!」

「そっか。じゃぁ、退職記念日だな。おめでとう!」

 と、飲みかけのビールのグラスを差し出してくる。

 思わず私も、ジンジャーエールの入ったグラスを差し出して、チンと小さく鳴らした。


「ふふふ、変なの!」

「いいんだよ、何でも。毎日少しでも笑っていられればいいんだ」

 黒木さんの目が遠くを見ているような気がした。



 そして私は一つ提案したい事があった。

「黒木さん、私デザート的な物も出したいんです」

「デザート?」

「これです!」

 いつもサンドイッチには四枚切りの食パンを買っていたのだが、今日はそんなに高くない食パンを長いまんま買ってきた。

「食パン?」

「はい! サンドイッチにも使えますし、ピザトーストにも使えそうですし。あと、これとこれとこれ!」

 アイスクリームとチョコレートソースとイチゴソース、ホイップクリームを買ってきた。



「とりあえず作ってみてよ!」

 黒木さんは、ニコニコ笑っている。


 端から少し分厚くパンをカットして、切れ目を入れる。そこにバターを乗せてトースターでこんがりと焼き色をつける。


 アイスクリームをスプーンでコロンと乗せて、ホイップクリームをしぼって、イチゴソースをかけた。


「出来ましたー! 一緒に食べましょ!」

 と、ナイフとフォークを取り皿に乗せて置いた。


「可愛いね! なんか飾るといいかもね!」

「ですね!」

 私はトーストをナイフで切ってお皿に取ってアイスやホイップを乗せて食べた。

「おいしっ!」

 と同時に黒木さんも大きな口を開けてトーストを突っ込んだ。ほっぺに食べ物を溜め込んだハムスターのようだった。


「ぅんまー! いいね! 今度さ、メニュー作って写真撮ろうか。お店の外にメニュー作って置いとくんだよ。お酒が飲めないお客さんも入りやすくなるかもしれない」

 黒木さんは口についたホイップをペーパーで拭きながら言った。


「黒木さんがやってきたBarと雰囲気変わってしまいません?」

 私は少し不安になっていた。

 黒木さんの大切な物を壊してしまっているような気がしていたから。


「変えたいと思ってたんだよ。食事とお酒も楽しめるBarにしたかったんだ」

「良かったー。これ、チョコレートソースもあるんで、二種類から選べるんです!」

「ほう」


☆記念日のデザート・イチゴorチョコ


「黒木さん……早く写真撮ってメニュー表作らないと、文字だけでは伝わりにくいかもですよ」

 私は可笑しくて笑った。

「――そうかぁ?」

 と黒木さんは首を傾げていたけど、絶対にわからない自信があった。


 そしてアイスが溶けてきたので、慌ててふたりで記念日のデザートを食べ終えた。




――カランコロンカラン。

「いらっしゃい!」

「いらっしゃいませ!」

 出迎えたお客さんはダーツを持っていた。


「奥のソファのお席にどうぞ」

 私は笑顔で案内をした。



「ジンバック!」

「俺はジントニック!」

「私はコーラお願いします。」


 その声を聞いて、黒木さんはドリンクの準備を始めていた。

 チラリとお客さんの顔を見ながら。


 トレンチに乗せて、黒木さんがドリンクを運ぶと声をかけた。

「お待たせ致しました。ダーツは先払いですが、二千円で投げ放題になります」

「はーい!」

 と、お金を支払っていつものようにダーツ台のクレジットを入れた。


「あれっ?」

 ジンバックを頼んだ男性が黒木さんの顔を見て驚いた顔をした。

「バレたか――」


 黒木さんは指で頭をぽりぽりと掻いた。

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