69・一年

'ガラガラガラッ!'


 喫驚したぁ…突然の大音量と微かな地面の揺れに思わず作業の手を止め顔を上げる。

 冬も間近になった今、晩飯も済ませたこんな時間に俺が居るのは逃げ出した元領主様(向こうはまだ元とは思っていないかもしれないが)の館跡である。

 焼け落ちたそこの隅に、長屋を立てた結果不要になった状態の良い竪穴住居を俺の作業場として移築して貰ったのだ。そして今の騒ぎは焼け落ちずに立っている建物の残骸の一部が崩れた音だったのである。残骸も撤去して綺麗にしたいのだが、現状そんな事に割く労力は有りはしない。


 さて、こんな所に作業場を設けて何を始めたかと言えば、様々な人には見せられない事をする為である。

 一つは椎茸の栽培。去年の年末に切り出した椚の丸太が程良く乾燥したので榾木に加工するのだ。山之井では椎茸の名の通り椎の木を使って栽培していたのだが、諸国を巡る間に野生の椎茸は椎の木よりも椚の木の下の方が良く採れると気付いたのだ。その為、今回は椚で試してみる事にしたのだが、良く考えれば成功した実績の有る椎の榾木も用意しておけば良かったと後悔している。今度の冬には両方調達する様にしようと思う。因みに館の裏はそのまま山の斜面へと続いているので加工した榾木はこっそりとその中へ運び込む予定だ。

 二つ目は白い粉である。二棟移築したもう一棟の中には土が山の様に詰まっている。そう、取り壊した竪穴住居の地面から採取した土だ。つまり、硝石である。遂に禁断の一手に打って出る事にしたのである。

 これを目の前の竈で水に煮出して煮詰めて行くと硝石が採れる…はずだったのだが、何度やっても上手く行かないんだよなぁ…水分が全部無くなるまで熱すると底には確かに白っぽい成分が残る(粗方焦げてしまうが)。火を付ければ燃えない事もない。が、硝石って結晶化するんじゃなかったっけ?ここ数日毎晩濃度を変えてみたり思い付く事を試しているのだが上手く行かない。


 寝る前に、竈の前で凝り固まってしまった体を解しに風呂に浸かる。湯船の縁に頭を預けて空を見上げる。いつの間にか夜半も近くなると冬の星が顔を覗かせる様になっていた。

 ここに来てもう一年になるか。山積していた問題を出切る事から一つずつ解決して来た。いや、手を付けただけで解決していなかったり、改善されてはいても十分では無い事だらけなのだが、それでもいくつかの問題は解決しているはずだ。

 しかし、一つ解決すれば新たな問題が二つ増える様な気にすらなる程先行きは見通せない。問題の大方は労働力不足に起因する事は明白なのだが、それを解決するには結局の所、食料問題が立ちはだかる事になるのだから優先するべき事は決まり切っているのだ。しかし、それを防衛の問題が邪魔をしたりするのだから世の中上手く出来ていないものである。

 問題と言えば祥智達がまだ戻らない事も有った。予定ではとっくに戻っている頃なのだが…


「祥治殿、お世話になりました。」

北敷からの人足を後ろに従え、吉兵衛がそう挨拶する。

「なんの、そもそもこちらが願い出た事なれば大変な助けになりました。状況が許さぬ故に直ぐにとは参りませんが近い内に必ず御礼に伺うと波左衛門殿にもお伝え下さい。」

それを受けて俺もそう挨拶をした。


 まだ雪は降っていないが最早秋ではなく冬と呼ぶべき気候になったこの日、堰の堤体の完成(実際にはまだ三和土の乾燥硬化を待っている状態ではあるが)を以て彼等は故郷に引き上げる事になった。

 本音を言えばもう少し残って貰って開墾だの伐採だの防壁の強化だの手伝って欲しい事は山程有るのだが、ここよりも冬の訪れが早い北敷海岸の村々へ帰らねばならぬ事、中でも吉兵衛等の切端村以外からやって来てくれた者達は切端から更に海に出て船で各々の村に戻らねばならぬ事、更に自分達に目を向ければこれ以上彼等に飯を食わせ続けると夏には我等が飢えかねない事からここで打ち切りと言う事になったのだ。


「必ずや伝えましょう。その際には是非流澤にもお越し下され。」

すっかり打ち解けた様子の吉兵衛はそう上機嫌に言う。

 彼がこの様に打ち解けたのは我等の調練や祥猛が宗太郎達に付けている稽古に吉兵衛が興味を持った事が切っ掛けだった。北敷では剛の者として名の知れた存在の吉兵衛だが、実際にはきちんとした教えは受けた事が無く、その実は腕っ節に拠る物だと言う事は本人も薄々感じていた事であったらしい。

 そこへ唐突に現れた我等三人の持つ武芸の知識は彼からすればそれこそ垂涎の的であったのだ。初日の夕方には宗太郎達の稽古を齧り付く様にして見物し、そしてそのまま地面に頭を擦り付けて祥猛に教えを乞うたらしい。

 それからの彼の熱意は留まる事を知らず、稽古の時間のみならず、作業の合間の休憩の時にも祥猛や俺に質問をぶつけ、時としては実技も強請り、最終的には作業現場に木刀や木槍を持ち込むまでに至ったのだった。


 朝日を背に受け彼等は帰路に付いた。さて、我等も先延ばしにしていた冬の準備を急いで始めないといけない。

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