102・潜在的な敵

 襲撃を退け、後始末を終えた頃には、秋の大分短くなった日は疾うに西の山の端の向こう側へと姿を隠していた。

 皆、泥の様に疲れ果てているだろう。重症の者こそ出なかったものの、半数以上の者が大かれ少なかれ手傷を負う激闘だったのだ。特に投石に加わった女衆は怪我の重い者が多かった。

 寛太の母親の鞠は左上腕を大きく裂かれたし、田鶴は頬に大きな切り傷を負った。田鶴などは「新しい旦那を捕まえた後で良かった。」などと明るく言っているが俺としては忸怩たる思いがある。

 女に多く怪我人が出たのは敵の侵攻に合わせて場所を移動しながら戦った男衆から離れ、少数でその場に残って後続の敵を迎え撃った事に大きな原因があるのだと思う。

 それでも彼女達は身を守る物を何も着けずに果敢に胸壁から身を乗り出して敵へ石を投じたのだ。一歩間違えば何人も喪っていてもおかしくない戦況だったのだと改めて思う。


 そんな状況でも、薄暗いお堂の前には大きな焚火が熾され、皆が思い思いに生き残った喜びを噛み締めながら明るい表情で夕餉の支度をしたり、それを待っていたりする。或いはそれは、無理矢理招集された同じ早瀬に暮らす民を見殺しにするしか出来なかった事から目を反らす為であったのかもしれないが。

「おぉ、御馳走だ!」

「やった、白い飯だぞ!」

 出来上がった夕餉を目にして男達が歓声を挙げる。残念ながら新米はまだ干している途中だから去年の収穫分だが米だけの飯だ。

 この時期は夏の食糧の乏しい時期を乗り越えた端境期の真っ只中。目を引く副菜になる様な物は多くない為、皆の敢闘に報いる御馳走は白い飯くらいしか無いのだ。但し、恐らくこれで去年の米は殆ど出し尽くしてしまったはずだ。この後暫くは米の少ない飯になるであろう事は敢えて今は伝えまい。


 皆の手に米飯の椀と、少ないながらも蕗に青紫蘇、そして実り始めた茄子等の夏の山野菜が入り、去年の晩秋に仕込んだ味噌で味付けをした味噌汁の椀が行き渡ったところで柳泉和尚が徐に話を始めた。

「皆、今日は本当にご苦労でした。各々思うところも有るかもしれません。ですが二年前にはあんな沢山の賊から村を守る事が出来るなどと思えたでしょうか…この味噌汁だってそうです。味噌はおろか、塩すら底を突きかけていた我等がこんなに味噌のたっぷり入った汁が飲める様になるなんて思えたでしょうか。それを今一度考えてみて欲しいと拙僧は思います」

 吶々と話す和尚に皆の明るい表情は影を潜め、状況を理解出来ない幼子達は不安そうに周りを見渡す。辺りには焚火の爆ぜる音だけが響き渡る。


「祥治殿。何か皆に言ってやって頂けませんか」

 そんな空気の中で和尚はこちらへ水を向ける。さて、何をどこまで話したものか…

「皆が気にしているのは早瀬の村の者を助けなかった事だと思う」

 そこで話を区切って皆を見回すと気拙そうに眼を逸らす者や地面に視線を落す者が居る。

「だが、思い返して欲しい。彼等はそもそも遠濱の者共の配下にあるのだ…遠からずこの村の事は遠濱にも伝わるだろう。それがこの冬なのか何年か先になるのかは分からん。だがその時、奴等は必ずこの村は自分達のものだと言ってくるぞ。それは我等が豊かになればなる程強くなる」

 それは間違い無い。奴等からしたら最早、早瀬は自分達の土地なのだ。そこに一度は投げ出した土地とは言え、それなりの勢力が現れるのを良しとするはずがないのだ。しかもそこが以前より遥かに豊かになっているなどと知られたら猶更だ。

「だが、皆はもう奴等の言いなりになるのは嫌なのだろう?そうなれば戦は避けられぬ。戦となれば遠濱の連中が真っ先に動員を掛かるのはどこだ?早瀬の村々だろう?つまり、彼等は早晩敵となる可能性が高い。それ故、この村の戦い方を見た者を生かしておく訳にはいかなかった。勿論、皆がやはり遠濱の者達に下ると言うなら話は変わる。どう思う?」


 そこまで言い切って再び皆を見回す。不安そうにする顔、困惑する顔が多いか。早瀬の村々が敵として攻め寄せて来るなどと言う状況は考えもしなかったのだろう。

 だが、敵にとってはそれが一番経済的な筈だ。最悪、軍監だけ送り込んで来て、兵は全て早瀬の者なんて事だって可能性としては低くないと思う。しかし、敵に下ると言うのはそう言う事だろう。真っ先に搾り取られ使い潰されるのだ。結局早瀬の村々は潜在的な敵なのだ。

「お、俺は嫌だ!あいつらのせいで父ちゃんも母ちゃんも死んだんだ!今更、奴等に下るなんて絶対に嫌だぞ!」

 そんな大人達を見ていた宗太郎が怒りに眼を燃え滾らせてそう叫ぶ。その眼に見つめられて戸惑いの、そして迷いの表情を浮かべる大人達の中で一早く感情を整理したのは比較的若い者達だった。

「宗太郎の言う通りだ!俺達は生まれてこの方、碌な事が無かった。全部あいつらが来たからじゃないか!俺達の仲間が何人小さい時に死んだと思ってるんだ!俺は自分の息子をあんな目に遭わせる気はねぇぞ!」

 そう言って最初に立ち上がったのは幼い富丸を抱いた竹丸だった。彼に続いて若い者から順に賛同者が増えていく。

「皆の気持ちは良く分かった。俺もその気持ちに答えられるようにこれからも努力する。皆も力を合わせて協力して欲しい」

「「「おぉ!」」」

俺が最後にそう言うと村の者の揃った返事がすっかり日の沈んだ秋空に高らかに響く。

 しかし、それはそれとして皆疲れ切っているからか、それとも気持ちの整理が付いたからか、盛り上がったの束の間に皆の気持ちは手に持った食事へ向いたのだった。


「そう言えば、俺は誰が戦功一等なんて順番を付けるつもりは毛頭無いんだが、それでも今日の一等は宗太郎だと思うんだ」

 食事も一段落辺りで俺はそう言えばと話し出す。

「何だ兄者、藪から棒に」

 祥智が訝し気にそう聞く。

「いやな、ぶほぉ…」

 思わず思い出し笑いで吹き出してしまった…

「た、大将!その話はもう良いですから!」

 先程までの勇ましい表情はどこへやら、慌てふためいた表情で宗太郎が俺を止めようとする。

「何だ何だ、面白そうな話じゃないか。宗太郎はちょっと黙ってろ」

 だが、そんな面白そうな状況を見逃す祥猛ではない。俺に詰め寄ろうとする宗太郎を後ろから羽交い絞めにするとそう続きを促す。

「春に怪我をさせてしまったろう?戦が終わってすぐに「嫁入り前の娘に傷を付けてしまって悪かったなぁ」と誤ったのだ。」

「成程?」

「そうしたら、隣で聞いていた宗太郎がな、あははは!」

「ん゛ー!」

「早く言えよ。宗太郎がどうしたんだ?」

 堪え切れずに俺が再び吹き出すと、祥猛に口まで塞がれた宗太郎は真っ赤な顔で唸り、祥猛は先を急かす。他の者も興味津々でこちらを伺っている。

「「そんな傷がなんだ!春はちゃんと俺が貰ってやる!」と来たもんだ!」

 俺が見得まで切って高らかにそう再現すると、これには皆堪らずに吹き出す。

「だははははっ!宗太郎良く言ったぞ!」

 祥猛は爆笑しながら宗太郎の背中をバンバン叩き、

「うしゃしゃしゃ、やれやれ、これで孫も片付いたわ。」

 聞く婆は笑いながらそう言った。

 大きな笑いに包まれる焚火の周りで、宗太郎と春だけが顔を赤くして俯いていた。


※※※※※※


 久しぶりに定刻に投稿出来た気がする…皆様にご協力頂きましたアンケート以降、思うところがって少し文章の細かな表現などを改めている点がいくつかございます。長らくの癖が抜けずに混在しているかもしれませんが当面はご容赦ください。

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