88・織機
「おでがいじばずぅ…ぜんじどうざんをゆるじであげでぐだざぃ…」
女が地に額を擦り付け、赦しを乞うている。
何でこんな事になって居るのか…勝手に石灰を使って壁を漆喰で塗った千次郎に対して、俺は罰として使った量の石灰を自分で運ぶ様に命じただけなのだが…正直大した罰では無いと思う。数日の間石を運べば終わる程度のものだ。
だが、それを聞いて飛んで来た女がいた。千次郎の妻である豊ではない。小枝だ。
何故、小枝が号泣しながら千次郎の赦しを乞うているかと言えば、どうも織機がもう完成間近まで来ているらしいからだ。念願の織機の完成を目前に、千次郎を何日も取られては敵わない。そんな思いで俺の所に飛んで来たらしい。後ろでは困惑した様子の千次郎と苦い表情の豊が居る。
「ところで小枝よ、千次郎の奴は織機の完成を目前に漆喰で壁を塗っていたのだが、それは良いのか?」
ちょっと腹が立ったのでそう揶揄してみると、小枝はぐちゃぐちゃになった顔で目をカッと見開き、千次郎の方を振り返った。
「ひぃっ…」
千次郎は絶句、豊は思わず小さく悲鳴を上げる程の表情だったらしい。
「でもでも…」
再びこちらを向いた小枝は目をきつく閉じながら煩悶する。千次郎の裏切りは許し難いが、これ以上完成が遅れるのも我慢出来ない。そんな所だろうか。
「ならば、千次郎の変わりにお前が石を運ぶか?」
「え?」
「お前が千次郎の変わりに罰を受けると言うなら千次郎は普段の仕事を続けられるであろうな。」
「わ、分かりました!私が石を運びます!」
俺がそう提案すると小枝は一も二も無く飛び付いた。
「千次郎はそれで良いか?」
「え?あ、あの…」
「はい、構いません。」
続いて千次郎に尋ねれば、こちらは逡巡する千次郎を差し置いて豊がとても良い笑顔でそう答えるのだった。何やらこの村も人間関係が複雑になって来たかもしれん。
===小枝===
「はぁはぁ…」
重い…背負籠の肩紐が食い込んで痛い…
そう言えば大将に助けて貰うまではこんな風に運べっこ無いって思う位の荷物を毎日背負わされていたっけ。
あの頃に比べれば、これをやり遂げれば機織が出来る様になるんだから天と地だ。まぁ、そもそも千次郎さんがちゃんと仕事をしていてくれれば今頃は…
「小枝さん、少し持ってやるからこっちへ渡しな。」
つい湧き上がる怒りが抑えられずにいると隣で馬を曳きながら石を背負っている満助さんにそう言われる。
「えっ?」
「小枝さん酷ぇ顔してるぞ。大分辛いんだろ?俺の籠はもう少し入るから。」
酷い顔…怒っていたからだとはとても言えない…でも、そんなに酷い顔してたかしら…
「ほら、籠降ろして。」
私がそんな事で迷っていると、満助さんはさっさと自分の籠を降ろして私の籠も降ろせと急かして来る。
言われるがままに籠を降ろすと、満助さんは私の籠の上の方の石を自分の籠に移して行く。とは言え、満助さんの籠だって最初から殆ど一杯まで石が入っている。直ぐに自分の籠が一杯になってしまうと、今度は二頭の馬の背の左右に乗せた籠にも少しずつ、そして最後には自分の袖と懐にも幾つか石を入れてくれた。
「これ以上は無理だから悪いけど後は自分で運んでくれ。」
そう言うと満助さんは自分の籠を重そうに背負うと再び馬を曳いて進み始めた。
これ以上って、三分の一程は少なくなっているのだけれど…
「豊の奴がすまねぇな…」
前を歩く満助さんがポツリとそう言った。豊さん?豊さんがどうしたんだろう?
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小枝が千次郎の変わりに石を運び終える頃。千次郎と茂平もどうにか織機を完成させた。余程小枝の顔が恐ろしかったのだろうか。
勿論取り敢えず形になっただけなのでこれから小枝が色々と使い込んで行って問題点の洗い出しと改修をする事になるだろう。
それが済んだらもう一台織機を作らせる予定だ。機織が出来る者が小枝一人なのは効率が悪いからだ。常時機を織るのは小枝だけだとしても冬場や雨の降る日には機を織れる人間がもう少し居た方が良い。裁縫上手の周や若い春辺りが候補になるだろうか。
小枝は文字通り、涙を流しながら機織を始めた。冗談では無く、寝る間も惜しみ、機を織っていないのは食事の間だけと言う様な有り様だ。その鬼気迫る働きぶりには、日頃あれこれと口煩く言っていた女衆も何も言えず(まぁ、常に働いているのだからそもそも問題無いのだが)、その仕事の速さは素人目に見ても見事と言う他なかった。
因みに、織機は場所の問題から差し当たってはお堂の隅に設置された。そして、お堂で寝ている我等兄弟や北敷からの訪問者達は夜更け迄続く機織の音に夜な夜な苛まれる事になるのだった。
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