41・旅立ち壱

 夕方、仕事を終えて家に帰ろうとする船頭に頼み込んでなんとか実野川を渡った所で夜を明かす事にした。河原には渡しの船頭が雨を避けたり客を待ったりする小屋が建っており。渡船を待つ者も勝手に使って良いらしいので有難く夜露を避ける為に使わせて貰う。


「それで、どこへ向かうつもりなんです?」

火を熾し、一息吐いた所で霧丸がそう聞く。

「与平に信頼出来る船を紹介して貰うつもりだ。行き先はその船次第だな。」

干し肉と積めるだけ作ってきた栗餅を齧りながら答える。米を炊く鍋をどこかで買わねばならんな。

「諸国を巡るんですか?」

「そうだな。各地で道場を訪ねて教えを受けてみるか。路銀を稼ぐのに各地の特産を運んでも良いかな。」

「武者修行しながら商いをするんですか?」

「まぁ、そうかな。ただ、商いと言っても各地に座があるだろうから大っぴらには出来んだろうし、そもそもそんなに沢山は運べないからな。嵩張らずに高く売れそうな物を探しながら旅をする事になるだろうな。」

道場廻りは松吉が、特産探しは霧丸が張り切ってやるだろう。上手く行かずともきっと二人の経験にはなるだろう。


「そんな事より名前を決めようぜ。」

「名前なんて後で良いだろう?じゃあ、明日は田代に泊まりますか?」

「えぇ?全然良くないよ。早く格好良い名前を決めようぜ。」

「まぁ、待て。そんな慌てて決めては良い名は出ぬぞ。与平が田代に居なければ仕方ないが明日はなるべく進みたい。誰か追い掛けて来ないとも限らんからな。」

「この時期は流石に田代に居るはずです。」

「じゃあ、夜明け前に出て昼前には湊へ向かえるな。」

「そうですね。それなら昼には田代に着くから急げば夕方には湊まで行けるかもしれない。」

「湊まで行けるのか!?」

「まぁ、馬に荷物を積んで俺たちが走ればですね。歩いてでも途中の宿場までは行けますよ。」

「じゃあ、田代をどの位の時間に出られるかで決めるか。」

「そうしましょう。」


「じゃあ、名前!!」

「明日以降も時間はあるんだ、そんなに急がなくて良いだろ。」

懲りずに名前を決めたがる松吉に霧丸が正論で返す。

「でも、明日以降名前を聞かれたらどうするのさ?山之井の若様だって名乗るのか?きっと船に乗る時も聞かれるぞ?」

「「む…」」

「「確かに…」」

二人して松吉に言い負かされる。

「それに、兄弟なんだろ?早く兄弟らしい名前が欲しいんだよ!!」

屈託無く笑顔でそう言う松吉に二人して苦笑するしかない。

「わかったわかった。じゃあ、とりあえず今夜は方針を決めよう。細かな所は湊までに決める。それでどうだ?」

「そうだな。急いで決めて、変な名前になっても良くないしな。」

俺の提案に松吉はうんうんと頷いた。

「鷹の字は入れますか?」

霧丸がそんな事を聞く。

「なんで積極的に正体をバラす方向にするんだ?」

「え…なんとなく若の名前から取ったんですけど…」

「でも、鷹は格好良いぜ?」

それは分からんでもない…でも、鷹が入った名前って前世でもこっちでも聞いた事ないな。龍や虎は良く聞くけど。辛うじて上杉鷹山くらいか?でもあれは’ようざん’だ。つまり隠居した後の号だろう。となると本名(諱)に鷹が入った人名って記憶にないな。何か訳があるのだろうか?

 姓でも聞いた事がない気がする。いや、公家に鷹司というのが有ったかもしれん。鷹山…’たかやま’か…相棒の大下はどうだろう…いやいやいや、誰が得するんだそんな名前。

「どうかしましたか?」

霧丸に聞かれて我に返る。

「い、いや、鷹山と言う姓はどうかと思ったんだが。山之井の鷹でそれこそ、そのまんまだなと思ってな。」

慌ててそう答えると、

「良いじゃないか。」

「俺も悪くないと思います。」

あれぇ…

「ま、まぁ、一つの候補としておこう。松吉は縁起の良い名前が良いのだろう?縁起の良い字だと、やはり瑞か祥だろうか?名前にするとなると’みず’と’よし’と読むかな?」

「瑞獣から龍とかおおとりもありますけど。」

俺の意見に霧丸もそう付け足す。

「龍は’たつ’だが鳳は名前に付けると読み方が難しいな。それにどちらも書くのが面倒臭い…」

「でも、龍は格好良いぞ?鷹よりも高く飛びそうだし。」

「うーん、龍かぁ…ちょっと在り来たりじゃないか?他には慶とか賀もあるか。常聖寺の聖もあるな。縁起からは外れるが生きる指針みたいな字だと義とか信とか慈」

「それこそ普通じゃないか?」

「ま、まぁな。ただ、珍しい名前と変な名前は紙一重かもしれんぞ。」

「じゃあ、やっぱり龍で良いじゃないか。格好良くて普通なんだから。」

「そ、それは…」

「まぁ、それも候補にしましょう。今日はもう寝ませんか?」

霧丸がそう助けを出してくれる。

「そ、そうだな。」

「まぁ、急いで決めると良くないって事だしな。また明日だ。」

松吉もそう納得した様だ。


「あ、そうだ。寝るときは必ず誰か一人起きている様にしないといけないぞ。」

「確かに。与平さん達のところも必ず何人かで起きて、何度か交代してます。」

「交代はどうやって決めるんだ?時刻は分からんだろ?」

「まぁ、なんとなく慣れでやってましたね。」

「ふーん、じゃあ俺達にいきなりやるのは無理だな。眠くなってきたら拙いと思う前に起こして代わろう。最初は俺が起きてるから二人は寝ろ。」

「俺がやりますよ?」

行商で慣れている霧丸がそう言ってくれる。

「いや、ついでに名前を考えてみる。」

「そうですか。」

「じゃあ、先に寝るな。」

そうして旅の初日は終わった。まぁ、実質川を渡っただけなのだが…


「これは若様、如何なされました!?」

翌日、田代屋の店を訪ねると与平が転がる様に飛び出て来た。

「うん、実はな。旅へ出る事にした。山之井は紅葉丸が継ぐ。」

俺達の旅装とその言葉に何かを察したのか、

「左様でございますか…なんとも惜しい事です…」

そう惜しんでくれた。

「うん。それでな、いくつか伝えねばならん事と頼みがあってな。」

「一つは山之井の事だ。基本は今まで通りになるはずだ。光繁達との付き合いも変わらんのでお主達もそれで頼みたい。俺の採っていた椎茸は源爺に場所を伝えてあるから後数年は変わらず採れると思うから源爺の所を訪ねてくれ。」

源爺の所には原木を残して来た。今年の春から採れる様になった木もあるのでそれが採れる内は大丈夫だろう。それに天然物の場所や採れる場所の傾向は紅葉丸と太助に伝えて来たのでこちらもそれなりに継続出来るのではないかと思う。

「畏まりました。しかし寂しくなりますな…」

「そう思って、お主の好きな物を持ってきた。」

そう言うと俺は椎茸を入れた小袋を取り出す。

「これはこれは。」

すぐに中身に思い至った与平がちょっと嬉しそうに笑う。

「それと行き先は西でも東でも良いのだが信頼出来る船を紹介して貰えぬか?」

「船ですか。それでは三州津みくにのつ行きの船を出す商人が居ります故、この椎茸と紹介状を持って行かれると宜しいでしょう。先日も都へ持って行く正月向けの最後の椎茸を仕入れようと駆け回っておりました。今ならまだ船に間に合うでしょう。」

そう言って椎茸の入った小袋を俺に返してくる。三州津は西の京の外港の役目を果たす港湾都市だ。凡そ前世日本の境津と同様の位置にあるんだと思う。詳細な地図も無いし行った事もないので想像だが。

「良いのか?これはお主に渡そうと。」

「紹介状にこちらの取り分も明記しておきますよ。」

「そうか、要らぬ心配だったか。」

そう言うと与平はすぐに紹介状を書いてくれた。

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