第6話 トンエイティ
この店の名前は、Bar180。
180をトンエイティと読む。
何でなんだろうって、私は思っていたのだが、特に聞くわけでもなく時間は流れていた。
私がこのお店のキッチンを任されるようになってから、初めての週末だ。
【お食事メニュー始めました】
☆とりあえずオムライス
☆卵焼きサンド・えへへスティック付き
☆ブロッコリーのジャーマンポテトもどきですけど
☆私の生姜焼丼
賄い付きだし、メニューを増やす為に食材も少しずつ買い足して置くようになった。小分けにして冷凍すれば、無駄になる事もないし。最悪は賄いで食べればいいし。
食事メニューができた事を知らないお客さんは、大抵食事を済ませてくるし。
ダーツをする若者にはBarの食事は値段が高く感じるのだろう。
「黒木さん、今日のお食事どうします?」
「んー、今はいいや。後で何か作ってよ。」
「わかりました。じゃぁ、私は今のうちにぱぱっと食べちゃいますね!」
「おうっ!ごゆっくりー」
玉ねぎをカットして、薄切りの豚肉を炒めた。何だか今日は生姜焼が食べたくなって、小さく刻んだ生姜をたっぷり入れた私好みの生姜焼を作った。洗い物を減らす為に、深みのあるお皿にご飯を入れて、その上に生姜焼をのせた。
「頂きます!」
開店前のカウンターで手を合わせると、黒木さんが覗いている。
「これ、何?」
「私の生姜焼丼です。食べたくって」
「んー、いい匂い!」
「Barの雰囲気には合わないですけどね」
が、しかし。
黒木さんはもうすでにメニューボードに書き込んでいた。
☆私の生姜焼丼
「黒木さん、さすがにこのお店に生姜焼丼は合わないんじゃないですかね」
「いや、玄さんやダーツをする若者は食べるんじゃないかな」
確かに、価格は黒木さんが決めているのだが、他のメニューより少し安く設定されている。
私は生姜がたっぷり入った生姜焼丼をパクパクと食べた。自分好みの味付けなので満足だった。
「澪ちゃんは美味しそうに食べるなぁ」
黒木さんは、私が食べているのをジーッと見ていたようだ。
口をモグモグさせながら、黒木さんにプイッとした。働き始めてまだそんなに経っていないのに、私はとても居心地が良かった。
もう少しで私の有給は終わって、退職届けを出せば本格的にBarのメニューも勉強できるだろう。
失恋の傷はまだ癒えていない。
熟睡もできないし、ひとりでいると思い出して泣いてしまう事もある。
だけど不思議と忘れられる。
黒木さんやお客さんの笑顔に私は救われているのだろう。
――カランコロンカラン。
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ!」
笑顔でお客さんを出迎える。
「こんばんわ!」
「おっ? 今日は早いんだねぇ」
ダーツの三人組だ。
黒木さんは、いつものようにオーダーを聞かずにドリンクの準備をする。
「マスター! とりあえずオムライスってやつ、お願い!」
「おぃ、直人、私の生姜焼丼だってよ!」
「なぬぅー! でも、もうオムライスの口に、なっちゃってっから!」
「じゃぁ、俺は私の生姜焼丼!」
「俺も!」
夏喜と陽も注文してくれた。
「オムライスはオムレツと、くるっと巻いたのとどっちにします?」
「えーと、くるっと巻いたやつ!」
「はい!」
私は急いで準備に取りかかった。
トゥントゥントゥントゥントゥン……
ダーツ台のクレジットが上がる音が聞こえてくる。
今日も彼らのダーツが始まるのだ。
チキンライスを作り、フライパンに溶いた卵を流し入れる。半熟になった頃、チキンライスをフライパンに乗せてくるりとお皿に盛り付けた。その間にフライパンに生姜焼の材料を火にかけながら、オムライスの付け合わせの野菜を盛り付けた。深めのお皿を2つ用意して、ご飯を入れておく。
オムライスにケチャップでBar 180と文字を書いた。
生姜焼も仕上げて、テーブルに運んだ。
「お待たせ致しました!」
「うわぁお! 写メ撮ろ!」
と、直人が携帯で写真を撮った。
「生姜焼丼でーす!」
「うわぁー、まじうまそっ!」
嬉しそうな声を聞きながら私はキッチンを片付けて、次の注文に備えて仕込みをしておく。
「うまぁーい!」
「最高だわ!」
私は嬉しくてニコニコとしていたのだろう。
黒木さんがこっちを見て微笑んでくれる。
「良かったね」
って。
(新しいメニュー、早く考えなくちゃ。)
嬉しくもあり、責任もあり。
何よりも美味しそうに食べてもらえるのが嬉しかった。
――カランコロンカラン。
「いらっしゃい!」
「いらっしゃいませ!」
週末はやはりお客さんが少し多い。
ダーツをするグループがまたやって来た。
黒木さんは、またオーダーも聞かないでドリンクを作り始める。
トスッ・トスッ・トスッ……。
(えーっと、から投げだ!)
私は覚えたばかりの言葉を思い出していく。
「あれ、食事メニュー始めましただって!」
「えー! あ、ほんとだ」
「頼んでみる? この、えへへスティック付きって気になるし」
「おうっ!」
そんな会話が聞こえてきて、卵焼きサンドの注文が入った。
今日はやりがいのある一日になりそうだ。
「お待たせ致しました。卵焼きサンドです!」
テーブルに運ぶと皆がお皿を覗き込む。
「これが、えへへスティックです! 甘いんです。」
その横で声が聞こえた。
「出たートンパチ!」
「やったなぁ、陽!」
グータッチをして喜んでいる。
ポカンとした私に気づいて直人が教えてくれた。
「このね、ここに数字があるでしょ。外側の枠が二倍で、内側の枠が三倍なの。で、二十の三倍の所に三本刺さってるから、百八十点! これを180(トンエイティ)って言うんだよ。このお店の名前だよね! 俺たちはトンパチとも言うけどね。」
「そうだよ! 店の名前の180トンエイティ! 俺はそこが一番好きなんだ。」
黒木さんは嬉しそうに笑っている。
――トンエイティ――か。
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