82・XXの恨み

「なんだよ、蕗の薹は一個だけか。」

「贅沢言うんじゃないよ。欲しけりゃ仕事の後に自分で採って来な。」

 晩飯の食卓が荒んでいる。理由は忙し過ぎて春の恵みを収穫する余裕が無い為に食卓がやや貧相な為だ。皆がこの時期楽しみにしている春の野草。芹や薺、土筆や蓬等の田畑の脇に生える様な草は子供達が摘んで来てくれるから良いのだが、漉油や蕗の薹、楤芽と言った森の近くや中に入らねばならない種類は数が少ないのだ。

「すまんな、来年には山菜も元の通り、飯は増えるはずだ。今年は我慢してくれ。」

「いや、そう言う意味じゃないんで…」

「アンタの飯だけ去年の量に戻したっていいんだよ?」

俺がそう詫びると、竹丸は慌て、周はここぞとばかり畳み掛ける。

 周が言う通り、毎日の飯の量は去年より増えているのだ。それでも副菜が減るのに不満を感じているのだ。欲が出て来たのだ、今よりもより良い暮らしがしたい。そう言う欲を感じられる様になったと言うのは、どん底で明日への希望すら持てなかった彼等にとって前向きな変化だと言えよう。


「祥治殿。」

食後、仁淳に声を掛けられる。

「如何した?」

「実は酒の件なのですが。」

「うん。」

「上手く行っておりませぬ。」

俺が応じると、少し言い辛そうに仁淳はそう言った。

「詳しく聞こう。何が上手く行っていないのだ?」

「蕎麦で仕込んだ方が上手く発酵しませぬ。麦で仕込んだ方は問題がないのですが…」

仁淳は悔しそうにそう言う。

 当初、蕎麦で酒を仕込むつもりだったのだがついでに麦でも試してみる事にした。この様な事態に備えてでは無い。麦焼酎の方が有名だったから、味や香りを比較してみようと思った程度の話だった。


「何か思い当たる原因はあるか?」

「さて、蒸しが足りなかったのか、その後の冷やす時が短かった、はたまた長かった。いくらでも思い付きますが全て試していては材料が幾ら有っても…既に少なくない蕎麦を使っておりますれば。」

「そうだな…」

仁淳の答えに俺も顔を顰める。

 確かに仁淳の指摘の通り、端から試してみる訳にはいかないだろう。手持ちの穀物の量を考えればもう一度試すのが精いっぱいか。


「発酵は温かい方が早く進むんだよな?」

「左様ですな。」

「ならば、もう一度だけ試そう。その代わり、蕎麦だけで仕込む物と、蕎麦と麦を半分ずつ混ぜて仕込む物、それから麦を三分の一混ぜる物を試す。その代わり、それぞれの量を減らそう。それで駄目なら刈入れの後にもう一度だな。」

俺はそう提案する。

 発酵は腐敗と似た様なものだったと記憶している。多分間違い無いだろう。夏になれば食い物が痛み易くなるのはそう言う事のはずだ。だから季節が進み、気温が上がってきた今の時期にもう一度試す。

 それからもう片方は、発酵が進まないと言う事は麹菌が働いていない、増えていないと言う事であろうから順調に発酵した麦と混ぜてみよう。麦で増えた麹菌が蕎麦も発酵させてくれるのではという期待の元、試してみる事にする。量を変えるのはなるべく蕎麦を多く使って作りたいからだ。

「混ぜるのですか?」

「まぁ、試しだ。麦の発酵がついでに蕎麦も発酵させるんじゃないかと思うんだが。」

「発酵した麦の中に蕎麦が浮くだけでは?」

「じゃあ、何か提案しろよ。」

「む、むぅ…」

こうして仁淳も諸手を挙げて賛成したので田の整備が終わり次第、二回目の仕込みに取り掛かる事が決まった。


「あ、麦の方は濾しておいてくれ。田植えが終わったら味見したい。」

「蒸留するのでは?」

「蒸留しなくても旨いならそのまま売れば良いだろ?それに村の連中は酒なんて有りついた事の無い者ばかりだからな。ここまで頑張ってくれた褒美に少し飲ませてやりたい。」

「左様ですか。祥治殿がそう仰るのでしたら。」

俺がそう言うと仁淳は少し不満そうにそう答える。

「お前だって興味有るだろ?」

俺がそう聞くと気不味そうに右に視線を逸らす。

「お前まさか…一人で飲んだのか?」

逸らした視線の先に回り込んで問い糺す。あ、首が逆を向いた。

「…」

俺は無言で逆を向いた視線の先に首を伸ばしてその目を覗き込む。

「わ、私が造りましたので…きちんと出来上がっているか確認する努めが御座いますので。」

「何故声を掛けぬのだ?」

「いや、その…」

「許し難いな…」

と、仁淳を詰めていると、

「どうしたんだ兄者?」

都合良く祥猛がやって来た。

「仁淳がな。仕込んでいた酒を一人で味見したらしいのだ。」

「はぁ!?仁淳手前ぇ!今度と言う今度は許せねぇ、その首叩き切ってやる!」

着火に成功した。

 その後、騒ぎを聞きつけた皆が集まり、仁淳は一人で酒の味見をした裏切り者として吊るし上げに遭うのだった。

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