四章・広がる始める世界(青年編弐)

1・待ち望んだ…

 底の知れない焦燥感と無力感に押し潰されそうになりながら、俺は目の前の地面に視線を落とし、二間程の短い距離を行きつ戻りつし続けている。

 もうどの位そうしているだろうか、ふと目を上げればそこには木々を紅や黄に染めた双凷山そうかいやまが今日も我等を静かに見下ろしている。

 どの位こうしているだろうか。夜明け前には既にこうしていた。そして今や日は西に傾き始めている。

 村の今後の為、冬が訪れる前に早々に旅立たねばならない状況なのだ。にも関わらず突如目の前に出来した大事に俺は右往左往と待つことしか出来ないのだ。


 色付いた山肌から視線を戻す。目の前にはもう一人、いやもう二人、俺と同様に顔色を無くし、右往左往することしか出来ない者が居る。一人は柳泉りゅうぜん和尚。そしてもう一人は農民の利吉だ。

 いや、本来は右往左往するのは利吉だけで良いはずなのだ。彼こそが渦中の人物であって、俺と和尚は全く関係が無いのだが全く落ち着かないのである。

「ちょっとあんた達!さっきからグルグルとちょっとは落ち着きなさいな!」

 目の前の戸が’ガラリ’と開かれ、中から顔を出したかねにそう怒鳴られる我等三人。

「大体、和尚様と大将が慌ててどうしようってんです!お二人は関係無いんですからどっか行ってて下さいな!」

 周はそう一方的に怒鳴ると’ピシャリ’と戸を閉めてしまった。後に残された三人は顔を見合わせ、

「そんな事を言われても…」

 和尚はそう項垂れ、

「関係無いってこたぁないと思うんだが…しかし、我等には何も出来ないのも事実です…御坊、我等はお堂にでも…」

 俺は不承不承そう絞り出す。

「ちょっと、俺一人置いて行かないで下さいよ!」

 それに対して慌てて縋り付くのが利吉だ。

「しかし、我等は叱られてしまいましたしなぁ…」

「それに産まれるのはお前の子だ。我等二人は仕事を放り出しているしなぁ…」


 そう、今後に備えた交渉の旅に出ようと思った矢先に起こったのが利吉の妻、美代のお産なのだ。俺達が飯富村にやって来てから初めて。遡っても富丸が産まれて以来約四年振りに誕生する子供だ。

 落ち着かないのも当然の事。皆気も漫ろなのだが、俺と和尚は極めつけであって門扉の作成現場である村の入り口から邪魔だとばかりに追い出されたのをこれ幸いとお産の現場である長屋の前へ駆けて来て、その後は動物園の熊の様にグルグルと長屋の前を歩き回りながらその時が無事に訪れるのを今か今かと待ち続けているのである(尤も、他の者達も何だかんだと理由を付けては様子を伺いにやって来るので長屋の前が三人だけという場面は極めて稀であるのだが)。

 だが、叱られてしまっては仕方ない。そう気持ちを切り替え仕事に戻ろうとしたその時、室内が俄かに騒がしくなる。いよいよだろうか。仕事に戻るなんて事はすっかりどこかへ飛び去り、三人固唾を呑んで様子を伺う。

「おぎゃあ」

 室内の喧騒の中から微かに、しかし確かにそんな声が聞こえた。三人は一瞬顔を見合わせ、その後慌てて扉へと殺到し、

「まだ入って来るんじゃない!」

 と、叩き出される事になる。


「あぁ、良かった良かった」

 お産の後始末も終わり漸く我等も入室が許されてからと言うもの、父の利吉は赤子を恐々と抱いた後は妻の美代を労い、そして心配し続け、和尚は小夜が花嫁衣裳に続いて大急ぎで用意したおくるみに包まれて眠る赤子を見つめて泣きっ放しである。

 赤子は女子でまだふやけて皴々の肌をしているが、今のところ健康であると仁淳の見立てであった。

 俺はと言えば、赤子の頬をつついてみたり、手のひらに指を置いて’ぎゅ’っと握らせてみたりと赤子の傍で「大将、そろそろ代わって下さいな」と言われるまで無心で愛でているのだった。


 その夜、まだ床に着いたままの美代とその傍らに座る利吉から相談を持ち掛けられた。

「その…名の事なんですが…」

 利吉がおずおずと話しを始める。この村では長年和尚が子供の名を付けていると聞いている。恐らく既に和尚の方でも候補を絞っているのではないかと思うのだが。

「一応、考えてはありますが何か希望があるのですか?」

 和尚も同様に感じたのか、そう答える。

「その…稲と付けちゃいけませんかね?」

 絞り出す様に亡くした娘の名を出す利吉。和尚は困った表情で二人を交互に見つめた後に俺の方を見る。

「どう思われますか?」

「止めた方が宜しいかと…」

 そう問われた俺は苦しいながらもそう答える。

「駄目…ですか?」

 美代が弱弱しくそう尋ねて来る。

「赤子が女子であったから稲が帰って来てくれた様に感じるのであろう。それは俺にも良く分かる。だが、その子は稲ではないのだ。大きくなって名前の意味を理解した時、両親が大事にしているのは自分なのか、死んだ姉なのか。そう思うかもしれん。そうでなくとも姉の分もと重荷に感じるかもしれん。その子はその子だ。他の誰でもない。二人が稲の分まで大切に育ててやればそれで良いのではないかと思うのだがどうだろうか?」

 二人の思いは理解しながらも俺は心を鬼にしてそう助言する。

「そうですな。拙僧もそれが宜しいのではないかと思います。この子はこの子として大事になさい」

 そこに和尚もそう言い募る。

「そ、そうですね…確かに俺達の事しか考えていなかったのかもしれません…」

 利吉はそれを聞いてそう小さな声で言うと、美代も悲しそうな顔をした。


「さぁ、皆が待望の赤子が産まれたんだ。そんな辛気臭い顔は止めにしよう」

 「そうですな。祥治殿は何か案は御座いますかな?」

 室内の沈んだ空気を払拭するべく俺は明るくそう言うと、和尚は唐突にそんな事を聞いてくる。

「え!?赤子の名は御坊が名付けると聞いておりましたから今更そんな事を言われても困りますよ!」

 俺が慌ててそう抗議すると二人も少し表情を和らげて笑い、直後に俺の声に驚いた赤子が目を覚まして泣き始めると部屋の空気は賑やかなものへと戻っていった。


※※※

 お待たせ致しました。四章の開幕です。が、いきなり脱線ですwまぁ、若鷹丸にとって(私の中ではいつまでも若鷹丸なんですよね)非常に重要な話であるのは間違いないんですが時期を考えるとここに押し込まないとおかしな事になるので押し込みました^^;(三章の最後に入れときゃ綺麗に終わったのによ…)

 しかし、赤子の産声って絶対「おぎゃあ」じゃないよな。そう思うんですがいくら考えても音声化、文字化出来なかったので「おぎゃあ」にしました。痛恨の極みですwまた、おくるみ等の描写は当時の様子が分からなかったので現代の様子を元に適当に描写しております。可愛いければ良いのです。


 さて、暫くお休みを頂いている間に自分の中での整理も兼ねて設定資料集を作り始めました。地図の見易さ向上の為の作り直しなどに時間を要し、まだ肝心の三章の部分まで完成していないのですが四章を始めないといけないので取り急ぎの公開と致しました。

 中身は近況ノートへのリンク集なのですがまとめてある方が良いだろうと思い目次だけの小説を公開しております。以下のリンクからご覧下さい。


瑞雲高く〜戦国時代風異世界転生記〜資料集

https://kakuyomu.jp/works/16818093085974751276


 また、このリンクは今後各話の最後に掲載する様に致しますのでフォローは不要です。尚、これに伴い以前掲載した地図等の近況ノートは削除しております。該当箇所からの誘導については今後順次修正して参ります。

 まだ暫くは資料集の作成との平行での執筆となりますので更新ペースが上がらないかと思いますが変わらずお付き合い頂ければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る