閑話・好きこそ 弐

===小枝===

「はぁ、はぁ…」

息の上がった私の目の前には果てし無く続く斜面。

 振り返って見ても、朝暗い内に出発した村は幾重にも重なる木の影に隠れてとっくに見えなくなった。

 目に垂れて来た汗を拭う。木々の梢に夏の強い日差しは遮られているけれど、鬱蒼と茂る木々と目一杯の高さに伸びた下草のせいで風は通らない。


「ぜぇ、ぜぇ…」

目の前には、息を切らせる私より更に酷い呼吸をしている仁淳様が居る。

「おい、仁淳。へばるのが早過ぎだ…それじゃあ目的地まで辿り着かんぞ…」

そんな様子を見て猛様が呆れた様子でそう言う。

 私達は今、双凷山を上へ上へと登っている。先頭に立った猛様と弥彦さんが交代交代で藪を払ってくれている後を、私達二人は進んでいる。


 私達二人の目的は違う、仁淳様は薬種が欲しい、対して私は染料が欲しい。

 念願の織機が手に入った私は寝る間も惜しんで機を織っている。織機を作って貰うのに、茂平さんや千次郎さんには沢山迷惑を掛けてしまった。それに、今はお堂で寝ている人達が機織の音にウンザリしているのも知っている。

 それでも迷惑を掛けた甲斐あって一反の麻布が織り上がった。私が去年から作っている苧の畑で穫れた苧を皆が績んでくれて作った糸を織った物だ。

 でも、布が出来た時に気が付いた。今度は布を染めなくてはいけないと言う事に。本当は糸を染めてしまえば良かったのだけれど、この村に染め物をする人は居なかったし(そもそも布が手に入らなくなって長い事経っていたらしいし)、私もそんな事には思い至らなかった。

 それでも、私の目標の為には秋の収穫までには、ううん、仕立てる時間を考えたら夏の終わりまでには染めは終わらせなくちゃいけない事に気が付いた。


 秋には色々な染料が手に入るけれど、織師であって染師では無い私の知っている夏場のこの時期に手に入る染料は少ない。

 だから、私はそれを手に入れる為に薬種を採りに山に入りたがっている仁淳様に声を掛けた。私達だけでは山に入れない。藪を払うのに力が要るし、獣が出たら如何しようも無い。

 だから、二人で大将に頼み込んだ。薬も染料も一度で手に入るから一日だけ採りに行かせて欲しいって。その為に仕事を一日お休みして二人を貸して欲しいって。

 大将は少し考えて許してくれた。薬種を採りに行くのも染料を採りに行くのも仕事の内だからって。


 残る問題は一つ。仁淳様は薬種、私は染料が欲しい。でも、実は私が欲しい材料は黄蘗と紫。両方共薬種にもなる木と草だ。使う部分も同じ。

 だから、仁淳様にこう言った。「先に着いた方が必要な分だけ取りましょう。」って…仁淳様は悩んだ挙句、私の提案を飲んだ。仁淳様は体を動かすのが苦手だ。そもそも外に滅多に出て来ない。田植えや木を運ぶ時みたいな人手が必要な時以外は大体作業小屋に篭って何かしているし、木を運ぶ仕事は早々に役立たずの烙印を押されたらしい。

 尤もそれはお互い様で、私も最近は糸を績んでいるか機を織っているかで山に登るなんて全然自信が無かった。だから気力で何とかしようと思っていたのだけれど…この様子なら案外何とかなりそうだ。

 絶対に染料を沢山手に入れて皆に私だって役に立つって認めて貰うんだ。

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===満助===

「うり〜、つめたいうり〜はおふろのあと〜♪」

何だその歌…確かに四太さんの瓜は抜群に美味いけども。

 前を仔馬の手綱を持った糸が、妙な歌を歌いながら放牧地へ歩いて行く。仔馬が産まれて以来、毎朝お馴染みになった光景だ。

 因みに今日は富丸が寝坊したので糸が二頭分の手綱を曳いている。

「みちゅしゅけ〜、そろそろおふろかな〜?」

糸が振り返って、期待に満ちた目をしてそう聞いて来る。

「何言ってんだ。さっき起きたばかりじゃないか。」

残念ながらまだ朝一番だ。そんなにションボリされても困る。

 ところで何で俺は呼び捨てなんだろう。八郎さんの事は 'はちろうしゃん' って呼ぶのに。


 仔馬はすっかり大きくなった。産まれた時は糸とさして変わらぬ背丈だったのに、今では俺の肘程の背丈になっている。それでも毎朝の習慣か、糸が曳く手綱に嬉しそうに付いて行く。

 大将は仔馬を売ったら糸に嫌われるのではないかと恐れていた。最初に聞いた時は何を馬鹿な事をと思ったが、今ではちょっと分かる気がする。俺も泣いてしまうかもしれない。


 俺が曳く二頭の牝馬は無事に今年も子を孕んだ。二年続けて仔が出来るのは有り難いけれど、八郎さん曰く 'こいつ等もそこそこ年だから早い所若い雌を入れた方が良い' なんて言ってた。出来ればもう少し馬格の有る牝馬だと蒼風の相手に良いだろうに…いや、そんな事は俺に言われなくても大将も八郎さんも分かってるな。俺は馬の世話さえさせて貰えるならそれで良いんだ。

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※※※※※※

投稿が遅くなりました。突然39度近い熱が出てダウンしておりました。ほとんど書き上がっていたのに…現状熱は大凡下がって参りましたが夏を乗り越える為の諸々を失った気がしております…

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