52・葛切

「彼の村は切端村と申し、家の数はそう…二十かそこらでしょうか。治めるのは切端波左衛門殿、年の頃は三十と少しと言った所に見えましたな。」

都合五日の旅を終え、大分草臥れた様相の柳泉和尚がそう話す。

「御苦労様で御座いました。して感触は如何でありました?」

俺はそう労ってから尋ねた。

「はい、取引自体は問題無いと仰せでした。」

そう、答える和尚に、

「他に問題が有りそうと言う事ですか?」

そう尋ねると、

「問題…と申しますか、やはり早瀬から来た事を訝しんで居られましたし、我が村の置かれた状況も一概には信じられぬご様子でしたな。そも近隣の村以外からの客等初めての事と仰られまして。」

「は、はぁ…まぁ、それは当然の事でしょうな。」

和尚の話を聞きながら切端某が交渉出来そうな相手であった事に安堵する。

 最悪の場合は海賊の親玉の様な相手も想定していたのだ。尤もこの時代の海賊は海を縄張りにした武士であり運送業者でもあるから、所謂カリブの海賊の様な襲い奪うばかりの無法者である可能性は低いのだが。


「やはり、求めている物は米の様でして、祥治殿に言われた通りに最初に米には余裕が無い事を伝えておいて助かりました。あのまま話が進んで、後から米は無いとはとても言い出せなかったでしょう。」

だよなぁ…雑穀で頷いてくれるだろうか。

「ただ、粟や蕎麦では困ると言う感触では御座いませんでした。どの位の割合かを決めねばと仰っておいででしたから。」

黙ってしまった俺を見て、慌てた様に和尚はそう言い足した。

 そうだよな、落ち着いて考えれば向こうは只同然で手に入る塩が食い物に化けるのだ。そう考えればそう無茶は言うまい。

「左様ですか、では某が後日訪ねると言う事も?」

「はい、いつでも参られよ。と。」

「では、早々に伺う事に致します。御坊、この度の御足労は真に忝く。」

最後にそう聞くと深々と頭を下げる。

「お止めくだされ。これも村の為、皆の為でございまする。」

そう慌てて言う和尚だが、命を落とす可能性とて低い物ではなかったのだ。いくら下げても下げ過ぎと言う事は無い。

「有難う御座います。されど数日はゆっくりと疲れをお取り下され。見張りもお留守の間の当番でそのまま回します故。」

そう言って俺が再び頭を下げると、

「左様ですか。では、明日位は休ませて頂きましょう。」

そう疲れた顔で答えた。


 和尚が庫裏に引き上げた後、三太を誘って風呂に行く。和尚は風呂に入る余裕も無かった様だ。無理も無い、旅等若い頃にこの村に来る時にしただけ、それ以来村から出る事すら稀だったと本人も言っていたのだ。

「それで、お主の目にはどう映った?切端と言う村、切端波左衛門と言う男。」

湯に浸かりながら隣の三太に尋ねる。

「あの、お、俺なんかの意見聞いても…」

三太は困惑の表情でそう返す。

「出掛ける前にも言ったではないか。お主は周りを良く見ておる。それに和尚はなんだかんだで、人の上に立って来た者だ。お主の様な立場の者としてどう見えたかを正直に答えてくれれば良いのだ。」

そう重ねて頼む。


「はぁ、じゃあ…村は和尚様の仰った通りに二十戸少しだと思います。でも、あの田畑の広さじゃ食い物は足りてないはずです。きっとここより冬が長くて厳しいと思いますし…」

そう、おずおずと切り出す三太。

「ふむ。村の者を見たり話したりは?」

「最初に会った奴には和尚様が。その他の連中は遠巻きにしてたんで…でも格好はここと変わらずって感じで…」

「馬や牛の居る気配は有ったか?」

「見た限りでは…」

大分貧しいか…田畑の足りぬ分は魚で補っているのだろうな。蛋白質は足りていそうだが冬は厳しいかもしれない。

「体付きはどうであった?今にも倒れそうな程痩せて居たとか。」

「あー…いえ、そんな事は…魚なら幾らでもって、飯の時に食わせて貰ったんで多分。」

やっぱり海沿いはその点は有利だよな。金が無くても海に行って魚を獲れば生きられると歌ったのは彼の沖縄のビールの歌だっただろうか。


「当主はどう見た?」

こちらが本題だ。三太に期待しているのはむしろこちらだ。

「正直荒っぽいなと…」

まぁ、農家と漁師だからな、その辺の違いもあるだろう。

「でも、まぁ嘘を言ったりする感じじゃあ無かったと思います。」

「信用出来そうか。」

自信無さ気に言う三太にそう尋ねる。

「下に付く者から見たら…ですかね。それと他所から人が訪ねて来るのに慣れていないって言うのは本当に感じましたけど…」

裏表は無さそうだと感じたか。それだけでも大分遣り易いな。

「分かった。参考になった。これからも頼むかもしれん。」

話を聞いてそう締め括ると、三太はこの世の終わりの様な顔をした。

「ははは、そんな顔をするな。頼みにしているんだ。」

そう笑って言っても、三太は困り果てた顔のまま湯に体を深く沈めて行った。


 一晩明けて、俺は早々に切端村を訪ねる事にした。三太に聞けば川に沿って行けば道に迷う事も無さそうなので共も付けない。三太は畑仕事でも主力中の主力なのだ。

 西の川を渡ると八郎達が馬を曳いて畑の西側を耕している。ここは、現状の畑より一段高く、利用されていない場所なのだが来年以降に畑としようと予定している。だが、遊ばせて置くのは勿体無いので、今年は蕎麦と育成に時間の掛からない黍を蒔いて放置する予定だ。手間を掛ける余裕は無いが、この二種なら放って置いてもある程度の収穫が見込めるはずだ。上手く行ったら来年以降範囲を広げて育ててみようと考えている。


 狭間の近くの斜面では何人かの人間が刃物を振るっているのが見える。藤や葛の伐採を行っているのだ。葛切だな、冷やした葛切が食べたい…久しぶりに前世の食べ物を思い出した…

 小枝と相談した結果、苧の他に藤や葛といった蔓植物からも繊維を調達するべく動く事になった。これ等は苧と違い、元から飯富村でも生産されていた為に年嵩の女性陣を中心に技術が残っているのも強みだ。

 その第一段階として蔓の伐採が行われているのだが…蔓ってやつはその性質上切るのが大変に面倒で労力が必要なのだ…今も鉈で何とか蔓を切断しようと苦労する千次郎の姿が遠くに見える。

 因みに、葛は繊維を取り出すのに発酵させねばならないらしく手間が掛かるが上質な布が織れ、藤の方が丈夫な繊維となるらしい。この辺りは完全に門外漢なので女性陣に丸投げになっている。

 一方の苧はと言えば、野原で小枝が見つけた物を畑の奥の森との境辺りに植え替えただけだ。今年は刈り取らずにその場で増えるのを待つ事になっているので苧麻の繊維が手に入るのは早くても来年と言う事になる。


 それらを眺めながらそのまま西へ。西の原野を進み石切り場の手前で進路を北へ。和尚や三太が通ったであろう跡が散見される山中へ分け入り、北の海岸を目指す。

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