51・切端
===彌尖国切端村 ===
「では、早瀬の方から参られたと?」
俺は眼の前に座る、突如訪れた来訪者にそう尋ねた。
不審がる態度が隠せていないと自分でも感じる程だが、この
それでも、一応話を聞こうと思ったのはその訪問者とやらが坊主だと名乗っているらしいと報告を受けたからだ。
らしいと言うのは、ここいらは神領であるからして社はあるが寺と言う物は無いのだ。だから誰も坊主なんて者には会った事が無い。いや、神領でも彌下や早瀬の方には寺も在るとは聞いた事は有るがここいら彌尖の北海岸には無い。
そんな事を思いながら目の前の男に目を向ければ緊張した様子で座っている男は確かに頭を丸めて見た事の無い着物を着ている。
「はい、早瀬の北の端、双凷山の麓に在る飯富と言う村より参りました。尤も我等の村は山裾ですので御想像の広い平地の有る早瀬の盆地とは些か赴きが違うかもしれませぬが…」
俺の問いにそう答えるその坊主の様子は相変わらず緊張したままだ。
「して、我等に何の御用であろうか?」
いまいち要領を得ない話振りに焦れてついそう聞いてしまう。
「は、我等は塩を始とした海の物を求めて居ります。叶いますれば、何かしらとお取引頂けないかと思い罷り越した次第で御座います。」
俺の問いにそう答え低頭するその姿に悪い話では無いと一瞬思ったものの、大きな疑念が持ち上がる。
「そも、早瀬の地は彌下と共にあの憎き遠濱の奴等の支配下にあるはず。塩であれば彌下の地より運べば事足りるのではあるまいか?それが何故我等と取引等と言う話になるのか…」
そう不審気に問う俺に対してその坊主が答えた話は、俄かには信じ難い飯富と言う村の置かれている状況だった。
「成程…その話が真であれば分からぬ話ではない…しかし、真にその様な…」
余りの事にどう答えれば良いのか分からん…
「真の事なれば、嘘を吐く理由も御座いますまい。そう言えば現在、我等を束ねております鷹山祥治殿も我等の境遇をお聞きになられた時は同じ様な顔をされておりました。」
俺の様子をその男に重ねたのか困った様な顔をしながら少し笑ってそう言う。確かに嘘を吐きにこんな所まで来る必要は無いだろう。
「確かに、こんな貧しい場所に嘘を吐いてまでやって来る理由は考え付かん。それに塩だけは幾らでも有る。それを何かと換えて貰えるなら我等にとっても悪い話ではござらん。」
我等も苦しい、そんな思いもあってそう答える。
「左様で御座いますか。有り難い限りで御座います。只、最初に申し上げねばなりませんが、我等は先程も申し上げました通り山裾に暮らす者なれば米には余裕無く…」
俺の言葉を聞いて一瞬嬉しそうな表情を浮かべたのも束の間、坊主は申し訳無さそうにそう返す。
まるでこちらの言いたい事が分かっているかの様な周到さだ。しかし、貧しいと言う事はそう言う事か。米が穫れぬから貧しいのだ。
「左様か…なら、何なら出せる。道すがら見たら分かるだろうが我等も相当に貧しい。欲しいのは食い物なのだ。」
いきなり躓いた交渉に少し詰る様な口調でそう聞いてしまう。
「さすれば…先にお渡しした毛皮等はそれなりに手に入ります。他には石灰や炭が豊富なればそれもまた…また鷹山殿は米以外の穀物、粟や麦、蕎麦であればなるべくご希望に添える様に致すと申しておりますれば…」
俺が気分を害したと感じたのか坊主はそう答えて再び低頭した。
「いや、すまぬ。某も人が訪ねて来て、ましてや交渉事を行う等と言う事は始めて故…」
その姿に申し訳無さを感じそう言うと、
「では…」
少し期待をした表情でこちらを見上げる。
「とは言えどの程度の比率で交換するのか等は詰めねばなるまい。」
俺は照れ隠しに少しぶっきら棒にそう答え。すると、
「その辺りに関しては先に申しました鷹山殿が出向いて直接お話したいと申しております。お許し頂けるのでしたら拙僧が戻りました後に改めて伺いたいと…」
「それは、構わぬが…何故、その者が最初から参られぬ?」
予想しなかった答えにそう聞き返す。
「はぁ、道無き所より見知らぬ武装した者が突然訪ねて来ては相応に警戒されるだろうと。それよりは最初は僧侶の拙僧の方が宜しかろうとの考えの様で御座います。」
ははぁ…何度目であろうか、成程と思う。
「ま、まぁ、そう言う事ならこちらは何時来て貰っても構わんと伝えて欲しい。」
「左様で御座いますか。それでは帰り次第、そう伝えまする。」
俺の答えに坊主はそう答えた。
「それと…」
取引についての話が一段落した所で坊主がそう切り出す。
「他に何か?」
「鷹山殿が彌尖大社が現在どの様な様子であるかご存知ならば教えて頂きたいと。」
思わず顔を顰める。それは出来れば聞かれたく無い内容だった…
川に沿って山の方へ帰って行く坊主とお付の小男を館の在る丘の上から見送りながらも考える。
ここいら彌尖国の北海岸は浜が少なく、それに伴って住む人も少ない。そして貧しい。それは大社の力の衰えと共に更に顕著になったと聞く。
大社が栄えていた往時には、品々を大社に収めに行く時に他の地域との交流もそれなりに有り、彼等との取引で手に入る様々な物のお陰でそれなりの暮らしだったらしい。
だが、俺が物心付いた時には今の状態だった。近隣の村はもっと酷い。ここは北海岸では一番平地が広いのだ。気が付けば庇護を求めて一つ、また一つと小さな村は我等の下に付いた。とは言え、我等とて食うので精一杯。とても助けてやれる様な余裕は無いのだ。
そんな中、唐突にやって来た飯富と言う村の者。南の連中が山を越えて来る事自体が前代未聞だろう。これが何を意味するのか…これから何か変わって行くのだろうか。俺は恐れと期待の入り混じった気分で木の間に消えて行った二人の影をいつまでも追っていた。
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