61・喜びの季節 壱
日に日に高くなりゆく秋の空に、ぷかりぷかりと白い雲が浮かんでいる。視線を下ろせば、目の前を横切る早瀬川が刻んだ谷筋の先、早瀬盆地に広がる田は一面金色に輝いている。直に収穫の時期を迎えるだろう。
対して我が飯富村は彼等に一歩先んじて収穫を迎える事となった。例年であれば盆地より標高の高い当村では、収穫の時期が盆地より後になるのが常であったらしい。だが、今年は育苗を行った為だろうか、盆地に先んじての収穫となったのだ。
さて、そんな大切な時になぜ俺が門の前でポツンと一人見張りに立っているかと言えば、塩水選と正条植え、そして育苗の成果だろうか、嘗て無い量の実りを目の当たりにした年寄り連中が自分達も稲刈りをしたいと言い出したからなのだ。
そして子供の頃から稲刈りの経験が豊富な祥智と祥猛も外せないとなった結果、日中は俺が一人でずっと見張りをする事になってしまったのだ。結局俺は産まれてこの方、稲刈りに参加した事無く今年も見張りに立つのだった。
飯富村では今後は、今年の作柄が豊作不作の指標となって行く事になって行くだろう。対して、目の前に見える早瀬盆地の村々の今年の作柄はどうだろうか。去年は余り良く無かったのだろうと人の動きから予測したが、ひょっとするとここ何年も不作が続いている可能性も有る。
彌尖国は遠濱国からの戦費負担に喘いでいると聞く。今年の秋はやりたい事が沢山有るのだ、正直言って荒れて欲しくは無いのだがどうなるだろうか…
===柳泉===
「凄い、こんなに米が…」
隣で稲を刈る茂平が譫言の様にそう呟きながら夢中で稲を刈っている。拙僧の次に年長の男である茂平も見た事の無い量の実りが目の前に有るのだ、無理からぬ事かもしれない。
いや、茂平だけでは無い。田のあちこちで嬉しそうな声、楽しそうな声が引っ切り無しに上がっている。皆、目の前の実りに夢中なのだ。
斯く言う拙僧も目の前の稲の実りに喜びを抑え切れないで居る。いや、稲だけでは無い。粟も蕎麦も嘗て無い量が実っているのだ。
これなら祥治殿の言に従って田畑を増やしていけば、数年の内に皆が飢えずに済む様になるかもしれない。そんな希望を感じながら拙僧も夢中で目の前の稲を次々と刈り取って行く。
======
暫く続いた刈り入れが終わって一息吐いた後、今度は乾燥させた穀物を脱穀する作業が進んでいる。ここでも新たな道具を投入した。
脱穀と言えば千歯扱きや唐箕が思い浮かぶだろうが、我が村にそんな物を拵える資材は無い。千歯扱きの歯に使う鉄が無いのは当然の事、その他に使う木材も余裕が無いのだ。何故ならば、堰を作った後の冬には家を建てねばならないからだ。
そこで投入したのが竹製の櫛だ。また竹かよと思う訳だがまた竹なのだ。これで絡まった髪を梳かすかの様に実を落として行くのだ。これだけでもこれまでの扱き箸と呼ばれる二本の棒を用いた方法に比べれば雲泥の差で作業が進む。
勿論、欠点が無い訳は無く、まず米は良いが実が小さな塊になってあちこちに生る粟や蕎麦には使い辛い点、そして竹製の為に櫛の歯が徐々に欠けていく点だ。
後者は使い捨てと割り切って使うとして、前者は今までの棒で叩いての脱穀を選択する者も少なからず居る。
先に収穫した蕎麦の脱穀は既に終わり、全部で二十俵程の収穫になった。蒔きっ放しの畑からの収穫が馬鹿にならない量だった。収穫の半分近くはそちらからの物だ。
そして今は米と粟の脱穀を行っているのだが、誰もが米の脱穀をしたがり粟は後回しの状況だ。やはり皆、米が好きなのだ。
「祥治殿、大変です!」
脱穀でも役立たずの俺は今日も今日とて見張りに勤しんでいると慌てた様子で柳泉和尚が走ってくる。
「御坊、どうされました?」
俺がそう聞くと、
「蔵が溢れました!」
力んでそう答えた。
そうか、現在この村に有る蔵は寺の庫裏に併設されている極小さな物しか無いんだった。昨年の秋に我等が訪れた時にも蔵も半分以上は俵で埋まっていた様に記憶している。
そこに闇雲に雑穀を植えた為にあっさりと蔵の容量を超えたのだろう。勿論、食料が足りていないのだから出来る限りの増産を図るのは当然の事なのだが。それに必死になり、更に増えた収穫に夢中になるあまり収納の事までは誰も考えていなかったのだ。
「蔵の事は何も考えていませんでしたな…取り敢えず庫裏の床に積む事にしますか。」
「そうですな、我等もお堂で寝るしかないでしょうか。かなり寝床が窮屈になりますな。」
寝床?
「…あっ!」
「どうされました?」
俺の叫びに和尚がそう尋ねる。
「近々、切端から人を借りる手筈になっているとお話ししたと思うのですが…」
「そうでしたな。」
「彼等の寝床が有りません…」
「あっ…」
そうなのだ、細かな人数はまだ分からないが十人前後の助っ人がやって来る事になっているのだ。
「あの小屋に寝てもらう訳にはいかないですし…」
まだ何棟か残っている竪穴住居も有るのだが流石にそれは…
「それは拙いでしょうなぁ…切端の村の建物はあれよりは大分立派でしたし…」
和尚も同様に思ったのだろう顔を曇らせる。
「困りましたな…」
「困りましたなぁ…」
二人で遠くを眺めて途方に暮れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます