49・もう一つの隣人
「じゃあ行って参ります。」
そう言って祥智が門を潜って出掛けて行く。
田植えも終えたので、ほとんど使い切ってしまった塩を買いに曽杜湊まで行って貰うのだ。
前回は宗太郎を供にしたが、今回は嘉助と満助の兄弟を行かせる事にした。
満助は牝馬の一頭、栗の手綱を曳いている。道中で馬の世話をさせるにはうってつけの人選だし、八郎の居ない場所で一人で責任を負ってみるのも良い経験だろう。
まぁ、いざとなれば祥智も居るのでそう困った事にはならないはずだ。
本当は女衆も行かせてやりたいのだが、この時代に中々それは困難な話だ。もっと近い距離なら行かせてやれたのだろうが…
栗の背には炭俵をいくつか背負わせている。これは売り物ではなく、返坂の関の才田殿への手土産だ。
昨秋、関を越える時以来、世話になりっ放し、なんなら冬を越せたのは彼の御仁のお陰まである。才田殿には末永く仲良くして頂きたいのだが…我が村としては土産に持たせられる様な物は、冬場延々焼いていたせいで人数の割りに妙に潤沢な在庫を抱えた炭くらいしかないのだ。
まぁ、夏場だって煮炊きはするのだし、麓から運ぶ手間が省けるのだから要らんとは言われないだろう。
では、湊まで行って何を売るのかと言えば、これはもう毛皮しかない訳なのだが、これはこれで問題が有る。
その問題とは、冬場に手に入った毛皮の多くは皆の追加の寝具や見張り用の外套として使ってしまったし、別件でもこれから必要になる予定なのだ。
その為に売り物に回せる毛皮は殊の外少なく、今回の旅は赤字の可能性が高い。
こんな時は椎茸だ…現状、栽培用に丸太を乾燥させているが生産にはまだまだ年単位で時間が掛かる。
しかし、雪深いこの地でもそろそろ見つかっても良いのではなかろうか?ここは総出で山狩をして天然物を探す事にしよう。
尤も、一番の椎茸狩りの名人はたった今旅に出てしまったのだが…
「それでは拙僧等も行って参りますぞ。」
祥智達を見送っていると、柳泉和尚がそう言った。横には荷物を担いだ三太が控えている。
話は風呂が完成した日に遡る。皆から遅れて日が暮れてから風呂に浸かった俺は、村の北を守るように聳え立つ双凷山の影を眺めていて気が付いた事があったのだ。
’この山々の向こうには海が広がっているはずだ。’
双凷山は返坂関の北に広がる北辰山々の西の端に当たる。これを東に回り込んで行くと曽杜湊の在る辰野平野沿いの海に行き当たる。
当然ここは沓前国であるし、かなり遠距離の行程になってしまう。
対して、西回りはどうか。双凷山は山々の西の端に当たるので、海までの距離は近くなるのではないかと思い付いたのだ。
北辰の山々の北側の山裾は海岸線まで達し、急激に海に落ち込んでいるらしい。急峻な海岸線は人を寄せ付けず、住む者も無いと伝わっている。
しかし、それより西は彌尖の低山地帯に面した海岸線だ。集落が在れば塩を始とした海産物を手近に入手する事が出来るかもしれない。
そう思って柳泉和尚に尋ねてみた所、
「確かに往事は北の海沿いには幾つか小さな集落が点在していると伝え聞いておりますな。」
そんな答えが返って来たのだ。
「ですが、今となってはどうなっている事か。それに、当時は彼等は船で西の岬を回って大社へ向かっていて、この辺りの村とは直接の関わりは無かったと聞いております。」
そう続いた内容は期待したものではなかったが菊婆も同じ事を言ったので間違いないのだろう。
そこで柳泉和尚に老体に鞭打って使者に立って貰う事にした。
なぜ和尚なのかと言えば、突然見知らぬ者が訪ねて来たとして、一番命を奪われない可能性が高いのが坊主だからだ。
勿論、絶対に安全とは言い切れないが、武士や農民の様な見た目の者だと流れ者と判断される可能性が高いので交渉に着く以前の問題となってしまう。
そう柳泉和尚に相談した所、村の役に立つならと二つ返事で快諾されてしまったので今回の運びとなったのだ。
とは言え、一人で行かせる訳にはいかない。誰を供に付けるかと考えたときに候補の筆頭になるのが祥智だ。
だが、湊へ行かせる祥智は外さざるを得ず、流石に俺が行く訳にもいかない。
次いで旅慣れているのは祥猛と八郎だが、二人共大柄でちと強面なのだ。こちらにその気が無くとも、相手に余計な警戒を抱かせるのは避けたい。
そこで選んだのが三太だった。小柄で腰の低い三太は、その生まれから人の下に付く事に慣れているし、この男は周囲の人間の表情を伺いながら上手く間を取り持つ事も出来る。
表情を伺うと言う事は周囲に気を配っている証拠であろうし、観察眼も優れているのだろう。
最初に頼んだ時はとても務まらないと驚きと共に固辞されてしまったのだが、三太に期待している点を丁寧に説明して繰り返し頼み込むと最後には承諾してくれると共に、「弟をどうかお願いします。」と逆に頭を下げられてしまった。固辞していた最大の原因は口の利けない弟を一人残して行く事への不安だったのだろう。
それから、三太には毛皮を持たせた。貴重な現金収入源だが、見ず知らずで突然押し掛けるのだ。流石にこちらは手土産が炭と言う訳には行かないだろうと思ったのだ。
こうして、二人は祥智達とは真逆の方向に向かって旅に出た。進む先は道も無い、正しい経路も不明で、そも陸路で辿り着けるかも分からない土地だ。
途中の石切場までは石灰を切り出しに行く八郎と佐吉と同道し、そこからは二人北に向かって進むことになる。どうか無事に戻って来てくれるのを祈るしかない。
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