89・びしょ濡れ
’ドスドス’ と土を叩き締める音が左右から絶える事無く聞こえてくる。田植え、それから暫くしての蕎麦や黍、稗の雑穀の種蒔きを終え、飯富村は梅雨を目前に向かえている。
曽杜湊に向かった面々も戻り、全ての労力を投入して行っているのは村の門の左右に築かれた土塁の上の柵の強化。現状、竹で組んだ柵である物を、三和土製の壁に換えてしまおうと言う計画だ。
本来ならば先に門をきちんとした木製の物に交換したいのだが、冬に伐採した木材は未だ乾燥が甘く、特に門の様な長く太い木材を用いる場合にはせめて冬までは乾燥させないと、後々狂いが出る可能性が否定出来ずに厳しいと言うのが千次郎の見立てであるので、ここも出来る所からである。
既存の竹柵をそのまま基準として使い、その周りに堰を築く時と同様に板で枠を組む。その中に流し込んだ三和土を小さな木槌の様な道具で叩いて締めて行く。
とは言え、一度に施工出来る厚みには制限が有るので仕事は朝の内には終わる。そこからはそれぞれの仕事へ戻って行くのだ。この時期は雑穀の芽が出たばかりなので草引きの仕事が重要だ。専門の仕事が無い者は皆で畑へ向かう。
「俺達は草引きする為にこんな所に来た訳じゃねぇんだけどな…」
そんな文句を口にしながら作業をするのは北敷から来た田之濱安継だ。
曽杜湊へと買出しに行った彼等は大分苦労をしたらしい。まずもって長距離を歩くと言う事からして、彼等には大事だったのだ。何故ならば北敷の腕自慢共は例外無く船乗り、漁民であって、普段から余り長距離を歩く事が無い暮らしをしているらしい。
そこへいきなり朝から晩まで歩く破目になったのだ。それは厳しい旅路だった様だ。しかし、彼等の難儀はこれで終わらない。そう、帰りは荷物を担いで同じ距離を歩くのだ。しかも行きと反対に行程は全体に上り勾配。最後の最後には峠越えのおまけ付きである。
しかし、村に帰り着いた時の彼等の表情には安堵や喜びは見られなかった。何故なら彼等は知っていたのだ。自分達が頑張って獲った海鼠や鮑がかなりの値で売れた事を。そして、その代わりに買い込んだ品々の残りを受け取りにもう一度湊まで出向かねばならない事を。
結局、湊への旅を二周させられた四人(吉兵衛は昨年の経験がある為、それ程でも無いが。)はすっかりと従順に調教され、この様に時折文句を零しつつも大人しく働いているのだった。
’バシャーン’
「あぁ、糞!今日こそ行けると思ったのにな!」
「はははははっ、甘い甘い!」
水浸しになって口惜しがる
幾ら彼等北敷の腕自慢達が従順になったとて、当初の目的の武芸の稽古を付けない訳にはいかない。刀と槍の稽古を毎日夕方にたっぷりと行っている。但し、槍は短槍、刀は小太刀を想定した長さの獲物を使っている。これを最初に見せた時は当然彼等は反発した。特に槍は宗太郎が短槍を持って稽古していたのに対して、男衆は長槍を持って訓練していた為に子供用とでも思ったのかもしれない。それに対しては理由を説明、特に長槍では舟の上では使い辛い事を指摘すると大人しく従った。
そして、舟の上と言う言葉から産まれた訓練が今やっている水上での打合いだ。竹で組んだ小さめの筏を双凷川の上に二つ並べて浮かべ(流れて行かない様に綱で岸に繋がれてはいる。)、それぞれに乗って槍で突き合うのだ。これが想定外にウケた。舟に親しんだ北敷の四人に留まらず、俺と祥猛。そして宗太郎と寛太も不安定な足場での稽古に熱中しているのだ。無論、その他の連中は普段の稽古でお腹一杯と言った按配で見向きもしなかったが、一方で年少の子供達は筏に乗ってプカプカと浮く事が楽しいらしく、双凷川を通り掛かる度に春に強請って筏の上に楽しそうに座っている。その他、暑くなって来た中での畑仕事の休憩に筏に腰掛けて足を川の水に浸ける者も少なくなく、日がな誰かしらが筏の上に居る様な状況になっている。
「糞ー…」
清介がまだ口惜しがりながらも岸に上がって来る。
彼は新しく来た三人の中では一番若い十七歳で、我等三人から見ても少し年下の男だ。それ故、三人の中では一番対抗心が強いと言うか、学ぶと言う意識になり辛く、つい我流に走りがちになる面が強い。他の二人は吉兵衛程でないにしろ、教わる側として我等を上に扱うのだが、清介はそれも殆ど見られない。
勿論、対抗心が強いと言う事はやる気が強いと言う面もあるのでいつも最後まで稽古を熟すし、自主的に朝早く起きて、宗太郎達と素振りをしたりもしている。
びしょ濡れだが、問題は無い。夏も間近だし、どうせこの後は風呂に行くのだ。
「明日こそ…」
清介は一番多く水に落ちた事等どこ吹く風。先頭を切って風呂への道を揚々と進む。
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