36・失敗?いえ、ギリギリセーフです

「……兄者?」

不味い不味い不味い!

何でも無い様な顔を装いながら、俺は必死に状況を整理する。

 正月を過ぎてそろそろ一月経とうとしており、根雪が足首の深さも越えようかと言う頃、東の川に作ってきた堰は河原の上に位置する左右の堤体部分は完成した。そして、いよいよ中央の部分にブロックを積み上げ始めた。

 一尺(約30cm)程の高さにブロックを積み上げては、上流側に石を入れて川底の高さも上げる作業を繰り返したところ、二尺程の高さに達した所で水の流れが消えたのだ……


「兄者……失敗したなら早めに認めないと。」

祥智の失礼な発言は聞き流して必死に考える。

 これはつまり、小石の間に水が染み込んで地表に出なくなったって事だろ?要するに人工的に扇状地の扇頂の部分の様な地形を作り出して水無川を生んでしまったと言う事だ。

 そもそも、ここは谷からの出口で極小さな扇状地の扇頂と言って良い場所であり、俺は間抜けにもそれを更に補強してしまったわけだ。

 それを支持するかの様に、少し下流からは少しずつ水が染み出しており、崖の手前では水量が大分回復している。

 やはり、横着をせずに一度水の流れを迂回させ、川底の石の下にあるであろう不透水層自体を持ち上げねばならなかったんだろう。または、川底を少し上流まで三和土で固めるとかだろうか。しかし、今更そんな手直しをする時間は無い……


 現状の川底の下はどうなっているだろうか。当然、伏流水となった水は堰の壁で堰き止められているはずだ。そして堰き止められた水は徐々に溜まって行くのではないか?

 勿論、壁の下を回り込む水もあるだろうが、それはそもそも存在していたはず。ならば時間が経てば或いは…

「利吉、鍬を貸してくれ。」

近くで不安そうな顔でこちらを伺う利吉から石を均すのに使っていた鍬を受け取り、水の無くなった川底の石を退けて行く。

「うん、やっぱりな。皆、見てくれ。」

皆が近寄って来て俺が掘った場所を覗き込む。

「水がある。」

誰かがそう呟く。その言葉の通り、小石の隙間に薄っすらと水が見えていた。

「そう、壁で堰き止められた水が地面の下で少しずつ溜まっておるのよ。暫く経てばまた水が顔を出すはずだ。」

「はぁー、さすが大将。何でもお見通しですな。」

三太がそうちょっと大袈裟に持ち上げてくれる。それを聞いた他の者も感心したように俺を見た。ギリギリセーフです…


 危なかった…三太が大袈裟に持ち上げてくれて助かった。意識してはいないのだろうが、三太はあぁして上の人間の評判を下げない様な行動をする傾向がある。小作として人の顔色を伺う生き方をして来ざるを得なかったからだろうか。だが、機微に鋭いのは生まれ持った物かもしれない。

 しかし、状況は理解出来たが良い状況とは言えない。このまま予定水位まで水が溜まるかは不透明だし、そもそも堰提はそんな大量の水が溜まることを想定していない。まぁ、それ以前に構造計算やら、強度計算の知識なんて持ち合わせていないのだが…

 つまり何が言いたいのかと言うと、堰が機能しても早晩に決壊する可能性すら低くは無いのだ!

 どう考えても、そんな事を偉そうに言っている場合ではない…取り敢えず作業は一度中断して様子を見る事にしよう。

「皆、ここの作業はここで一度中断して水が溜まるのを待つ事にする。これからは湯の方の堰に取り掛かる故、道具を纏めて移動の準備をしてくれ。」

そう皆に告げた。


「兄者、向こうも水が消えるなんて事は無かろうな?」

祥猛が移動の途中に誂いを含んだ調子で聞いて来る。

「向こうは下と違ってそれ程高さを上げないし、何より川底が土だ。問題は出ないはずだ。」

俺は憮然とした表情でそう返す。

「大将はやっぱり凄い、何でもお見通しだ。」

それをすぐ後ろで聞いていた宗太郎が感動の面持ちでそんな事を言う。余りに人手が足りないのでチビっ子班から止む無く引っこ抜いたのだ。

「いやいや、さっきもあの感じはかなり焦っていたぞ。」

得意気に後を向いて、少年の夢と俺の信頼を崩しに掛かる祥猛の脛を蹴り飛ばす。

「痛ってぇ!」

そのまま、やいのやいの言いながら源泉に向かう。威厳有る指導者への道は果てしなく遠い…


 源泉から十間程下った辺りで作業を始める。ここは稼ぐ高さは一尺程だし流量も少ない、何より流れているのが熱湯で危険なので全体を予め作ったブロックを積んで作る事にしている。

 また、断腸の思いではあるが、安全の為に水辺で作業する人間用に貴重な交易品の革を使って長靴を用意した。工作班が縫い目の止水に苦労しながら拵えた品だ。

「型枠を作る者と、堤を築く者に分けて、人を入れ替えながら。堤は縄張りの幅と高さを版築でやってくれ。」

源泉から堤まではほぼ水平にして、両岸には堤を築く事にしている。今の内にU字溝も運び上げておきたい所だ。


「祥智、少し頼む。」

そう言い置いて俺は川を下る。湯の流れる川沿いは雪が解けているが他の場所はもうまもなく作業が出来なくなるだろう。皆も例年正月を過ぎた頃には雪が増えると言っている。

 雪に閉ざされている間はどうするべきか。流石に土木工事は無理だろう。天気が良ければ石灰石を運ぶ事は出来るだろうか。天気が急変すると危険だろうか。それとも全力を以ってして炭を増産するべきだろうか。やはり、遠出は危険だな。なるべく平坦な場所の木を切って材木と炭の確保に努める事が一番安全だろうか。

 そんな事を考えながらやって来たのは何の事はない、元の場所だ。だって気になるんだもん…うん、崩れてはいない。いや、こんな一瞬で崩れて貰っては困る。いや、そもそも一瞬だろうが数年後だろうが崩れて貰っては困るのだが…水位は…上がった?変わってない?良く分からないな。これもさっきの今だからな…見上げると目に入るのは、低く暗い冬の雲と白に覆われた北の山ばかりだ。

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