50・それぞれの春

===鷹山祥智===


 一冬越えて、二度目となる曽杜湊への旅路を歩く。返坂関を越えて下って来た代田盆地では、田はまだ水を湛えただけの姿で日の光を受けてキラキラと輝いている。時期的に苗が育つには至っていないのだろう。はたまた、ここいらも飯富村と同じで直播なのだろうか。

 前回通った時はこの代田盆地までは飯富村の男をほとんど総出で引き連れて行ったものだが、今回は嘉助と満助の兄弟の二人だけを連れている。

 本当は今回の荷物量を考えれば俺一人で十分事足りるのだが、兄者は外の世界を見せる為と言って毎回供を付けている。それは自分の経験を以ってして間違いではないだろうと思うものの、もっと余裕が出てからするべきではないかと思ったりするのも確かだ。


 しかし、途中の返坂関では兄者に持たされた手土産の炭が殊の外喜ばれた。聞けば山の上にあるあの場所では朝晩の冷え込みは夏場でもそれなりにあるらしく、夏でも暖を取る為に火を熾す事が間々有るらしい。良く考えたらあんな吹きっ晒しの山の上なら当然なのかもしれない。

 兄者は邪魔にはなるまい等と言って俺に持たせたが、一体どこまで分かっていて持たせたのだろうか…旅の中で自分もそれなりに色々な事に考えが至る様になったと思っているが、あの人の考える事は未だに理解の及ばない時がある。それが頼もしくも有り、擬しくも有る。出がけに持たされた手紙にも一体どんな事が書かれていることやら…


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===柳泉===

 飯富村から出立して二日。初日に石切り場の手前で佐吉達と別れて道の無い北へ向かった。

 低い山の鞍部を越えて北へ流れる川に出ると両側を山に挟まれ、右手にはいつもとは違った山容を見せる双凷山を眺めながら、大きな石が転がる川原をひたすらに下って来た。

 彼の御仁が村を訪れて以降、村は見違える程活気に溢れ始めた。その彼に頼まれた故、一も二も無く承諾したが、然りとて村を出る事など久しくなかったこの身には、道無き道を二日も歩くのは中々堪えるものだ。


 そんな事を思いながら躓かない様に足元の川原に視線を落として歩いていると、

「和尚様!」

少し前を行く、三太が少し弾んだ声を上げる。彼と時を同じくして村の者となった小柄な男だ。

 すっと村に溶け込めた八郎や千次郎と違い、最初は少々皆と壁が有った様だが、豪農の下で小作をしていただけの事はあり、田畑の事で様々役に立つ姿を見せ、祥治殿が信頼する姿を見せる内に大分打ち解けて来た様に思える。

 その声に従い視線を上げると、そこには山の間から鈍色に輝く海が顔を覗かせていた。あの距離なら上手く進めば夕方には、駄目でも明日の朝の内には海まで辿り着けるだろう。


 目的とする場所へ到達する事に目処が立った一方で、否が応にも相対的に緊張感が増して来る。もし、伝え聞いた通りあの辺りに村が今もあるのだとすれば、拙僧はそこで交渉をしなければならないのだ。

 それは村の者を取り纏める立場に在りながら、今まで一度も縁が無かった仕事でもある。

 僧としての修行も満足に行えず。只、流される様にあの村で生きてきた拙僧にとってそれは途轍も無く荷が重い。

 一度、そう感じてしまうと遠くに輝く鈍色の海がとても恐ろしく感じられ、目的地に辿り着けそうだと軽やかになった様に感じた足取りが元にも増して重く感じられる…


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===千次郎===

 裏山の斜面をよじ登りながら周囲を見回す。智様と和尚様達が西と東に出掛けたと思ったら、大将は今度は俺達に唐突に山に登る様に言ってきた。

 なんでも椎茸を探せと言う事らしい。確かに小さな茸一つで途方も無い値が着くとは聞いた事があるが、人里の近くでは早々見つかる物ではないと聞いていた。それでも良く考えればこの村は他の村からぽつんと離れた場所に位置しているし、裏山と言うのは見上げる程高く森も深い、人里離れたと言えなくもないかもしれない。


 どんな場所で見つかり易いかは予め大将から聞いているのだが、俺は周囲の木や土に有用な物が無いかどうかも確認して来いと言われてしまったので目に入る物全てに気にしなければならない様な有様だ。

「はぁ…はぁ…」

遥か上の方を寛太が軽々と登って行くのが見える。流石、猛様に付いてしょっちゅう狩に行っているだけの事はある。

 他の人達も少なくとも皆俺より上を進んでいる。女の人も含めてだ。因みに茂平さんは真っ先に留守番を買って出た。いつもはのんびりとしている人なのに危険を察知する事にはすごい反応の早さを見せる物だ…


「もぅ、こんな下で息切らしちゃって…情けない!」

立ち止まって腰を伸ばしているとすぐ上から声を掛けられる。

 目を向けると案の定、豊だった。俺とは違って、この村で生まれた豊だけれど、年の近い唯一の一人身の女の子だ。なんだかんだと最近では良く話しをする様になったけれど、話をするのは大概はこうやって叱られる時だ…

「いつもは大将に言われて作業小屋に篭ってばっかりだからね…」

そう、自嘲気味に答えると、

「ほら、頑張って頑張って。」

俺の所まで降りて来た豊はそう言って俺の背中を押し始めた。

「分かった分かった、登るから押さないでよ!」

豊にそう答えながら僕は少しだけ軽くなった足で山を登り始めた。


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