共通ルートはまだ続く
アン・マルベルージュ
謎の後輩
4打席連続ホームランを狙う神田愁(かんだしゅう)は、この後自分がバットの振り方を忘れるとは夢にも思っていなかった。
マウンド上では、愁と同じ高2と思われる相手ピッチャーが、愁と勝負をするのが嫌なのか苦々しい表情を浮かべている。
それに困惑もしているだろう。明らかに正規の部員ではない男が、3打席連続ホームランを打っているのだから。
4月の第3土曜日。天気は快晴。愁の通う高校のグラウンドでは、練習試合が行われていた。相手は同じ市内の高校だ。
「神田ぁ、次も頼むぞ!」
ベンチから声援が飛んでくる。
チームメイトたちと、愁には明らかに違う点が1つあった。愁以外の全員が坊主頭にも関わらず、愁は襟足で首が隠れるほどに髪の毛を伸ばしている。
本来部のルールとしては坊主必須なのだが、愁は正式な部員ではないから問題ないのだ。
ピッチャーがキャップの位置を調整しながら愁を一瞥した。闘志を感じられず、自分では愁を打ち取るのは無理だと諦めてしまっているのが表情に出ている。
これならば次ももらったも同然だろう。
愁がそう思ったところで、
「頑張れー!」
黄色い声援が聞こえてきた。愁と同年代と思われる女子たちが、ネット越しに声援を送ってきていた。
10人近くはいる。今日は練習試合なのに、そういえばなぜ応援に来ている生徒がいるのだろう。
愁がふと女子たちに視線を向け、見覚えのある生徒がいることに気づいた次の瞬間、体が凍りついたかのような緊張が全身を走り始めた。防音性のある膜に包まれたかのように、味方ベンチからの声援が遠くなっていく。
さっきまで無駄なことをあれこれと考えられるくらい余裕があったのに、今はまったくなかった。
理由は、同じクラスの湊詩音(みなとしおん)がいたからだ。
鎖骨にかかるほどの長さの、緩やかなS字のかかった黒髪と、形は整っているものの、けだるげに見えるツリ目が印象的だ。人を寄せ付けがたい雰囲気があるタイプの美少女だが、実際は教室内で1人でいるところはほとんど見かけない。
髪を風で揺らし、退屈そうでもあり、新しい体験に夢中になっている子供のようでもある目で愁を見ていた。
『学校に用があるときは制服で』という校則を守っているのか、私服で来ている女子生徒が目立つ中、律儀に制服を着用している。
なぜここに彼女は来ているのだろうという脳裏によぎった疑問も、詩音に見られているという事実に押し流されてしまった。
鼓動が早くなり、不快感が生じ始める。思考がまとまらない。今までどうやってバットを振っていたのかさえ分からなくなってくるが、すでに相手ピッチャーは投球に入ろうとしている。
とりあえず振るしかない。文字通り無心でバットを振る。
奇跡的に当たるには当たったものの、前打席とは別人のような詰まった当たりで、ボールはピッチャーのミットに吸い込まれていった。
試合後、愁がチームメイトたちと一緒にトンボがけをしていると、
「今日は神田のおかげで勝てたよ。ありがとな」
愁と同じ中学出身のキャプテンが声をかけてきた。
「あっ、いや……まあ。はい」
気まずさから引きつった笑みを浮かべる。
「それにしても、途中から急に調子崩していたけど、体調が悪いのか?」
「いやーなんででしょうねー。気圧のせいかな。あはは」
本当のことを言うわけにもいかず、曖昧に答えてその場をごまかす。
結局あの打席のあとはすべて凡打だったものの、愁の存在が相手チームにプレッシャーをかけられたようで、チームは勝利を収めることができたのだった。
「これで愁が正式に部員になってくれればなあ」
「いやーそれはちょっとないですね。俺坊主にしたくないですから」
「まあ、そうだよなあ。ほんとは俺たちも坊主はやめたいんだが」
キャプテンは帽子を脱ぐとポリポリと坊主頭をかいた。
高校球児といえども年頃の男子だ。坊主以外の髪型が許されないのはきついものがあるはずで、引退、または退部した元高校球児が皆髪の毛を伸ばすのは、我慢を強いられていた反動なのだろう。
「ところで、練習試合なのに応援来てましたよね。あれなんですか?」
「ああ、あれは」
キャプテンが答えようとしたところで、2人のもとに愁の高校の制服を着た女子生徒が、軽い足取りで歩いてきた。
「おつかれさま〜。今日はいい試合してたね」
「会長?」
2人の前にやってきたのは、生徒会長の佐白芽依(さじろめい)だ。後ろから見ると首筋がうっすら見える程度のショートカットで、柔和な雰囲気を与える丸い垂れ目がチャームポイント。
生徒会長と聞くと真面目そうなイメージがあるが、スカートの長さといい、毛先の遊びといい、今風の女子高生といった風貌の美少女だ。
「いやー、これも神田のおかげだよ。コイツいなきゃうちはただの弱小部だからな」とキャプテンが愁の肩に手を置く。
「うんうん。神田くんすごかったよねー! へいへいピッチャーびびってる! って感じ?」
芽依は友達を相手にするような口調で話しかけてくる。
「い、いや、どうでしょうね。ハハ。……というか、会長なんでいるんですか?」
「今日応援団いたでしょ? 野球部に彼氏いる子に頼んで人集めてもらったんだー。張り合いがあってよかったでしょ?」
自慢気に芽依は胸を張った。意外と大きいものをお持ちで、2つのドームが強調される。
「ああ。やっぱ声援があるとやる気が違うよな。なあ神田」
キャプテンは愁に同意を求めるが、愁は返事をすることなく物思いに耽っていた。気になることがあったからだ。
先ほど芽依は「野球部に彼氏がいる子に頼んだ」と言っていたが、まさか、その子とは詩音なのではないだろうか。
詩音が誰かと付き合っているという話は聞いたことがないが、わざわざ誰かと付き合っていると周りに話す必要もない。つまり、ゼロとは言い切れない……。
「神田? どうした?」
「え? ああ、そうですね」
再度名前を呼ばれ我に返った愁は、何に同意を求められたか聞いていなかったが、とりあえず相槌を打つ。
「そういえば、神田くんって相変わらずどこかの部に入る予定もないんだよね?」
「はい」
「じゃあ、生徒会に入ろうよ!」
芽依は愁に顔を近づけ、チャームポイントの丸い目で見つめてきた。芽依のような美少女に勧誘されたら、大抵の男子生徒は催眠術にかかったかのように「入ります!」と即答するだろう。しかし愁は違った。
「……いや、俺はいいですよ」
「ええ〜。ここは入る流れじゃないの?」
「いやいや、誘われるたびに何度も言ってますけど、俺生徒会ってガラじゃないですし」
「でもでも、生徒会の仕事楽しいよ? エアコン新しいから夏も冬も超快適だし、お金も扱うから将来社会に出たときに役に立つかもしれないし、それになんたって生徒会の仕事と称して、私みたいな美少女と話し放題なんだよ?」
人によっては魅力的な謳い文句かもしれないが、愁にはあまり刺さらなかった。だが、過去に何度も誘われて何度も断っているだけに、にべもなく断るのもバツが悪い。
「……まあ、考えておきますよ」
角を立てずに断れる便利な日本語を使うことにした。
「はい、前向きに検討をよろしくお願いします! じゃあ、私はもう行くね」
芽依には社交辞令だとバレていたようだ。愁に手を振り、駆け足で去っていく。
「いいのか。佐白の誘いを断って。俺なら迷うことなく生徒会に電撃移籍するが」
「まあ……いいですよ別に」
再び物思いに耽る。
「知ってるか? 佐白は今まで受けた告白をすべて断っているらしい。俺も部活引退したら髪伸ばそうかな」
「……あ!」
キャプテンの話に耳を貸すことなく再び考え事をしていた愁は、大事なことに気づき思わず声を上げた。
「どうした?」
「あ、いえ。何でもないです」
今頃になって気づいた。『野球部に彼氏がいる女子』とは誰のことなのか芽依に聞いておけばよかったかもれしれない。
グラウンド整備を終えたあと、愁は1人部室が並ぶ校舎裏を歩いていた。グラウンドから校外に出るにはこの場所を通る必要があり、部活の始まる前と終わったあとは人通りがあるものの、中途半端な時間なためか人通りはない。
結局部員たちにも、芽依から頼まれた女子とは誰なのか聞けずじまいだった。おかげで気持ちが落ち着かない。
気晴らしにどこかへ寄って帰るか、まっすぐ家に帰るか考えていると、目の前に1人の少女が現れた。身長は150センチ台。制服姿で前髪は目にかかるほど長く、髪の毛を2つ結びにしている。愁の直感だが、おそらくは1年生だ。
気弱そうな印象を与える彼女は、愁と視線を合わせないように下を向いていたが、決意したように顔を上げ、
「あ、あの……」
スマートフォン取り出したかと思うと、また視線を落とした。
「なんだ?」
彼女とはどこかで会った記憶もない。一体何の用だろう。
「……その」
「その?」
「っ……」
彼女は二の句を継ぐことなく踵を返すと、逃げ出すように駆け出し、……そして転んだ。
「おい、大丈夫か?」
「うう……」
駆け寄ると彼女は体を起こし、焦ったように辺りを見渡し始めた。
「あ……」
首を動かすのをやめた彼女の視線の先には溝があり、先ほどまで手にしていたスマートフォンは、格子状の溝の隙間を通りぬけて落ちてしまっていた。
「くっ……」
彼女は溝の隙間に手を入れてスマートフォンをつまもうとしたものの、彼女の小さい手でも流石に溝の隙間は狭すぎるようだ。
「……ちょっと離れてろ」
愁は溝の前にしゃがみ込むと、溝を両手で掴んだ。パッと見ボルトで固定されているわけではなさそうだから外れそうだ。
しかし長年掃除がされていないためか、隙間に流れ込んだ泥で枠に固定されてしまっているかのように動かない。
それでも何度か上下左右に揺すっているうちに泥が崩れ、なんとか外すことに成功した。
「ほら」
スマートフォンを拾い上げ、彼女に差し出す。泥がついていたものの、画面が割れたりはしていなかった。
「あの……手が」
溝を掴んだせいか愁の手は真っ黒だ。
「まあ、仕方ないよ。このスマホ確か防水だろ? 泥が付いてるから水で洗いな」
「あ……ありが……ざいます」
かろうじてお礼を言っていることが分かる消え入りそうな声とともにスマートフォンを受け取ると、再び彼女は駆け足で愁の前から去っていった。
それにしても、一体彼女は何しに来たのだろう。さっぱり想像がつかない。
「これ、落ちるかな」
手の汚れと彼女の後ろ姿を交互に見ながらつぶやいた。
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