14・逆風を掴め 拾
竿で池底を突き押して浅瀬に乗り上げる形で固定されていた舟を池の中へと押し出す。
見上げた帆柱の頂部に取り付けた、小さな吹き流しは左から右へとほぼ真横に向かってはためいている。大凡西風だ。
それを受けた帆も風に押されて吹き流しとほぼ同じ向きへと開いている。転桁索(帆の向きを調整するロープ)を引かずに風に吹かれるままにしてあるから当然だ。
舟の甲板の左後ろに腰を据えると、右手で舵柄を握り、転桁索をゆっくりと引く。一瞬、バタバタと言う音と共に帆がバタついた後、帆は弧を描き風を捉えた。風を受けた帆柱と、それを支える多くの支索がギシギシと音を立て、舟がほんの僅かに右に傾く様に感じるがすぐに右の船体が踏ん張って傾きが止まるのを感じる。
そして、舟は左舷開き(左から風を受ける形)に風を受け、スルりと池の上を滑り初めた。
見上げる帆は、残念ながら白く美しい物ではない。俺が秋の収穫後からせっせと作ってきた莚帆だ。なるべく目を詰めて編み、防水と目止めを兼ねて柿渋を二度塗った物だ。結果、渋い茶色の重く硬い帆になってしまったが、何とか風を受け美しい弧を描いてくれている。
森の中の木々に囲まれたこの池に吹く風はそう強い物ではない。結果、舟の速度ものんびりとしたものだが、そもそも二十間四方が良いところのこの池ではそんな速度でさえのんびりと直進している余裕は無い。帆から目を戻すと池の半分は既に越え、対岸が間近に迫っている。
舵柄を引いて船を右へと旋回させる。それに合わせて転桁索を徐々に繰り出し、旋回に合わせて帆の開きを大きくして行く。凡そ九十度右へ旋回した船は後ろからの風を受け、ここぞとばかりに加速する。
が、当然その先も十分な広さの水面は無い。しかも、目の前に見える池の東側の部分は湧水が豊富な場所で、仁淳が育てている山葵が漸く増え始めた区画だ。仁淳も口を酸っぱく「山葵が傷付くから近付かないで下さいよ!」なんて言っていたが、この狭い池でそりゃ無理ってもんだ。
あっと言う間に岸が迫る。再び舵を右に切り、転桁索を逆に引き帆の開きを変える。体も船の左舷側から右舷側へ移動させ、そのまま舵を切り続ける。ここからが本番だ。舟を風上へ走らせるのだ。
転桁索を少しだけ繰り出し、帆を小さく開く。右前方四十五度程から風を受ける様に舵を切ると風上へ船を走らせる。
- 五作 -
当初は浮くかどうかも怪しかった竹組の船だが、水に浮かぶやスルスルと進んで行った。怪しいと言えば帆の形も下から斜めに支える帆桁も余りに常識外れでどうなるかと思ったが、案外普通に航っている。
池の右を目指して進んで行く舟を操る男も意外な程熟れた動きで舟を操っている。話を聞く限り、海で生きて来た男には思えなかったが舟を操る手捌きは明らかに昨日今日舟に乗った者のそれではない。
さあ、右奥まで行った舟がこちらへ向き直ったぞ。本当に風に向かって航れるものか見せてみろ。
ーーー
思った程舳先が風上に向かない。いや、正しくは向ける事は出来るが進まない、だ。理論上四十五度程までは行けるはずだが、現状まともに前へ進むのは体感的には三十度くらいまでだ。それも何とかかんとかあっぷあっぷしながら辛うじて前へ進んでいるような有り様だ。
原因の一つは風が弱い事だろうか。森が防風林の役目をしてしまう山の中の龍神池ではちと厳しいのかもしれない。
それから、甲板上での作業性を考慮して帆をクラブクロウセイルにした事も関係しているかもしれない。単純に帆の面積が足りていないと言う事だ。
だが、一番の原因はきっと帆も船体も性能が足りていないからだろうと容易に想像が付く。帆についてはまずは大型化。それから材質の変更か。材質については小枝に相談するとしよう。兎に角量が必要になる物だからな。
船体については横流れを防ぐ為にサイドボードを使ってみても良いかもしれない。サイドボードとは舷側から水中に板を縦向きに設置して、水中に沈んだ部分で横へ流れようとする力に抵抗させる物だ。
おっと、岸が近付いている。舵を切って帆の開きを変えなくてはいけない。帆船の操作で一番難所、
ジグザグに風上に向かう中で舟の向きを変える旋回操作の事で。この旋回中は必ず船首が風上を向く瞬間、つまり推進力を得られない瞬間が現れる操作だ。
ここで不用意に帆に風を受けるとせっかくの
横帆船では
舵を切りながら帆に風が入らないように転桁索を慎重に引く。流れて行く景色と肌に感じる風を頼りに帆の角度を変えて…ふぅ、なんとか速度を殺さずに向きを変えられた。
岸で見ている五作もやりたい事は理解出来ただろう。後は一緒に舟を操作して操作性や使い勝手の向上等の実際に使う舟への落とし込みを冬の間に行って行く事になるだろう。
※※※
ス ラ ン プ だ
瑞雲高く〜戦国時代風異世界転生記〜資料集
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