第2話 Bar 180

【お料理出来る方募集中!】


「黒木さん、これ……」

「あぁ、俺はあんまり料理出来ないんだよね。でも、うちはダーツしに来る若者もいてさ。なんか腹減ったーとか言うんだよ。」


 私はしばらく考えていた。

 そんな私の様子を見て、黒木さんが声をかけてくれた。


「え、料理できる?」

「簡単な物なら……」

「例えば?」

「オムライスとか、カレーとか、生姜焼とか。家庭料理なら」

「ホントに?」

「はい」


 黒木さんは少しだけ考えて、私の顔を見た。

「名前は?」

「結城澪(みお)です。」

「年齢は?」

「二十五歳です。」

「今の仕事は?」

「事務員ですが、有給消化して退職します。」


 黒木さんはしばらく空を見上げていた。

 ふっと視線を私に戻すと、右手を出した。

「俺は黒木真瑚(まこと)。二十八歳。これから宜しくね!」

 と笑顔で言った。

 私もそっと右手を出して、黒木さんの手を握って握手をした。


「なるべく早く来て貰えるとありがたい。念のため、履歴書的な簡単な物でいいから書いて持ってきてくれる?」

「はいっ!」


 私は電話番号と住所を書いたメモを渡して、その日は帰宅した。


 Bar180を出て、さっきまで気力を失くして泣いていたロータリーのベンチを通りすぎる。自転車に乗って、月を眺めながらのんびりと家へと向かった。



 失恋と失業を同時に経験して捨てられた私は、黒木さんに拾われた。


 黒木さんは何も聞かなかった。

 泣いていた理由も、仕事を辞める理由も。


 そもそもBarなのに、お酒ではなくホットココアを私に出してくれた。

 しかもお店は定休日なのに……。



 私は冷蔵庫を覗く。

(買い物してないから食材がないや。)

 残っていた野菜と冷凍庫にあった切り落としのお肉で野菜炒めを作って、少し遅めの夕食をとった。


 色々な気持ちが私を襲ってきて、涙が零れ落ちる。

(私のこの二年はなんだったのだろう。)

 情けなくて、悔しくて、恋しくて。


 でも早く忘れてしまおう。

 食事を終えた私は、退職届を書いて準備した。




 翌日の夕方、私はBar180に向かった。

『close』のプレートはかかっていたが、店内は照明がついているようだ。

 私はゆっくりと扉を開けた。


「おっ、予想通りだ! さっそく来てくれたんだね!」

「こんばんわ!」

 私はゆっくりと黒木さんのいるカウンターに近づいて行く。


「あのー、これ」

 と、用意してきた履歴書を手渡すと黒木さんが笑った。

「もしかして、ホントに書いてきてくれたの? 真面目だねぇ。ハハハ!」


「えっ?」

 黒木さんは嬉しそうにまだ笑っていた。


「では、今日から宜しくお願いします」

「よ、宜しくお願いします!」


 Bar180のスタッフとして、お店に出る事になった。

 黒木さんはバーカウンターにいる事が多いため、黒いパンツにシャツを着ている。


「澪ちゃん、……って呼んで大丈夫かな?」

「はい!」

「澪ちゃんは、このエプロン付けて。服装は基本的に自由だけど、お料理するから清潔感はあるほうがいいかな」

 と言われた。


 この店にあるダーツは古いタイプらしい。ダーツのルールもわからない私には全然ピンとこなかった。


「お酒を飲まないお客さんも意外と多くてね。つまみ程度しか用意しなかったんだけど、料理を出して欲しいって皆がうるさくてさ」

「何を出せばいいですか?」

「とりあえず澪ちゃん、買い物行ってきてよ、俺はわからないからさ。メニューはとりあえず二種類くらいからスタートで!」


 私は中に入らせて貰って厨房を確認した。

 家庭用の三ツ口のコンロ。狭いが、下ごしらえをしておけば何とかなりそうだ。


 あとは、冷蔵庫。

 小さいけれど、殆ど何も入っていないので大丈夫だ。それにしても黒木さんは几帳面なのか、お店のどこを見てもとてもキレイに掃除されていた。


「じゃあ、買い出し行ってきますね!」

「宜しく! 気をつけてね!」

 お店のお財布と、買い物バックまで用意してくれている。


「はーい!」


 私は駅前のスーパーまで買い物に出掛けた。


 まだ、夕方の明るい時間。

 小さな子供の手を引いてのんびり歩いて帰る母親や、友達と座り込んで嬉しそうにはしゃぐ学生達で街は賑わっている。


 買い物を終えて、お店に戻ると黒木さんは何やらボードを用意していた。


【お食事メニュー始めました】


「澪ちゃん、今日は何作るの?」

「とりあえずオムライス、かな」

 にっこりと黒木さんは微笑んだ。

「さっそく俺に作ってよ!」

「はい!」


 Bar 180のメニューがひとつ増えた。


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