105・彼方の戦雲
門の前の崖際から早瀬盆地を見下ろす。稲刈が終わった後の盆地はあちこち茶色の地面が剥き出しになっているが、木々は未だ緑だ。その寒々しい茶色の田圃の上を
翻って、我等飯富村の後背の斜面には紅葉する木々の波が静かに、しかし確実に間近まで迫りつつある。もう冬も近い。
さて、現時点での飯富村の問題を整理すると、大まかに二つ。人手不足と金子不足である。人手不足は田畑を拡げた為、金子不足は穀物の買い入れの為に発生した問題で、つまるところ食料不足を補う為だ。尤も、人手不足は馬産や機織りを始めた事も多少影響しているだろう。
どちらも村の窮状を打開した結果生じた問題だと言うのが何とも言えないところだが、この内、金子不足については改善の兆しが見え始めた。
と、言うのも、まず農地拡大に伴って収量が増加した為に穀物の買い入れの必要性が低下した事。そして何より、二年経って漸く椎茸の原木栽培が収穫可能になった事によって現金収入を得られる見込みが立ったからだ。
この秋は二十個程の椎茸の収穫が見込まれているので、これを乾燥させて雪が降る前に祥智を恒例の曽杜湊への買い出しへ出し現金に換えようと考えている。
更に、その現金で昨年同様に代田盆地で雑穀を買い付け、それで昨年から試している酒造りを本格的に始めるつもりだ。
昨冬に苦戦した蕎麦焼酎の醸造だが、麦と混ぜて仕込む事で醸造段階までは進展した。残りは陶器で作っていた蒸留器の制作なのだが、これは現金の力で金属を購入して金属製に換えてしまえば解決すると思われる。現に鍛冶の茂平は蒸留器の試作前から「鉄ならすぐに出来るのに」と溢していた。
前世の記憶ではウィスキー工場には銅っぽい色の器具が並んでいた記憶が有るので取り敢えず銅で作らせてみようと思う。
蕎麦焼酎が売れる程作れるかは未知数だが、椎茸、仔馬、酒を現金に換える事が出来れば、開拓や防衛に使う鉄、衣服の制作に使う染料等を手に入れる事も出来るだろう。
更に言えば、春に譲って貰った山葵も竜神池に無事根付いたようだ。数が増えるまでは至っていないので商品化出来たとしても数年後だろうし、そこまで至るかはまだまだ予断を許さない。
だが、総じて見れば我々が訪れた当時は壊滅寸前だった飯富村は、丸々二年掛かって差し当たって食うには困らぬ程度まで立て直す事に成功したと言えるだろう。
「早瀬を攻め獲るのか?」
見るとはなしに盆地を眺めていると後ろからそんな声が掛かる。
「馬鹿を言え。これ以上面倒を抱え込んでどうする。大体、そんな数の兵がどこに居ると言うんだ」
振り返る事なく祥猛にそう答えると、
「だが、戦にはなると考えているのでしょう?」
今度は、祥智がそう聞く。
「まぁな。梶原党が如何なったかは向こうも凡そ理解しているだろうしな」
「だけど、それにしちゃあ誰も何も言って来ないぜ?」
「そこは俺も意外だった。まぁ、予想だにしない事態に面喰って様子を伺っているのやもしれんな。だが、その内。まぁ、雪が降るまでにはやって来るだろうさ」
恐らくやって来るのは平林の者。ひょっとすると単独で来るのに腰が引けて、他の集落にも声を掛けているから遅いのかもしれない。
「じゃあ、やはり守りを固めると?」
「うん、ここに立て籠るだけで兵力が数倍になるのと同じだからな」
「だけど、それでもやはり人は足りぬでしょう?」
「あぁ、それは間違いないだろうな」
そもそも戦の事云々以前に現状の人数ではこれ以上村を広げる事が困難だろう。この冬に畑から田圃への転換工事の第二段を行えば、来年以降は皆田畑の手入れで完全に手一杯になるだろう。
しかもこの冬には赤子が三人も産まれる予定なのだ。そちらの世話に割く人員も必要になる。
「他所から人を呼ぶのか?」
「まぁ、そうなるだろう」
「だけど、それだと何でこの間の早瀬の連中は斬ったんだって考える奴も居るんじゃないか?」
俺の考えに祥猛が少し心配そうにそう指摘する。
「そこはまぁ、一応考えてはいる」
俺はそう答えるが、実はこれが上手く行かないと今後の構想が軒並み暗礁に乗り上げてしまう。その為にも、近い内に俺は村を離れなければならないのだ。
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