41・いや、まだ…
三箇所の柵を点検し、問題が無い事を確認する。冬の間は出入りする事も無いから固定したままになっていたが問題は無い様だ。一応崖の壁面も上れそうな場所が無いか再確認する。と、そこに、
「大将!」
坂の上から声が掛かる。そこには手綱を曳いて息を切らせた佐吉の姿が。
「早いな!」
俺は坂を駆け上がりながらそう言う。
「煙が見えまして、八郎殿と戻った方が良いだろうと。そうしたら宗太郎が走って来たもんで。」
何かいつもと違う事が有ったらすぐに知らせに戻れと命じておいた甲斐があった。
「良く戻ってくれた。八郎はどうした?」
「蒼風で平林の様子を覗いて戻ると言って。」
物見はどちらにしても出すつもりだったから良いか。
八郎は馬借として馬を曳いてあちこち回って居た。身を守る為に一人で判断しなければならない事も有ったのだろう。こうして自分なりに行動する事が有る。それが今回は良い方に出た様だ。
それに八郎は馬借故に馬に乗るのも上手い。荷運びだから鞍を着けていないが、それに跨がる事も出来る。
「そうか、宗太郎はどうした?」
「幸を呼んで後から来ます。」
「そうか、幸の事までは気が回らなかった。すまん、助かる。」
幸は西の草地の奥で窯の番をしている。村一番の力持ちである彼女が居ないのは問題だ。やはり一人で指示を出すと漏れが出るか…もう少し細かく詰めておいた方が良いかもしれない。
「良し、馬は預かる。二人と合流してお堂に行け。」
「分かりました。」
佐吉も俺に手綱を渡すと駆け戻って行く。
「あ!満助の準備を急かしてここに急いで来る様言ってくれ!!」
「分かりましたー!!」
思い付いた事も追加で命じておく。
昨年の秋に賊から奪った二頭の牝馬、栗毛の栗と鹿毛の鹿の子の手綱を持って皆を待つ。因みに間違っても俺の命名では無い。
厩番を買って出た満助が名前を付けたいと言うので好きにさせたらこうなった…本人曰く、分かり易くて良いとの言だが、栗毛の馬がもう一頭増えたらどうするのだろうかと思う。
しかし、流石に鹿毛の方は馬に鹿と名付けるのはどうかと本人も思ったらしく鹿の子としたらしい。鹿の子でも十分にあれだし、当然、鹿の子模様も無い。
「大将!!」
と、その本人が来た様だ。佐吉からの話を受けてすぐに走って来たのだろう。竹槍を担いでいる以外は普段通りの格好だ。
それもそのはずで、この村にある武具は我等三人の分を除けば秋に分捕った槍が三本と、極めて状態の悪い腹巻が三つ。そして、これまた状態の悪い鉢金が一つと言った按配なのだ。
これ等は日頃の調練で槍捌きの上手い物に優先して装備させる事になっている。つまり、殆どの物が竹槍を担いで投石紐を持てば準備が終わるのである。それでも全員一度お堂に集合させて用意をさせるのは連帯感と安心感が高まる事を期待しての事である。
因みに、槍は全部で八本あったのだが竹槍でも大差無いと判断された実用に耐えられなさそうな物は鋳潰して釘にしてしまった。
「来たか。二頭に鞍を頼む。途中で八郎とすれ違ったら蒼風もだ。」
「分かりました。」
俺の命を聞いて満助が手綱を受け取ると不慣れながらも裸馬に跨り馬小屋代わりにしている家に向けてソロリと駆けて行った。
我等が来た時には馬には乗れなかった満助だが、八郎の指導の下、冬の間に世話のついでに乗馬の調練もしたらしくなんとか馬を操っている。余裕が出たら宗太郎にもやらせた方が良いな。
直ぐに皆が緊張した面持ちでお堂から下りて来る。利吉と四太は腹巻を着け槍を担いでいる。槍の扱いに因って決めたと言うが現実的には得手不得手よりもそもそも長い槍を振れる体格かどうかと言う点でこの二人は選ばれている…
「祥猛は山から返事が有ったから直に下りてくるはずです。」
皆を従えた祥智が俺の横に来てそう言う。
「そうか、一安心だな。男衆は門を閉めて土塁の上の柵を点検してくれ。女衆は車を出してくれ。」
そう指示を与えている所に八郎が駆けて来て、
「大将、賊です!!」
一言そう言った。俄かに皆の緊張感が高まる。
「そうか、良く知らせてくれた。どんな様子だった?数は分かるか?こちらに向かっているのか?」
矢継ぎ早に質問する。
「すいません数までは…只、村の連中も警戒して居たのか守りに着くのが早かったみたいで固まって抵抗してました。こっちには今の所向かってないです。」
聞き耳を立てていた皆の緊張が少し和らぐ。
しかし、抵抗が早かったと言う事は何か兆候が有ったのだろうか?盆地全体が昨年は不作だった?それならば賊も食料不足だろう。平林で抵抗を受ければこちらに狙いを移すかもしれない。
「いや、十分だ。良くやってくれた。」
そう言って八郎を労うと、
「さぁ、皆、仕事を始めてくれ!」
聞き耳を立てて手がすっかり止まっている皆を急かす。
「八郎さん、八郎さんのだ。」
「おぉ、すまない。」
俺の横では八郎が利吉から槍と腹巻を受け取っている。八郎は馬借だった。馬借は一揆等では先頭に立って争う事も多い職業なので荒事に慣れている。戦では前衛の主力となる人物だ。
「祥智、馬を使って狭間まで物見に出てくれ。馬小屋にいる満助も連れて行け。」
「分かりました。」
「八郎、俺は一度お堂に戻る。ここを頼む。」
そう言い置くと祥智と二人駆け出した。
お堂の丘を駆け上って行くと菊婆と子供達が竈で火を熾して居た。
「菊婆、どうしたのだ?」
俺がそう聞くと、
「ひょひょひょ、戦の後は腹が減るでしょうから今から飯を炊いて置こうと思いましてな。今日は戦勝祝いで米を炊くとしますかね。」
「「わぁ♪」」
それを聞いた寛太と糸が歓声を上げる。
「いや…まだ戦と決まった訳じゃないんだが…」
「いえいえ、戦ですよ。この村はついでの様な物ですからな。」
そう言い切って菊婆は竈に戻って行った。
「寛太。」
米と聞いて一瞬顔を輝かせたが終始何か言いた気な寛太に声を掛ける。
「はい…」
「皆を頼むぞ。我等も必死に食い止めるが、一人二人擦り抜けて来る者がいるやもしれん。その時はお前の腕が頼りだぞ。」
寛太を戦に出したくないのは状況を鑑みれば只の俺の我侭かもしれない。だが、それでも何とかそこは守りたい一線なのだ。
「わ、分かった…」
頼りにされて嬉しそうな、それでも連れて行って貰えなくて悔しそうな、そんな表情をして寛太はそう答える。
「春、子供達を頼むぞ。糸も良い子に待っててくれよ。」
そう声を掛けてから具足を身に着ける。
あ…しまった…
「春、すまん。背中の紐を結んでくれぬか…」
腹巻の背板の紐は自分では結べないんだった…
「祥治殿!」
春に背中の紐を結んで貰っていると裏手から柳泉が走って来る。
「御坊、戻って来ましたか?」
「はい、もう見える所まで。」
良し、これで何か有っても間に合うな。
「兄者!」
そんな話が終わる前に祥猛と弥彦が走って来る。
「急ぎ支度を。まぁ、杞憂かもしれんが。」
そんな希望的観測を述べると、
「いや、戦だな。」
「いや…まだ戦と決まった訳じゃないんだが…」
「戦だ。」
鮸膠も無くそうそう言われる。
村一番の年寄りと野生の勘の持ち主にそう断言されてはもう仕方無い…戦なのだろう…
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