47・開湯

「祥猛良いぞ!やってくれ!」

完成した風呂場から、水路の続く北の斜面の上に居る祥猛に呼びかける。皆、湯船の周りに集まって期待に満ちた顔をしている。

 手を上げて了解の意を表した祥猛はそのまま斜面の奥に消えて行く。暫く待つと斜面に設えた水路の中を勢い良くお湯が流れて来る。源泉の直ぐ下流に設置した水門が開けられたのだ。

「おぉ!」「来た来た!」

数日前にも試しに水路に水を流す実験は行ったはずだが歓声が上がる。


 直ぐにその流れは風呂場の西側の外に達し、二股に分かれた水路の片方、湯船に繋がる取り入れ口から注ぎ込んで来る。因みに分岐するもう一方は風呂場の西側をそのまま迂回して排水路に繋がっている。湯船の水を抜いて掃除や補修を行う時に使う他、炊事や洗濯に使えないかと検討している。

 徐々に溜まって行くお湯を見ながら今度は東の川原に居る祥智に呼び掛ける。

「祥智もやってくれ!」

こちらは川に繋がる水門から止水板を上げる所も見通せる。距離も遥かに近いので直ぐに水が風呂場の東側まで到達する。但し、こちらは湯船に垂れ流しだと湯音調節の妨げになるので今は取り入れ口は止水板で閉じられそのまま風呂場の東側を迂回して全て排水路に流れ落ちて行く。


「溜まって来た。」

徐々に上がる水位を皆が楽しそうに眺めている。一応湯船も水を少量張って水漏れが無いかは確認したので大丈夫なはずだが、良く考えれば壁面からの漏水も確認しなければいけなかった…きっと大丈夫なはず…

「春、チビ達が湯に落ちぬ様に気をつけてくれよ。恐らくまだ落ちたら火傷する位の温度はあるぞ。」

湯船の縁から中を興味深そうに覗き込む糸と富丸が危なっかしいので春にそう注意する。

「あ、は、はい!」

自身もわくわくしながら水位の上昇を眺めていた春が慌てて二人を両脇に抱き寄せる。


 水位が半分程に達した所で指先で水温を確認してみる。触れなくはないが大分熱い。多分60℃とかそのくらいだろうか。前世の記憶を探りながらそんな事を思う。そろそろ水を入れないと拙そうだ。

「水を入れよう、誰か開けてくれ。」

湯船の東側を流れる水の水路の止水板を一番近くに居た弥彦が全て外す。ちなみにこれは上下三枚に分割されていて嵌める板の数で流量を調整出来る様になっている。


 二つの水門から湯と水が流れ込み始めた為に一気に水位が上がって行く。

「あ、皆で竹竿で湯を掻き混ぜてくれ。こんな感じで湯と水を混ぜるんだ。」

俺は皆が立っている洗い場の後ろに立て掛けてある、竹竿の先に輪切りにした竹の短い筒を幾つか括り付けた物を手にして湯を掻き混ぜる。

 前世の婆ちゃんの家に有った、プラスチック製の持ち手の先に穴が幾つか開いたプラスチックの板が付いた風呂を掻き混ぜる棒が有ったのでそれを真似て作ってみたのだ。

 最初は草津温泉で見た湯揉みに使う板の様な物を考えたのだが、なんか効率悪そうだし板ももったいないしで見送った。

 あちこちでザブザブと湯が掻き混ぜられる。これだけ空気と攪拌されてしまうと想定より水温の低下が大きそうだ…

「あぁ!とみも!とみも!」

自分もやりたがる富丸の声を背に水の流量を絞るべく水門に向かう。


「ふむ、良いだろう。」

水位も湯船の縁まで達して溢れた湯が排水口から排水路に落ちて行く。遂に夢の掛け流し露天風呂の完成だ。

「わぁ!」

気の早い者は早くも着物を脱ごうと動き始める。

「待て待て、前も言ったが湯船に入る前に必ず洗い場で体の汚れを落とすのだぞ。」

「はぁい!」

気も漫ろな返事をしながら皆が着物を脱いでいる。

 女衆は竹垣の向こうに回って行く。なんと時代を先取りした男女別の湯なのだ。

 春や豊と言った嫁入り前の娘達は、流石に沢山の男達の至近距離で裸になるのは恥ずかしいとの事だったので目隠しを付けた。勿論水中部分は開いているのだが。

 とは言え、周囲は囲いも何もないので遠めには見たい放題なのだが、それ位なら良いとの事だった。

 だが、寒風が吹く季節には頭だけ凍るかもしれないから徐々に施設を充実させよう。徐々にが大切なのだ、この半年で俺もちゃんと学んだ。


「あれ、兄者、入らないのか?」

風呂に背を向けて斜面を下りだした俺を見て祥猛が声を掛けて来る。

「あぁ、御坊も楽しみにしていたからな。一人仲間外れは寂しかろう。俺は何度も入った事がある故、後で良い。」


 門にやって来ると午後の見張りをしている柳泉に話し掛ける。

「御坊。遂に湯が溜まりました故、試して下され。見張りは俺が代わりましょう。」

「祥治殿、宜しいのですか?」

俺の提案に目を丸くする柳泉。

「えぇ、俺は初めてではありませんからな。御坊も楽しみにしていたではありませんか。折角の機会ですから皆と一緒に楽しんでみて下され。」

「そうですか?それではお言葉に甘えて…」

そう重ねて言うと、申し訳無さそうに答える柳泉だが、裏腹に足取りも軽く小走りに掛けて行った。


 その後遠くの山野を眺めながら見張りをしていると風呂から上がった者が入れ代わり立ち代わりやって来ては楽しそうに感想を話して行った。

 自分達の仕事が自分達に利益を齎していくのを体感出来るのは次の仕事への活力にも繋がるだろう。

 だが、彼等が風呂から上がって着るのは直前に脱いだ垢染みた着物だ。温度の高い温泉の湯で洗えば汚れも良く落ちるだろうがそもそも着物を洗ってしまうと、乾くまでは着る物が無いのだ…尤も、これは飯富が特別貧しいのではなく、全国的にそんな感じなのだが…

 食料問題の改善は最優先だが衣料問題に取り掛かろう。小枝が苧の生産をしたいと言っていたし、それ以外の繊維についても相談してみるか。


 夜、夕餉を終えてから俺も漸く湯に浸かる。生憎の曇り空で月も星も見えぬが、見上げれば村の北に聳える双凷山そうかいのやまの影が一層黒く沈んで見える。そう言えば…そこへ、

「なんだ、お前達も又来たのか。」

「へへ、寝る前にちょっと温まろうって話になったんですよ。湯ばっかりはいくら入っても減りませんからね。」

何人かの連中が寝る前に風呂に入りに来たようだ。

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