34・小さな楽しみ、穏やかな日
===柳泉===
「えいっ!」「……さっ!」「えいっ!」「……さっ!」
目の前で嘉助と満助の兄弟が危なっかしく餅を搗いている。
「おい、もっとパッとやれよ!」
「そんな事言ってもおっかねぇんだよ!」
兄の嘉助が杵を振り上げるが、弟の満助がおっかなびっくり餅を返すものだから調子が合わないのだ。
それもそうだろう、この村で年の瀬に餅を搗くのは何年振りの事なのだから。日々の糧に糯米の種籾すら食べ尽くして大分経つ。少なくとも最後に行ったのは彼等兄弟がまだ幼かった頃であっただろう。何年も行わなかったのに、いきなり自分で餅を搗くのだから調子が合わないのも当然のことだ。
「満助、そんなでは早晩手を搗かれてしまうぞ。」
周りを囲う者達の中から祥治殿が笑いながらそう声を掛ける。
「大将、そんな事言ったって!」
満助が悲鳴を上げる様にそう答える。
秋の終わりに突然現れた彼も、大将と言う呼び名と共にすっかりこの村に馴染んでいる。そして、そんな様子を皆が周りで楽しそうに眺めている。
彼が手配してくれた買い出しの品の中には少量の糯米も入っていた。余裕の無い中で無理に餅を搗く事は無いと拙僧は申し上げたが皆の様子を見る限り、小さくとも楽しみが有った方が皆の為だと言う彼の言葉は正しかったのだろう。
目の前の日々を何とか生き長らえる為に、我等はいつの間にやら何かを楽しむという心すらどこかへ忘れてきていたのだろうか。
今年は手に入った糯米の半分だけを使った。臼で一度に搗いてしまえる量だが、残りを種籾にして来年はもっとたくさん餅を搗こうと笑って言う彼の言葉を早くも楽しみにしている自分が居ると感じている。
「おい二人共、そろそろ代われよ。餅が出来ちまうぞ。」
そんな二人に利吉がそう言う。隣では竹丸もうんうんと頷いている。彼等もまた子供の頃に眺めていた餅搗きを初めて自分で出来るのだ。楽しみで仕方ないのだろう。
「来年はもっと調子良く返せよ?」
「何言ってんだ、来年は兄貴が返すんだよ。そうしたらちっとは俺の気持ちが分かるさ。」
尚もそんな風に言い争いながら二人が交代する。これも後で思い出せば楽しい思い出となるのだろう。
来年もこの様に楽しく餅を搗けるだろうか。こんな風に先の事に思いを馳せる事すら久しく無かった事だ。
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「明けましておめでとうございます。」
「「おめでとうございます。」」
村の者達の最前列に座り、目の前に一人、こちらを向いて座る柳泉和尚にそう挨拶をして頭を下げれば、他の者も続けて頭を下げる。
柳泉は当然の様に場所が逆だと主張したのだが、こうした小さな建前を積み上げると、いざと言う時に襤褸が出なくなると説明すると渋々引き下がった。
「はい、おめでとうございます。去年は暮に色々と大きな出来事がありましたが、そのお陰でこうして平穏なお正月を迎えられました。今年はより良い年になる様に皆で一つ一つ頑張って行きましょう。」
今迄に無かった状況に顔を引き攣らせながら柳泉がそう挨拶を返す。
「では、早速皆で食事と致しましょう。」
気も漫ろな子供達の様子を慮ってか、早くこの状況から解放されたいのかは定かでないが、柳泉は新年の挨拶を早々に締める。
「おこめのごはん!!」
稲が嬉しそうにそう叫ぶと外に飛び出して行く。糸がトテトテとその後を追い掛け、他の者もどこか嬉しそうにその後に続いて外へと出て行った。
庫裏の脇に新たに作った屋根付きの炊事場で釜や鍋が盛大に湯気を上げている。皆、器に普段より少し豪華な食事をよそい、車座に座る。
相変わらず晴れている時は食事は外で摂っている。なぜならお堂で食べるには遣戸を開けるしかないのだが、それなら日が差す分、外の方が多少マシなのである。特にお堂は一般家屋と違って囲炉裏が無いし、油で灯りを取る様な余裕は我が村には無い。ましてや、紙を貼った障子等は夢のまた夢なのである。お堂に囲炉裏…いや、それをやると寝る場所が足りなくなるか?今度検討しよう。
「おこめ♪おにく♪」
定位置になった俺の膝の上で満面の笑みでお椀を持つ稲。
正月のご馳走は米のご飯にいつもより少しだけ具と味噌の多く入った汁物。そして、猟師組が今日の為に気張って獲ってきた猪肉の塩焼き。それから、
「それから正月と言えばこれだ。」
そう言って俺は稲に干柿と勝栗の縁起物を渡す。
「…いつもだよ?」
そうなのだ…なんならこの二つが主食まであるくらい毎日食べているのである。
「ごはんにはいってるほうがおいしいのに…」
それでは勝栗じゃなくなってしまうんです…
「お正月はそう言うものなんだ。」
「ふ〜ん…じゃあ、まいにちおしょうがつだね。」
俺の言葉を聞いて稲がそんな事を言う。
「あ、あはははは!そうだな、毎日正月だ!」
「わはは、そりゃいい!毎日正月か!」
それを聞いて周りからも笑い声が上がった。
「おもちは?」
自分が笑われている事等意に介さない様に綺麗な目で稲がそう聞く。
「餅か、餅は鏡開きをしてからだからまだ暫く先だな。」
「そっか…」
「でも、正月に餅が無いのはちょっとな…」
ガッカリする稲の横で祥猛がそんな事を言う。
「仕方無いだろ。そんな量の糯米は運べなかったんだから。」
それに対して祥智がそう反論する。
「大体、兄者が餅は搗きたてが美味いなんて言うから。」
「お前だって賛成してたじゃないか。」
そう、餅は鏡餅にする分以外はその場で皆で食べてしまったのだ。だって搗きたてが一番美味しいんだもの。
「かがみびらき?したら、またあれがいい。くりとかきのやつ。」
我等兄弟のそんな言い合いに稲がそう付け加える。餅には勝栗と干柿を擂り潰して作った餡を包んだのだがそれが大層お気に召したらしい。
「あー…あれは、搗きたての柔らかい餅でないと出来んのだ。鏡餅は硬くなってしまっているからな。」
と説明すると稲は口と目を丸くして固まってしまった。
あれ?車座の向こうで糸と春も同じ顔をしている。糸はまだしも春さん、貴方もですか?
「まぁ、来年の正月には餅が食べられる様に皆で頑張るさ。」
そう穏やかに元旦の朝は過ぎて行く。
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