46・爆誕の瞬間

「わぁ、おさかな入ってるよ♪」

寛太が引き上げた早瀬川に仕掛けた筌の中を覗き込んだ糸が歓声を上げる。

「とみも、とみも!」

最近歩くのも喋るのも少しずつ上手になって来た最年少の富丸が糸にしがみついてそう強請る。


 今日は、ここ暫く田起こしだの風呂作りだの重労働が続いた事もあって漁場調査と言う名目で村を上げて崖下の早瀬川の各所に魚釣りに出掛けている。

 大人達はこの事が決まって以来、ここ数日で銘々が拵えた釣竿と魚籠を持ち、各自指示された持ち場で釣り糸を垂れている。今日ばかりは狩猟班も工作班も運搬班も仕事を放り出して参加しているし、子供達はここ数日で大人に手伝って貰いながら作った筌を昨日から楽しげに仕掛けて回った。


 今いる場所は飯富より上流の流れの速い場所で、これ以外にも村の門からやや下った辺りの少し流れが緩やかになった辺りや、更に下流の芦原の周辺の流れの淀んだ辺りに釣り人と罠を配置している。

「ひぃっ!」

恐る恐る魚籠に移された魚に指を伸ばし、慌てて引っ込める富丸、その様子を横で見ていた糸は、

「にぃに取って。」

寛太に上目遣いでそう頼んでいる。ちょっと将来が不安である。

「はいはい…うわっ!?」

そう言って無造作に魚籠に手を突っ込んだ寛太が驚いた声を上げる。

「なんだ寛太。みっともない。」

笑ってそう指摘すると、

「だって大将、なんか変な奴が入ってるんだ。」

寛太は口を尖らせてそんな事を言う。

「どれ?おぉ、鰍じゃないか!」

覗いた魚籠に入っていたのは三寸程の数匹の鰍であった。鯊に似た姿の小型の魚で、その見た目に反して大変に美味な魚として知られているのだが、初めて目にした子供には少々恐ろしく見えるかもしれない。

「こいつはちょっと見た目は恐ろしいかもしれんが汁物に入れると旨いんだ。」

「へー…」

そう教えてやると寛太と糸は目を丸くして聞いているが、富丸にはまだ難しかった様でキョトンとして見上げている。


「きゃあっ!」

突然の悲鳴にそちらを振り返ると大きく撓った竹製の釣竿と、その勢いに完全に引っ張られてしまっている春の姿が在った。いつもは子供達の面倒を見るばかりの春だが、今回は自分から竿を作って自分も釣りをしたいと言い出したのだ。

「こいつは大物か!?春、頑張れ、竿を立てるんだ!」

慌てて駆け寄って春の体を支えてからそう助言する。他の者も自分の竿を放り出して春の周りに集まってやんややんやと思い思いに声を掛ける。

「…んぎぃ…」

何やら年頃の娘には相応しくない声を漏らしながら終に魚が川面から引き上げる。

「おぉ、でかいぞ!」

「春やるな。」

そんな声が彼方此方から上がる。

「こりゃ十寸近くはあるな、岩魚かな?」

「はぁ、やったぁ…」

そんな俺の言葉なんて聞こえていない様子で実に満足そうな顔を見せる春。これはとんでもない者を目覚めさせてしまったかもしれない。爆誕の瞬間である。


 全ての筌を引き上げたので釣り糸を垂らしている連中を残して、次の場所へ子供達を連れて移動する。

「かかぁ♪」

左腕に抱きかかえている富丸が嬉しそうに母親の初を呼ぶ。

「あら富丸。お帰り。どうだった?」

初がそう答えると、

「みてえ♪」

そう言って寛太が下げている魚籠を指差した。

 村のほぼ真下に当たるこの場所は川の勾配が緩くなり、水深が増す場所で、当然流れも緩くなる。村からも近いし漁場として一番期待している場所だ。

 菊婆や柳泉和尚に聞くと、以前はこの辺りで魚を獲る事も有ったらしいのだが襲撃を受けるにつれ村の外に出る事を避ける様になり、行われなくなってしまったらしい。

「大将、すごい重い!」

早速、筌を引き上げている寛太も嬉しそうにそんな事を言う。やはり此処は漁場として有望そうだ。


 最後にやって来たのは冬の始めに萱刈りに来た葦原だ。ここは崖がやや北に向かって凹んでおり丁度田畑の西にある狭間の下に当たる場所だ。川と崖との距離が他より広くなっていて、そこが葦の生える沼地の様になっている。こう言う場所も大物が居そうだが泥臭いかもしれないな。

 そんな事を思いながら近付いて行くと何やら場の空気がピリピリしている。

「あ、糞っ!また霧丸の所に!たまたま良く釣れる場所に当たっただけのくせして…」

「見苦しいぞ松吉、釣れる場所を見分けるのも腕の内だぞ。」

いつの間にやら釣り馬鹿選手権が勃発していた様だ…誰だ、この二人を同じ場所へ行かせたのは?

 そんな馬鹿二人は放って置いて筌を引き上げながら他の者の所を回る。

「宗太郎、どうだ?」

「全然です。智様と八郎さんばっかり釣れてます。」

宗太郎にそう聞くと、少し詰まらなそうにそんな事を言う。

「春は早々にこんなにでかいのを釣り上げていたぞ。」

そんな宗太郎に俺は手振りを交えて最大の宿敵の釣果を教えてやる。悔しそうな顔したまま宗太郎は再び水面に顔を向けた。


 村の門で柳泉和尚が叩いた鐘に因って報せられた昼の鐘で釣り大会は終了する。三々五々帰って来た我等は魚をお堂の厨に纏めると今度は風呂に向かう。

「それではこれより、飯富村の風呂開きを行う。」

そして、ズラリと揃った村の衆を前に俺は高らかにそう宣言したのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る