103・小枝の我儘

 稲刈りから、そしてあの襲撃から十日程の日が過ぎた。幸いにも憂慮していた秋雨は訪れず、穏やかな秋晴れの空が続いた。稲架掛けに干した稲穂は順調に乾燥されていっている。

 まだ脱穀という大仕事が残っているものの、今年の野良仕事は凡そ大きなものを終えたと言って良いだろう。


 襲撃で手傷を負った者も、傷の痛みも粗方引いて来た者が殆どで。そうでない者も日常生活を送る分には大きな問題は無い程度には回復してきている。そんな中で十分に乾燥させた稲から順に皆が急いで脱穀している。明日執り行う事になった待望の秋祭りで使う分の新米を精米しなければならないのだ。

 あの襲撃以降、皆明日の為にせっせと働いた。祥猛と弥彦は毎日日が昇る前から山に入って獲物を獲るのに必死だったし、子供達はこの時期の楽しみである木通の実を必死に摘んで回っている。春は宗太郎を引っ張って崖下に釣りに出掛けて行った。

 他にも、臼と杵をいそいそと持ち出す者も居れば、春に味見をした酒は祭りに出るのかと聞きに来る者もいる。

 総じて言えるのは、どの顔も楽し気であったり期待に満ちていたりと明るい表情に満ちている事で、更にそれを見て一番嬉しそうにしているのは柳泉和尚であった。和尚はそんな皆を顔を少しでも多く見たいのだろう。用も無いのにあちこち人の居る場所を巡っては皆の明るい表情を更に明るい表情で眺めているのだった。


===小枝===

「出来た…」

 お祭りの前日。私はお堂の隅で一人そう呟いた。もう眠くて眠くて今にでもここで横になって眠ってしまいたい。そんな程度には身も心もズタボロだった。

 稲刈りが終わって、賊と戦ったあの日以来。ううん、織機が完成して以来ずっと、私は殆どの時間をここで過ごして来た。稲刈りみたいなどうしても皆でしなければならない大きな仕事を除いては我儘を言って、ある目的に向かって打ち込んで来た。

 皆の視線がどんどん冷たくなって行くのが分かったけれど。そもそも思い出してみれば、その前の織機を強請っている時には既にそうだった気もする…

 でも、これで皆にも私も村の役に立てるって伝わるんじゃないかな。私もこの村の為に働いているんだって分かって貰えるんじゃないかな。疲れた頭でそう期待を膨らませながら、私は出来上がった二つの品を隠す様に葛籠に仕舞う。

 あぁ、もう無理だ…そこで私は意識を手放した。

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 秋の柔らかい日差しの中、北の空には白く輝いた叢雲がぷかりぷかりと幾つも浮かんでいる。紅葉はまだまだ先だろうが、山の緑も夏の濃さを失いつつあるようで、幾分木々の緑もくすんで見える。


「えいっ!」

「ほっ!」

「えいっ!」

「ほっ!」

 そんな中で始まった秋祭り。皆の作る輪の真ん中で餅を搗くのは猟師の弥彦と炭焼きの佐吉だ。これまでは若い衆に出番を譲って来たが、彼等が一通り餅搗きを担当した事で自分達の番が回って来たのだ。

「あんた達の時より様になってるじゃない」

 前回餅搗きをした利吉の妻の美代が大きくなった腹を抱えながら(もういつ産まれても良い頃合いだとは菊婆の言だ。)、揶揄うように亭主に向ってそう言う。

「そりゃそうだ、俺達はお前達みたいな尻の青い小僧共とは違うってもんさ」

「そうそう、本当の大人ならこれくらいはちゃちゃっと出来ないとな」

 妻の指摘に顔を赤くする利吉に追い打つように、餅搗きの二人が得意気にそう言うと利吉だけでなく今までに餅搗きをした他の三人も漏れなく顔を赤くし悔しそうな顔をした。


 だが俺は知っている。昨日、朝から臼と杵を蔵から引っ張り出した佐吉は埃を被ったそれを水洗いし日に当てて乾かした後、昼を過ぎて狩りから戻ってきた弥彦と人目を盗んでお堂の裏に運んでこっそり餅搗きの練習をしていたのだ。

 勿論、糯米を使って本当に餅を搗く練習をした訳ではない。言うならばエア餅搗きをしていたのだ(何だエア餅搗きって…)。

 因みに、俺だけでなく佐吉の妻の幸も弥彦の妻の月も、夫の言動を怪しんで後をつけて来た結果、それを目撃したので知っているのだが、武士の情けか身内の恥を晒したくないのかはさておき、黙っていてくれるようである。


 餅が搗きあがって、御馳走が揃えばいよいよ祭りの本番だ。焚火の端では串に刺された魚や肉が香ばしい匂いを上げているし、餅もたっぷりと搗いた。それに酒も少量だが用意した。これなら他所の祭りと比べても大きく見劣りする事はないだろう。そんな具合だ。

 秋の実りに感謝して用意した御馳走を盛りつけた膳を供える。こう言った事は普通は神社で神様に供えるのだろうが、残念ながらこの村には寺しかない。

 だが、和尚もこう言った事は神に対して行うべきだと言うので、去年から双凷山を御神体として山に向かってお供えする事にしたのだ。皆で柏手を打ち頭を下げる。それが済んだら皆お待ちかねの食事。そう思ったその時、

「あ、あのっ!」

 そう声を挙げたのは毎日根を詰めて機織りをしていた小枝だった。

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