73・見上げる

===利吉===

’カリッカリッ’

 口の中に放り込んだ煎った団栗から香ばしい香りが広がる。足の泥を落として服を着たまま足を風呂に突っ込み空を見上げる。去年までは「団栗で良いから晩飯を腹一杯食べたい」なんて思っていたのに、今年はこんな空の明るい内に団栗を齧る事が出来ている。仕事がきついから合間に齧れと毎日数粒だけど朝に貰えるのだ。

 そして香りと一緒に口の中に広がるこの塩の味。去年までは塩だってとても勿体無くておいそれと使わせて貰えなかった。それが今じゃどの飯にも味が付いている。なんとも有り難い事だ。だが、これは大将達が自分達の銭を使って色々と手配してくれているからだ。今後もこんな暮らしをしたければと言う事だ。


「さぁ、続きだ。行こう。」

そんな事を思って、周りで同じ様に湯に足を突っ込んで暖めていた年下の連中に声を掛ける。休憩はここまでだ。来年も旨い物を食いたいからな。

 湯から上がり足を拭いて田に向かう。作業の続きをしなきゃならん。秋に余所者まで呼んで作った堰から川沿いでない場所にも水を引く事が出来る様になった。その為に今まで畑だった場所を田に作り変えねばならんのだ。ついでに今までの田も良くするらしい。

 昨日までは新しく田にする場所の土を全部退けてそこに石やら竹やら笹を敷いた。これで水を抜く時に良く抜ける様になる仕掛けらしい。智様や三太さんが言っていたからきっとそうなんだろう。大将はその辺の細かい事は詳しく無いから二人の指示を聞けって言ってたっけ。やっぱりあの人は本当は偉い家の生まれなんだろう。因みに退けた土も新しく拓く畑に使うらしい。

 昨日までの作業も雪の降る日があってかなり大変だったが、今日からのは段違いだ。今度は今までの田の泥を新しい田に移すのだ。水が入る場所に水門を作ったけれど、それでも今までの田はいつも泥濘んでいる。この季節に塗れた泥に足を入れるのは正直きつい。暖かくなってからでも良いのではないかと言う奴も居たのだが、大将に春先にやるとその水が雪解け水になるぞと言われてあっさり引き下がった。

 泥は新しい田に移す分以上に泥を移し、今までの田にも水抜きの仕掛けを施してから泥を戻すらしい。皆、本格的に雪が降る前に終わらせようとかなり必死には働いている。それもあって団栗が貰えるのかもしれない。


 道すがら頭の白くなった双凷山を見上げる。もう少し雪が降って、正月を越えれば稲が逝ってしまって一年になるか…あの子にも色々食べさせてあげたかった。そう言えば美代が最近月の物が来ないと言っていたな。


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===小枝===

「はぁ…」

またやっちゃった…

 夕方、一日の仕事が終わって、皆が風呂に向かう中で、私は一人川沿いの大きな岩の上で膝を抱えて溜息を吐く。皆とは一緒に居辛い。

 昨夜も新しく来た仁淳様と言う薬師の方が黄蘗の話をしているのを聞いて、つい抑えきれずに染料に使いたいから欲しいと訴えてしまった。機織りに関係する事になるとムキになってしまう。周りからは我儘を言っている様に見えるみたい。昨日も皆の「薬の方が大事でしょ。」って後で散々言われた。

 だって、仕方無いじゃない。私と一緒にここに来た他の人達は皆自分の居場所が出来ている。八郎さんは馬を任されているし、戦でも当てにされている。この間、田鶴さんと夫婦にもなった。三太さんと四太さんは田畑の事に詳しくて皆に頼りにされているし、千次郎さんは大工だ。頼りにされない訳がないし、豊ちゃんと夫婦になった。


 私だけ…私だって織機さえあれば…この間、大将の計らいで智様の旅に同道出来た。そして智様が伝手を駆けずり回ってくれたので織機を見せて貰う事が出来た。千次郎さんも一生懸命にそれを見て回って紙に色々と書き付けてくれていた。

 それでも千次郎さんが言うには試行錯誤が必要だろうし、木もこの間の家を建てる時に粗方使ってしまったと言う。それに今は千次郎さんも茂平さんも田を増やす仕事に駆り出されているから織機に関わる暇が無い。大将にも「気持ちは分かるが済まないが優先しないといけない物からだ。」と言われている。私にも食べる物や住む所の方が大事だって事は分かる。分かるけど…

 茜色に染まる夕焼け雲を見上げると、私が喉から手が出る程欲しい織物に見えて仕方が無い。あんな綺麗な茜染の布が織りたい。気が付けば雲を見詰めたまま涙がポロポロ零れていた。


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