53・波左衛門

「良く参られた。某が切端波左衛門にござる。」

目の前でそう名乗る男。

 彼が目的の男、切端波左衛門だ。背丈は普通だが、まだ春だと言うのに良く日に焼け細身ながらも引き締まった体をしている。本人も頻繁に海に出るのであろう。

「飯富村で代官の様な事をしております、鷹山祥治と申します。突然の申し出にも係らずお会い頂けました事、真に感謝致します。」

そう名乗り返して俺は頭を下げる。

「代官?柳泉殿からは貴殿が村を治めているとお聞きしたが?」

波左衛門が全く理解出来ていない顔で聞き返してくる。和尚め、その辺の細かな説明はしなかったんだな。

「領主と言う意味では否でござる。お聞き及びかもしれませんが某と弟二人は他所から武者修行の途中、たまたま立ち寄った飯富村の者より村を治める者が逃げ出して難儀しておるから助けて欲しいと頼まれ、村の仕事に手を貸しているだけならば…」

「それは要するに領主ではござらんのか?」

飯富の者達にもした話をここでもする。

「ご存知かと思いますが飯富は先年までは他の早瀬の村々同様に遠濱の佐高家の治めるところにありました。それが領主が逃げ出す事態になって数年、疲弊し切った村に偶然立ち寄ったのが我等にございます。」

「だから、それで領主になったのではないのか?」

増々混乱の表情を深めていく波左衛門。

「実質的には領主でしょう。ですが、もし我等の存在が佐高の者達に知られた時に領主を名乗っていては領地を私したと口実を与える事になりかねません。それ故、村の代表は柳泉和尚とし、我等はその要請にて政や戦の実務を取り仕切るという事になっております。」

そう最後まで説明する。

「要するに建前上は領主では無いが実際は貴殿が飯富村を治めているという事で良いのだな?」

理解しかねる事態に直面したからか波左衛門の口調が砕けている。これが普段の話方なのだろう。

「まぁ、そう言う事になります。」


「それは最後は遠濱と戦をすると言う事で良いのか?」

どこをどう繋がったのか目を輝かせてそう聞いて来る波左衛門。

「いえ、現状ではとても勝ち目はございませぬゆえ、極力そうならぬようにと言う話でございます。その為に他の早瀬の村とは関わりを避けておる訳でして。それ故、塩を欲しておるのです。」

「そうか…しかし、曽杜湊と行き来する事もあると聞いたが?」

明らかにがっかりした様子でそう続ける。

「それはその通りですが、塩は安くて嵩張る。出来れば近くで手に入れたいのです。塩を運ばずに済む分、食い物を運べればその一部を切端村と取引する分に当てられます。それに塩以外にも幾つか求める物もあれば。」

「ほう、他に欲しい物とは?」

「一番は布糊にて、我等の村は石灰が取れますので漆喰に必要なのです。それ以外なら若布等の海藻、小魚を煮干しした物等が手に入ればと。」

俺は問いにそう答える。

「布糊と若布はいくらでも手に入るが、小魚を煮て干した者と言うのは何だ?いや、物としては理解出来るが何に使うのだ?」

「はぁ、ちと思う所がありまして。難しいですか?」

煮干は必須ではないから無理なら無理で良いのだが…

「小魚は釣るのが難儀だ。小さい針と餌が要るし、かと言って釣る手間は普通の魚と変わらん。」

そうか、この時代はまだ魚網による漁業はそれ程一般的では無いんだった。しかも目の細かい網となれば高価だ。それでは煮干は難しかろう。

「されば、布糊と若布もお取引頂ければ幸いです。」

「それはこちらとしても願ったり叶ったりだ。」

こうして切端村との取引は無事に纏まった。


 外洋から打ち寄せる波が岩場に当たって砕ける。話が纏まった後、波左衛門に釣りに誘われた。海釣りは余り経験が無い。

「俺は悔しい…かつて神領として一つだった彌尖は遠濱の奴等のせいでバラバラになってしまった…気が付いた時には彌下と早瀬は奴等の手に落ち、我等、北彌ほくびの村々は蚊帳の外だ。危険を冒して大社へ税を納めに行っても帰りに持ち帰っていた各地の産物は手に入らなくなり我等は貧しくなった。そして気が付けば大社へ船を出す余裕すら無くなってしまった…」

茫洋たる北の海を見つめながら波左衛門はそう呟く。先程、佐高と戦うのかと聞いて来たのはこんな感情の裏返しだったのかもしれない。

「大社は今はどの様な?」

「…分からん。父の代には大社へ行ける大型の船は沈んでしまってな。それ以来、新たに作り直す余裕も無い。我等も厳しい暮らしの中で大社に行かんで済む様になったのに、どこか安心して居たのかもしれん…」

俺の問いに波左衛門は寂しそうにそう答えた。


「さすれば、まずは我等でそれぞれの村を豊かにしましょうぞ。」

そんな波左衛門に俺はそう言う。

「しかし、この村を豊かにする方法があるとは思えん…」

しかし、そう俯く波左衛門。

「大社に行くのと曽杜湊に行くのだと、どちらが簡単なのです?」

「それは曽杜湊だ。彌尖の突端は潮がぶつかっている故、回り込むのに苦労するらしい。商人が使う大きな船だともっと沖に出られるからそうでも無いらしいが、我等の使う小さな船では沖に出るのは危ない。かと言って陸に近い場所は潮の流れも複雑で目に見えぬ岩場も多くあると聞く。父が船と共に沈んだもそんな辺りらしい…」

「では、まずは曽杜湊を目指しましょう。そこで売れる物を運ぶのです。」

「しかし、我等には何が売れるか分からんし、伝手も無いぞ。」

「そこはこちらで何とかしましょう。幸い、我等には伝手だけは有りましてな。」

俺の提案にもそう悲観的に答える波左衛門に対して、そう笑って言う。

「しかし、我等に協力してお主達に何の得が有る?」

確かにそれは疑問に思うだろう。為政者として当然の疑問だ。

「我等も山の物で湊で売れる物を調べて作ろうと思っております。それも一緒に運んで貰えれば助かりますな。」

「成程…それなら分からん話ではないな。」

俺の答えを聞いた波左衛門はそう言って少し笑った。


 重い…ほぼ手ぶらだった行きとは違い、帰りは大変な事になった。毛皮のお返しにと土産を持たされたのだ。背負籠一杯の若布に(干した物や塩漬けならまだしも採れたての水分ぎっしりのやつである。)、そしてその籠の外にぶら下がるのは昨日二人で釣って来た魚を含む魚の干物。正に一夜干しだが、波左衛門は歩いていれば更に乾くから良いだろうと適当な事を言っていた。干物って潮風に当てるから干物になるのではないのか…そんな事を思いながら行きは下りだった川の上流へと重い足を引き摺って飯富村を目指す。

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