63・助っ人

===流澤ながれさわ吉兵衛===

 双凷山を左に望みながら故郷の切端より川を遡る。流澤の家に養子に出てから早十年、今でも思い出深い故郷の風景を懐かしみながら川沿いを進む。だが、子供の頃に駆け回った覚えのある場所はあっと言う間に過ぎ去った。やはり我等は海に生きる者と言う事だろうか。

 そんな他愛も無い事を考えながら最早見知らぬ道となった故郷を流れる川沿いをひたすら上流へ向けて進む。


 兄にして、我等北敷の村々を束ねる切端家の当主である切端波左衛門から報せが回ったのは夏もすっかり終わり、秋の収穫を目前にした頃だった。

 曰く、秋の収穫後から本格的に雪が降るまでの間、希望する手隙の者は双凷山南麓の飯富村へと人足として赴くべし。滞在中の寝所、食事は提供され、帰還時に謝礼として幾許かの食料が提供される。

 各村は希望者を取り纏め、期日までに切端村へ集合せよ。そして、私には別途、その者達を束ねて飯富村へ赴くべしとの命が下った。

 飯富村、誰もが聞き覚えの無い場所へ赴けと言う話に我等も民も困惑するばかりであったが切端波左衛門の言である、俺は冬越の準備に必要な人数を残し船で切端へと参集したのだった。


 川の最上流で一晩明かし、翌朝峠を越える。そのまま双凷山の麓を回り込む様に進めば、いずれ目的の飯富村に辿り着くらしい。

 そう考えていた頃、我等の進路に人影が見えた。遠目にも頭を丸め、見慣れぬ装束を身に着けているのが見分けられる。幼馴染でもある切端の者が、以前使者として切端村を訪れた僧侶だと言う事を教えてくれた。あれが僧か。向こうも我等に気が付いたのだろう手を合わせて頭を下げるのが見える。


「ようこそお越し下さいました。飯富村を取り纏めております柳泉と申します。」

我等が目の前まで近付いた所でその僧がそう名乗る。出立前に兄から聞いた所によれば彼が名目上の領主で、実際には他に実質的な領主が居るらしい。

「北敷の者を纏めて参りました。流澤吉兵衛と申します。お世話になり申す。」

俺もそう挨拶を返すと、僧は俺の後ろを見回して、

「随分と大勢お越し頂きましたな。」

感嘆した様子でそう言った。

「はい、北敷の村々全てに声が掛かりまして。全部で二十人程で参りました。」

「有難い事です。切端様には是非よろしくお伝え下さいませ。さて、このままでは日が暮れてしまいます。急ぎ参りましょう。」

俺の答えにそう言い、僧は背を向けて歩き出した。


 山を下りると進路を東へ変え、川を渡って野原を暫く進むと崖と斜面に挟まれた狭い道を通る。僧の言うには、ここから先が実質的な飯富村の領域らしい。

 狭い道を抜け、暫く進むと川とその周りに広がる田畑が見える。大した広さでは無い。切端の田畑とそう変わらぬ広さであろう。

 だが、田畑のそこかしこで作業をする者の姿が見える。野良仕事では無い。何か普請をしている様に見える。その内の一人がこちらに気付いた様子で、我等を指差しながら回りの者へ何か言っている。そこへ、川の向こうから子供が一人走って来た。その子供は川を渡ると一人の男の下へ駆け寄る。


 僧はその男の方へ歩みを進める。どうやらあれが件の領主らしい。向こうも先程の子供を従えてこちらへ歩み寄って来る。

 その途中で近くに見えた普請作業は水路を作るものらしい。だが、見たことの無い石?で出来た箱の様な物も沢山置かれていた。あれは一体…

「祥治殿。切端より皆様お着きでいらっしゃいます。」

そう僧が我等を紹介すると、

「良く参られた。俺が飯富村の実務を取り仕切る鷹山祥治だ。短い間だが力をお借りする。」

眼光鋭くその男はそう名乗った。

 気圧された。率直に言えばその一言だろう。俺は腕っ節には自信が有る。子供の頃から喧嘩で負けた事は無かったし、流澤に移ってからも領民の喧嘩の仲裁等で遅れを取った事は無かった。だが、この男は違う。根本からして違う…一目でそう分かってしまう。体の動き一つ取っても違うのだ。

「な、流澤吉兵衛と申します。こちらこそお世話になります。」

俺は辛うじてそう名乗った。

「吉兵衛殿は波左衛門殿の弟君でいらっしゃるそうですぞ。」

僧が俺の言を受けてそう言い足してくれる。

「そうか、波左衛門殿の弟御か。この間お邪魔した時はお会いしなかったが。」

その言葉を聞いて男は目元を緩めてそう親しげに聞いて来た。

「そ、某は流澤の家へ養子へ出ましたので…」

「それでは切端村とは別の村に?」

「はい、流澤は切端から西へ二つ目の村です。」


「成程、ひょっとして切端以外からも人を寄越して頂いたのか?」

流澤の事を軽く話した後でそう聞かれる。兄上はその辺の事を伝えていなかった様だ。

「はい、北敷の村々に報せが回りまして。手隙の者はこちらへ伺う様にと…」

俺が恐縮してそう答えると、

「いやいや、大助かりよ。波左衛門殿も先日我が村の様子を御覧になられて少しでも多くの人手をと心を砕いて下さったのだろう。」

男はそう答えた後、

「だが、これは油断していると村を乗っ取られてしまうやもしれんな。」

俺の目を覗き込みながらそう笑って言った。

「いえ、滅相も無い…」

俺はそう答えるのがやっとだった。


「さて、着いて早々で申し訳無いが何人か人を借りたい。山歩きに慣れていて力の有る者は居るか?」

挨拶が一段落するとそう聞かれる。

「祥治殿、皆様お着きになられたばかりだと言うのに…」

僧が横からそう助け舟を出してくれるが、

「御坊、祥猛が張り切り過ぎたのです…」

男は僧にそう言うと、

「弟が貴殿等を歓迎する為に山に狩りに出掛けたのだが張り切りすぎて鹿を二頭も仕留めたらしいのだ。我等は御覧の通り普請の真っ最中でしてな。晩飯の為と思って手伝って欲しい。」

改めてそう頼んで来た。

「お手伝い致します。」

俺は辛うじてそう答える。大変な所へ来てしまったかもしれない。

 しかし、その思いは日暮れ直前に行われた村の男達の調練で大幅に上書きされる事になる。俺だけではない、槍に見立てた長い竹を一糸乱れず振る飯富村の男達の姿に、北敷から来た者達は皆度肝を抜かれる事になるのだった。

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