8・逆風を掴め 参 戦国帆船考察 其之一 各種帆船について

 門を確認した後、気が済むまで永を可愛がり、ついでに放ったらかしにされて拗ねた糸と富丸も可愛がり、そして遅れて到着した船大工の五作を接待した。

 そして夜もすっかり深くなった今、再び風呂に浸かりながら考える。かつて俺には現代チート等無いと言ったような気もするがあれは嘘だ!いや、正直チートなんて大層な物ではないのだが、俺には現代人としても一般的でない経験が一つある。


 それは子供の頃に親の趣味でヨットスクールに通わされていたと言う事だ。横浜の方の地名だと思ったら校長の名前なの!?でお馴染み?のとんでもヨットスクールではない。ごく普通のヨットスクールだ。

 それに伴って帆船の構造や歴史みたいなものも少し勉強した。だから帆船がどんな原理で走るかも大まかには知っているし実体験として風と帆の角度なんかも体が覚えているはずだ。

 ただし、俺の乗っていたのは大きくても長さ4m程度で一人乗り、ないしは二人乗りのディンギー(船上に居室の無い船。公園のボートを想像して貰えれば大体合ってる。)であって、航走した事があるのも東京湾の波の穏やかな場所だけだ。それに、FRP製の船体でもなければ、ナイロン製のセイルでもない。この辺りはこの時代で実現可能な技術との妥協点を探らなければならないだろう。

 さて、ここからは話が長くなるし、多分に俺の個人的解釈や想像が含まれる。別になんやかんやあって船が出来たんだと言う理解で良い人は読み飛ばしてくれよな(誰と話しているのか)。

※作者注:読み飛ばす際は後書きだけ目を通して頂ける助かります。


 さて、船を造るにあたって参考とするべき船は西洋帆船、中国のジャンク、そして手元に有る和船。更に最後の伏兵は意外な所からやって来る。ポリネシアの航海カヌーだ。

 西洋帆船と和船については説明不要だと思うが、ジャンクと航海カヌーについて軽く触れておく。

 ジャンクは中国で使われる帆船で日本でも古くは遣唐使船、この戦国時代に近い時代では勘合貿易や朱印船貿易に用いられた系統の船がこれに当たると考えられる。

 バテンと呼ばれる竹の支えが横向きに入ったジャンク帆が特徴で。取り回しと風上への切り上がりに優れている。

 航海カヌーはポリネシアの帆走カヌーで、大型のアウトリガーカヌーやダブルカヌーが該当する。カヌーと言えども太平洋のど真ん中を千キロ以上走ったりする事もある様なので侮れない。

 こちらはクラブクロウセイルと呼ばれる帆が特徴で、いくつかのパターンが有るが全てその名の通り蟹の爪の様に下で交差した二本の柱の間に張られる逆三角形の帆が特徴だ。こちらも風上への帆走に優れるとされる。


 さて、まず最初に確認しなければならないのは、この中で西洋帆船の性能がとりわけ優れている訳では無いと言う点だろう。

 それぞれに特徴があり、後世にはそれぞれの長所が合わさって進化して行くのだ。

 そもそも、この時代の西洋帆船からして北欧系の船と南欧系の船の掛け合わせで出来ているし、南欧系の船はそれ以前にアラビアの船の影響を強く受けている。


 では、何故西洋帆船だけが持て囃されるかと言えば残っている資料の多さと日本から見て遥かな大洋を越えてきた西洋帆船が沿岸航海に適した和船に勝って見えたからであろう。

 そも、大洋を越えると言う点ではジャンクはヴァスコ・ダ・ガマのインド到達より百年近く前にインド洋を横断してアフリカ東岸に至っているし、航海カヌーは道具を用いない伝統的航法術と合わせて広大なポリネシアの島々の間を走り回った。タヒチからハワイに辿り着いたと聞けばその性能は推して知るべしだ。


 では何故ジャンクや航海カヌーが持て囃されないかと言えば、これはジャンクとはそれこそ帆船程度の意味の言葉であり、河を走る小舟から果てはアフリカに至る大船まで。時代も大きさも機能も千差万別で特定する事が困難な上に、特に日本では資料も乏しいからではないかと考える。

 航海カヌーは単純に大型化が困難な事とこちらも資料の少なさだろう。 


 その中でも和船は、帆の構造が追い風以外を受けるのに適さず、船体形状的に逆風に逆らって走るのが苦手なので帆走性能に劣り。更に竜骨キールを持たない為に船体強度が足りず外洋航行性能が劣り、外海に出られない等と散々に言われて来た。

 だが、帆走性能については近年反論がなされており、逆風下の帆走性能も良好だったとする説もある。

 更に外航性能については沿岸航行を主目的にした和船では、そもそも求められていないのだ。

 しかし、外航性能についても個人的には反論の余地があると思っている。

 何故ならば、戦国時代の船は普通に佐渡や伊豆諸島へ行き来していたではないか。更には堺の商人等は琉球列島へと船を出していた。挙句の果ては呂宋まで行く輩までいる始末。どう考えても外洋である。

 勿論、長期の航海には耐え得なかっただろうし、三陸廻りの航路の開拓が、日本海廻りの航路に対して大きく遅れた事は、外航性能の不足を裏付ける証左の一つではあろう。堺の商人の出す船については唐船(ジャンク)であった可能性も否定出来ないが、それでも和船も相応の性能は有していたと考えるのが妥当ではないかと思う。

 何が言いたいかと言えば、後世の論評に惑わされず、色々と試してみるべきだと言う事だ。


※※※


 拙い文章と知識ではありますが、今回から数回に渡り帆船の構造や仕組みに関する説明回を挟ませて頂きます。なるべく、平易な文章で図を交え分かりやすく書くつもりではありますが、それでも興味が無い読者様には苦痛でしょうから読み飛ばして頂いても結構です。

 一応、下調べはした上で書いておりますが、専門的な教育を受けた訳ではない為に誤りや個人の解釈となる部分も含まれる事を御承知置き下さい。


 また、帆についてはwikipediaの帆、帆船の項が非常に良く纏まっておりますのでそちらをご覧になられるとイメージがつきやすいかもしれません。

 帆(wikipedia)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%86

 帆船(wikipedia)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%86%E8%88%B9


・参考文献

 『帆船 6000年のあゆみ』 松田常美 訳 成山堂

  ISBN4-425-95322-3

 『船の歴史辞典』 堀元美 訳 原書房

  ISBN4-562-03523-4


 『日本の南と北の船(季刊大林No.62)』 安達裕之

  https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/detail/kikan_62_adachi.html

 『概論和船はどのように発達したか――構造と機能の盛衰史(水の文化54号)』 安達裕之

  https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/02.html


瑞雲高く〜戦国時代風異世界転生記〜資料集

https://kakuyomu.jp/works/16818093085974751276

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