71・薬師

申し訳ない、遅くなりました。ちょっと難産でした。

※※※※※※


「やぁやぁ、祥治殿。御無沙汰でしたな。」

坂を登ってやって来た一行の中から一人の男が進み出て人を食った様な笑みを浮かべながら声を掛けて来るが、男がそれを言い終わる前に祥猛が噛み付いた。

「手前ぇ、仁淳じんじゅん何しに来やがった!?智の兄者も何でこんなの連れて来たんだ!?」

「何しに来たとは御挨拶ですな。」

「仕方無いだろ、兄者が呼んだんだ。俺だってどうかと思ったんだ。」

祥猛の言に仁亨と祥智が相次いで答える。

「兄者!?何でこんなのを呼んだんだよ!?」

それを聞いた祥猛が今度は俺に噛み付いて来る。


 鵜原仁淳うばらじんじゅん、ぼさぼさの総髪を後ろで一つに束ね飯富村の者より多少マシな程度の襤褸を着た痩せぎすのこの男は我等兄弟が沓中国に滞在した時に知己を得た薬師である。三十路手前のこの男はとある高名な医師の弟子であったらしいのだが、その性格と破天荒な言動から破門となったと言われている男である。

 医者の弟子なのに薬師なのかという突っ込みもあろうが、本人曰く医師としての修行は道半ばであった為に薬師を名乗っているとの事である。が、この時代の薬師は単なる薬剤師とは違い、診察も処方も調剤もする医師との境界が曖昧な仕事なので、やっている事はほぼ医師のそれであるし、お墨付きを貰えてはいないものの名医の弟子として学んだ最新の医学に基づく知見は相応の物であり、尚且つ身分に関わらず手を差し伸べるその姿勢は聖人と呼ばれてもおかしくないものであった。

 にも関わらず、この男の下に人々が寄り付かず食い詰める至っているのは偏にその言動に拠るものであろう。身分在る者達にはその歯に衣着せぬ物言いと人を食った様な態度を敬遠されている。対して、本来医者に掛かる事等出来ない下々の者達ですらこの男を敬遠してしまうのは、彼が独自の理論で新たな材料や配合を用いて調合した薬を下々の者達に飲ませるからだ。これに因って生じる副作用や想定外の効果から酷い目に遭った人間の話しが広がり、沓中では恐れられていたのだ。しかも性質が悪いのはこれを黙って飲ませるのだ。仁淳等と言う慈悲の塊を意味しそうな名を名乗っているのに、下々の者に手を伸ばす理由は実験台を欲してと思われても仕方の無い、前世で言えばマッドサイエンティストのそれだったのである。

 祥猛もこれで酷い目に遭った一人であって、珍しく悪寒を訴え高い熱を出した祥猛がこの男が処方した薬を飲んだ結果、吐きまくりの下しまくりで三日三晩のた打ち回る事になったのだ。色々な意味で恐ろしいのは、それが収まった時には熱も腹もすっかり落ち着いていた事で、これは他の酷い目に遭った下々の者の多くも同様らしいのだが、これが薬の効果に因る物なのかどうかは定かではない。だが、残念ながらと言うべきか当然ながらと言うべきか、薬を飲んだ者は誰一人それを信じていないのであった。


「まぁ、落ち着けよ祥猛。良く来たな仁淳、歓迎するぞ。」

俺は祥猛を宥め、仁淳に挨拶を返す。

「ははは、暫く会わぬ間に領主様になられるとは祥治殿はすっかり御出世されましたな。」

「そちらはいよいよ食い詰めた様だな。あの手紙に釣られてほいほいやって来るとは思わなかったぞ。」

惚けた事を言う仁淳に皮肉を込めてそう返す。

 呼んでおいて酷い仕打ちと思わなくもないがこの男には刺せる限りの釘は刺しておかないと何をしでかすか分からないのだ。

「これは手厳しい。仰る通りすっかり閑古鳥が鳴いておりましてな。有り金を叩いて曾杜湊まで参りましたよ。」

これには本人も些か思う所が有ったのだろう。少し落ち込んだ様子でそう答える。

 春の買い出しで祥智に持たせた手紙の内の一通は仁淳に宛てた物だった。我等が沓中国を訪れたのは沓前国に訪れる直前、一昨年の秋だったのだが、政情の安定しない沓中に滞在したのはその後の極短い期間だった、俺から見ればこの短い期間で仁淳は既に進退窮まった様な状況に見えた。何なら自分が処方する薬を仕入れる事すら困難となっていて、自らあちこちの山を歩き回って生薬を採って回っていたのだ。挙句、ある村の入会地でいざこざを起こした所を我等が仲裁した経緯があった。

 そんな状況であったから、いよいよ首が回らなくなったであろうと考え呼び寄せた。この状況ならこの男も無茶はしまいと踏んだのだ。足元を見る様なやり方なのは自覚しているがこちらも形振り構って居られる状況では無いのだ。


「して私に何をせよと仰るのかな?」

館跡の俺の作業場で腰を降ろし仁淳が問う。

 晩飯の時に皆に仁淳を紹介し、怪しい行動を見かけたら直ぐに報せる様に触れを出した。それでもこんな辺鄙な村に薬師が訪れたと言う事に皆は感動していたし、仁淳の所業を知らぬ者達には触れもピンと来なかったのだろう。皆、素直に喜んで居た。

「当然だが皆の健康を保つのが第一だがお主には自分の食い扶持も別途稼いで貰うぞ。」

俺は問いにそう答える。

「薬師の仕事だけでは足りませぬか。」

「ここではな、それに手元にどれ程の薬種も残ってはいないのではないか?」

少し不満そうにそう言う仁淳に俺はそう指摘する。

「敵いませぬな。ここまでの旅費を捻り出すのに売れる物は大概売ってしまいましたわ。」

苦笑いでその指摘を認める仁淳に、

「だろうな。それ故、まずはここいらで何が手に入るか歩き回れ。季節が悪いが北の山なら好きに入って構わん。が、南の崖の下は暫くは止めておけ。命が惜しいならな。」

そう指示する。

「成程、それは道理ですな。」

仁淳も大人しく同意する。

「それと山向こうの代田で山葵が採れる場所があるらしい。この村から少し登った場所に池があるのだが、そこでも育たんかなと思っている。まぁ、これは春になってからの話になろうがこれを任せようと思っている。」

「流石に薬種を育てた事は無いのですがね。」

俺の話に困惑を隠せない仁淳。

「まぁ、これは試しだ。いきなり上手く行く等とは思っていないし、上手く行かなくとも責めたりはせぬ。」

「それならばまぁ…」

困った顔をしながらそれでも一応承諾する。

「それとお主、酒の仕込みが出来たであろう?」

「えぇ、まぁ。杜氏と同じ様にと言われると困りますがね。」

医者の多くは同時に僧でもあったこの時代。彼らは知識人でもあって様々な技能に明るい。俺は件の一件を仲裁した時にこの男は礼として自家製の酒を振舞ったのを覚えていた。

「酒を熱して出る湯気を冷やすとより強い酒が採れる事は知っているか?」

「どこでそれを…」

顔を白くしながら辛うじてその言葉を搾り出した仁淳。俺が言ったのは要するに蒸留の事だが、この時代では何と呼ばれているかが分からなかったのでそう伝えたのだが、やはり知っていた様だ。

「俺を誰だと思っている?蕎麦が余る予定だ。それを仕込んで強い酒を造れ。」

「祥治殿、貴殿は…」

さぁ、働いて貰うぞ。俺はニヤリと顔面蒼白の仁淳の顔を覗き込む。

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