1・返坂関(※)

近況ノート「彌尖周辺地形図」掲載の地図と併せてご覧頂きますとよりお楽しみ頂けるかと思います。

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 眼前に空を切り裂く様に聳え立つ山々のすっかり色付いた谷間に一筋、天に向かう様に伸びる細い道を峠を目指し三人と一頭で進む。

 今朝出発した代田しろた盆地の平地はとうに抜け、五日前に沓前国とうぜんのくにの中心地である曽杜湊そのもりのみなとを出立して以来、常に傍を流れていた辰野川にも先程別れを告げた。

 この坂を上れば沓前国と彌尖国みさきのくにを分ける返坂関かえりざかのせきだ。


「ここらの山なら椎茸もかなり採れそうだけどな。」

「あぁ、だけど出立が遅くなったからな。戦の季節になる前になんとか遠濱国とおはまのくにまでは抜けておきたい。残念ながら今回は素通りだな。」

先頭を行く末の弟、祥猛よしたけの言葉にそう答えながら峠を目指す。

「幸い、今は懐にもそれなりに余裕があります。それに彌尖国は余り状況が良くないと聞きますから早めに通り抜けてしまうのが正解でしょう。」

後ろを歩く上の弟、祥智よしともがそう俺の意見を補強する。

「まぁ、山の中を走り回らなくていいなら俺だってその方が良いけどさ。」

それを聞いて気楽そうに答える祥猛だが、その言葉には表情以上の意味がある。

 山之井を旅立ち迫り来る今度の冬で丸四年。各地を転々とした我等の懐事情を度々救ったのが椎茸なのだ。幼き日より山中で椎茸を探し歩いた経験は他所の山でも如何無く発揮され、その度に我等は懐具合の立て直しに成功して来たのだから。


 晩秋の高度の低い太陽が早くも山の稜線に近付いて来ている。

「暗くなる前に関に着きたい。少し急ごう。」

そう言うと俺は蒼風の手綱を引きながら速度を上げた。

 蒼風の背には左右に米俵が二つ。そして真ん中には諸々の商品やすぐに取り出す必要の無い物品を入れた箱が一つと蒼風に食べさせる大豆の入ったかますが一つ。米俵の側面には弦を張った弓が三張、すぐに使える様に掛けられている。そして、蒼風と俺を中心に、前に祥猛、後ろに祥智がそれぞれの荷物と槍を担いで歩く。これが長い旅路の中で確立された我等の隊列だ。

 残念ながら、この乱世に旅をすると言う事は、それは即ち荒事との出会いの連続である。弥次さん喜多さんの様な暢気な旅など夢のまた夢、当初は三匹が斬るも裸足で逃げ出しそうな事態の連続であった。それでも三人で居ればそれなりに楽しい事も有り、あの日決めた兄弟としての関係も、新しい名乗りもいつの間にかすっかりとこの身に馴染んでいた。

 因みに、そんな我等が旅をする上で辿り着いた結論は、’移動は農繁期で戦の少ない春か秋にする’というなんとも当たり前の物だった訳だが、これだけでも面倒事に巻き込まれる機会は半分位になると言うのが乱世の恐ろしいところだろう。まぁ、そう言う事で諸般の事情により晩秋の今頃になって出立した我等は先を急いでいるのである。


 太陽が稜線に隠れる直前、我等は峠に位置する返坂関に着く。古の時代に遠国との境に設置された五つの関の内の一つ、和歌にも度々登場するこの関は、冬になれば雪に閉ざされる敷島の北岸地域である北敷道の玄関口であり、任地へ下向する役人が京を懐かしんで振り返ることからこの名が着いたとも言われる。

 尤も、現在峠には沓前を支配する守護代、猪俣家の設置した砦が建っており、人の出入り(主に不届き物が入るのを)監視している。

「止まれ!!」

砦の真ん中にある関所の門に大分近付いた所で櫓の上から声を掛けられる。全員国境の向こうを見張って居る辺り、最近はこの街道を使う者がほとんどいないと言う話は間違いないらしい。


 慌てて降りてきた四十に近そうな物見の兵が、

「と、通るのか?」

不審そうな不安そうな、なんとも言えない表情で聞いてくる。

「遠濱へ向かっておりまして、差し支えなければ通りたいと思っておりますが。ただ、今夜はここで夜を明かそうとは思っておりますが。」

俺がそう答えると。

「そ、そうか、ちと待ってくれ。」

と言いおいて砦の中に駆けて行った。

「なんだろうな?」

「大体関所の門番って奴は威張ってるんだけどな。」

祥猛が身も蓋も無い事を言うが概ね事実なので何も言わずにおく。すぐに少し身形の整った男が先ほどの兵を従えてやって来た。

「ここを通りたいと言うのはお主達か?」

少し呆れた様子で聞いてくるのは三十手前だろうか、標準的な背丈ながら鍛え抜かれたがっちりとした体躯の持ち主だ。

「はい。武者修行で諸国を廻っておりまして、今は遠濱へ向かっております。差し支え無ければ通して頂たいのですが。あ、これは曽杜の商人、三増屋からの紹介状、こちらは御城下の人見道場の、」

「あぁ、いやいや、そうではない。通って貰うのは全く問題ないのだが、ここ数年滅多に人が通る事もなくなっていてな。以前は麓の村の者同士が行き来する事も良くあったのだが、ここのところ早瀬の方が荒れに荒れておるせいで最後に人が通ったのは春が最後と言う有様よ。それ故、本気でここを通るのかと思ってな。」

怪しい者ではないという証明にと沓前で出来た知己に書いて貰った手紙を出したのだが、問題にしているのはそこではなかった様だ。関の向こうは聞いていた状況よりも更に悪いのだろう。

「左様で御座いましたか。しかし、ここを通らねば一度沓中まで戻って山越えをせねばなりませぬ故。それに武者修行としてはそう言った場所を通る事も無駄にはなりますまい。」

「そ、そうか、そうまで言うなら無理に止めはせぬが…」

俺の答えに心配そうにそう返してくれるこの人物は性根が良いのであろう。

「それと、今晩は門の近くで一晩夜を明かそうと思っております。ご迷惑はお掛けしませんのでお許しを頂きたく。」

俺がそう請うと、

「そうか、それなら泊まっていかぬか?諸国を廻っているのだろう?こんな場所だ、たいした饗しは出来ぬが是非配下の者達に話を聞かせてやってくれぬか。」

そう、誘われた。確かにここでは碌な楽しみもないだろうから、旅人のもたらす各地の話はこの上ない娯楽となるのだろう。

「左様ですか。それでは遠慮なく一晩ご厄介になりましょう。某は鷹山祥治と申します。弟二人と諸国を廻っております。」

「某はこの砦を預かっておる才田弘兼さいたひろかねだ。まぁ、ゆっくりしていってくれ。」

「有難くお言葉に甘えさせて頂きます。その前に古の歌に聞く返坂を見たいのですが。」

「おぉ、そうか。こちらへ参られよ。」


 関の門の脇の通用口を抜けると眼前に広がるのは、西日を受け黄金色に輝くどこまでも続く低い山の連なりだった。夕日を浴びて輝く海の洋にも見えるその風景からは、酷く荒れていると聞こえてくる人々の生活などは露知らぬとばかりの自然の声が聞こえるだけだ。

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