83・新たな田畑

「お、終わった…」

泥塗れの男達が畦に累々と転がっている。

 その横の整備済みの田を、犂を引いた蒼風がゆっくりと進んで行く。そう、田の整備の終了を目前にして田起こしの時期が来てしまったのだ。結果、馬を扱う二人と女衆は田起こしに回る事になり、残った男達は仕事量が倍になった泥運びをここ数日必死に熟して来たのだった。

 その甲斐あって、何とか田起こしの時期に整備を終わらせる事に成功したのだが、その代償が畦に累々と横たわる泥人形と言う訳である。


「寝るなよ…溺れて死ぬぞ。」

フラフラになりながら風呂に浸かる。

「明日は休みたい…」

「明日は田起こしだ…」

そこかしこで休みを渇望する声が挙がる。

 だが、田起こしが終わっていない以上まだ休めないのだ。しかし、田起こしが済めば育苗の間は幾らかマシになるはずだ。そこまで頑張って欲しい。

「しかし、今敵が襲って来たら確実に負けるな。」

「確かに…」

祥猛の指摘に自嘲気味にそう答える。

 先日の襲撃でそれなりの損害を与えた為に、正直に言って、襲撃は無いと決めて掛かっている面は否めない。本来は雪解けと共に置く夜間の見張りも省略している程なのだ。それ程手が足りていないのだ。手が空いたら石灰も運びたいし、冬に出来なかった葦の刈り取りもしたい。他にもやりたい事は山程ある。


「祥治殿。私はそろそろ薬種を探しに山に入りたいんだが…」

そこへ仁淳がそう言い出した。

「この時期は多くの薬種が手に入るのか?」

「いや、薬種に適している物は新芽より成熟した葉や実の場合が多い。だが、下草が繁る前の今ならば色々と当たりを付け易いと思いましてな。」

成程、正直田起こしまでは人を割きたくは無いのが本音だが、最終的に得られる薬の量が増えると言われれば魅力を感じざるを得ない。

「だが、この時期は熊や狼なんかの気が荒いぞ。大丈夫か?」

「熊は薬になる部分が多いのです。祥猛殿、是非狩って下され!」

一人で行けるのかと聞こうと思ったら、まさかの展開になった…これ以上人を割けと言うのか…こちらは熊の手も借りたい程なのだが…

「熊なんか本当に薬になるのか?」

祥猛も疑わしげにそう言う。

「勿論ですとも!特に胆は貴重でございましてな。」

「ふーん…」

「今まで全部捨てておりましたな…」

「何て事を!」

そこへ弥彦が参戦して騒ぎは拡大。結局、明日から狩猟班は山へと入る事になってしまった。


 狩猟班が抜けて人数が減ってしまった皆で田を起こす。去年までは完全な泥田しかなかった飯富村では馬に曳かせる犂による田起こしは不可能だったが、今年からは既存の泥田も改良した結果、大幅な改善が成された事から犂を使った田起こしが行われる事になったのだ。新規に田とした場所は問題無かろうが、既存の部分は馬が沈んでしまう心配が有る為、最初は蒼風では無く一番小柄な栗を田に入れる予定だ。

 予定と言うのは、沈んだら後が面倒で仕事所の話では無くなってしまうので、取り敢えず新しい田から起こす事にしているからだ。


「ゆっくりだぞ。そっとやれよ。」

俺の心配の声を受けながら八郎が栗を曳いてゆっくりと田に入って行く。

 八郎の足下が沈み込み深い足跡を残して行く。改良したとは言え、工事が終わって間も無い地面は一見乾いている様に見えてまだまだ締まっていないのだ。

 八郎の緊張が伝わったのか、はたまた見守る我等の緊張か。栗は田を前にして進むのを嫌がった。

「それ、ゆっくり進むんだ。」

 手綱を曳いていた八郎は栗の顔の横まで来ると落ち着かせる様に声を掛け、面繋おもぐいを直接掴んで前へ促す。何度か繰り返すと栗は渋々と言った様子で田の中に一歩踏み出すと、直ぐに蹄は沈んで見えなくなり、四足全て田に入った時には球節(人間で言う足首の様に見える関節)の辺りまで沈み込んでいた。

「どうだ?行けそうか?」

「まぁ、出来ない事は無さそうですが。これじゃあ犂も大分沈んじまうでしょうし、こいつの力じゃ無こうまで曳くだけでも大仕事になりそうですよ。それにこんだけ柔らかいんなら最初っから手で起こしても変わらんのじゃないですかね。」

俺の問いへの八郎の答えは遠回しに否であった。

「そうか…皆、すまんが去年同様で頼む。」

「足が沈まずに起こせるんですから去年に比べりゃ天と地ですよ。」

俺がそう詫びると皆はそう明るく答えて仕事を始めてくれた。

 さて、俺も皆に負けぬ様、一働きせねばならん。これから生まれ変わった飯富の田畑の最初の一年が始まるのだから

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